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人生晴れたり曇ったり

「辛酸を嘗めた私の闘病日記」2年半の闘病生活の峠を越え、その後の元気な日常を画像を加えながら不定期ですが書いています。

辛酸をなめた私の闘病日記全20章(第3章)

2017年05月31日 | 冊子(人生晴れたり曇ったり)

第3章

日常に異変が、闘病生活の始まり

私は昭和56年に結婚し、長女、長男、次男の3人の子宝に恵まれ、今ではそれぞれに所帯を持ち、独立して孫も5人いる。何とか「ユラク人生」で家族を守ることが出来て、安堵している今日この頃である。

長男家族は、私の自宅の隣に家を建て、「ほーゆー本店」の後継者として入社してくれ、他の2人も車で20分の至近距離に、それぞれ家を建て独立している。

そんな幸せな環境で、毎日 子供や孫に囲まれ、孫の成長に目を細める日々が続き、多くの人に羨ましがられる生活に充実感を味わっていた。

 

しかし、そんな中で平成26年の秋に突如異変が起きた。

以前から頻尿を感じていたが、2時間に一度はトイレに行くようになり、仕事にも支障を来すようになった。

翌年の平成27年1月には、夜中に5度~6度とトイレに起きるようになり、寝たのか起きていたのか分からないうちに朝を向かえる日々が続いた。

3月に入り、検診の為に掛かりつけ医の田中クリニックを受診したところ、血尿の症状が見られ、早速に豊岡病院の診療を勧められた。

 

 

 

 

 

 

 

 

  「田中クリニック」 

結果的には、この田中先生の判断が、後のガン治療に大きく貢献する事になる。

今も私の体の日々の修理工場である事は言うまでも無い。

翌日の11日の午前中に泌尿器科を受診したところ、後の主治医となる白波瀬先生より「膀胱ガン」の宣告を受けた。予期せぬ宣告で、気軽に一人で受診していた為に、激震が走った事を覚えている。

私は男ばかりの3人兄弟で、兄(ユラク会長)と弟(ユラク副社長)がいる。

これまでの60年間、兄弟の中では唯一私だけが一度も入院をした経験が無く、「仕事が少ない」「昼行灯」「ゴルフ三昧」などと、酒の肴にされたものであるが、この告知で兄弟での酒を飲む機会が減った事は残念だが、その昔、私達兄弟は、泊まり込みで、懸命の看病を続けたが、宣告通りに入院後の半年目に、ガンで母親を62歳の若さで亡くしている。

ご覧いただきありがとうございました。

次号第4章もご覧ください。

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