スタジオSZ8のブログ

スタジオSZ8(鈴八)のぬるめの日常

クリスマスエクスプレス3号車(91年版、溝渕美保主演)を考える

2023-03-12 | 映画、ドラマ、テレビ
今作については、正直に言って、書くことがあまりない。
とにかく、映像に全振りした作品である。

前作の不評(これは僕だけの感想だが)と迷走を反省(これも言い過ぎ)して、今回の舞台はやはり駅だ。

ストーリーは、ない。はっきり言って。
割り切ったとも言っていい。

駅のコンコースで彼氏を待つ彼女。
人々が行きかう姿の中、彼氏はなかなか現れない。
しかし、最後に遅れた彼氏が現れる。

これで全部だ。

だが、これで評価が低いかというと、そんな事は全くない。
とにかく映像に特化しただけあって(これは勝手に僕が思っているだけなのだが)、とにかく美しい。
うっとりするほどだ。

多分、なのであるが、古きアメリカの駅をイメージしている節がある。
モブの登場人物含めて、みんな日本人の顔立ちなのだが、その当時のアメリカ映画の雰囲気があるのだ。
駅改札の「出口」の文字に違和感を覚えるほど。
白熱灯のオレンジの光、人々の衣装、立ち振る舞い。などが、ちょっと日本っぽくないと感じた。
衣装に関しては、彼女の服も含めて「バブル」の余韻を感じるのだが、それ以上にアメリカっぽく感じる。
子供を抱きかかえる動きなどは、アメリカの人の動きに見えてしかたがない。
なんとなく絵画の連続映像というイメージだ。

それに彼女だ。
役者本人はさしおいて、この彼女のキャラクターというのは、「自分が美しいことを知っている」キャラだ。
誤解の無きようお断りするが、「自分が美しい」と正しく自己を認識することは悪い事ではない。
かの名探偵、シャーロックホームズも言っている「自分を過小評価することは、過大評価することと同じように愚かなことだ」と。
最初にイアリングが、チャリンと音を立てるのも、彼女が自分を精一杯美しく見せようとしているのを強調している。(ちなみに、効果音がはじめて、このシリーズで採用されている)
ただ、たたずむ彼女だが、それだけでゾクッとするほど美しい。
この美しさは、シリーズ随一だ。

とにかくCMはこれでいいのである。
細かいことは、置いといて、なんとなくキレイだった。と印象に残れば、それだけで成功なのだ。

ただ、今回もご多分に漏れず、彼氏が遅れ気味に来るのだが、これも理由はわからない。
細かい事は気にしないと言っておいで、なんなのだが。
姿そのものも、ガラスに映ったものでぼんやりしていて、想像のしようがない。
が、これは人それぞれの想像にゆだねる。で、いいのではないかと。

クリスマスエクスプレス0号車(88年版、深津絵里主演)を考える

2023-03-05 | 映画、ドラマ、テレビ
かわいい深津絵里を見るためだけのCM。
ではない。
クリスマスエクスプレスを生み出した名作を考察してみようと思う。

まず、最初にお断りするが、この作品は正確には「ホームタウンエクスプレス」というシリーズのクリスマスエディションとして製作されている。
「ホームタウンエクスプレス」とは、簡単に説明すると、当時、ちょっと疲れたり、悩んだりしたら故郷に帰ろう。
というテーマで展開していたシリーズだ。
しかし、実質的にクリスマスエクスプレスの第一弾として認知されている。僕自身もそうだ。
JR東海自身も認めているし、それで問題はないのだけど、実はこの考察を進めていくうえで、
「ひょっとして、思い違いをしているのかも?」
と思うようになった。
これは順を追って書いていこうと思う。

大まかなストーリーはこうだ。(60秒バージョン)

ある駅の新幹線のホーム。
おしゃれをした女の子(以下、彼女)が停車している新幹線を見つめている。
多くの人が乗り降りするが、目当ての人物は見当たらない。
新幹線は発車し、取り残された彼女は、ちょっぴり不貞腐れる。
するとホームの柱からプレゼントが現れ、鈴をチリンと鳴らす。
気づいた彼女がふりかえると、柱の陰からバックスライド(ムーンウォーク)で男性(以下、彼氏)が現れダンスを踊りだす。
彼女はこぼれた涙をふき、あきれたような表情をうかべる。
ふたたび柱に隠れる彼氏を見て、彼女は「バカ」(サイレント)という。
ホームで戯れる二人の画面に
「帰ってくるあなたが最高のプレゼント」のコピーの後
「JR東海の新幹線(←ここ)」のフレーズの後、JR東海のジングルが流れる。

こういった流れになっている。

まず、僕にとって一番印象深いのは、彼女の赤い唇である。
鮮やかな赤が、彼女の白い肌と相まって、非常に目立つ。
なぜここまで鮮やかな赤が使われるのか? 何か絶対意味があるはずだ。
少なくとも、これを説明できる仮説が自分の中にできないと、非常に気持ち悪い。
モヤモヤするのだ。
これが、全く考察が進まなかった。

で、今回、改めて別方面から考えてみたら、意外な着地点が見つかった。
それを進めてみる。

別方面とは、彼女のいでたちだ。
これが気になった。
軽装を通り越して、なんと手ぶらだ。
外出しているのに手ぶら。考えてみれば、非常に不自然だ。
駅まで歩いてきたとしても、入場券を買うにもお金は必要だ。ポーチの一つでも持っていれば別だが。
彼女はこの駅にどのような方法で来たのか?

まず思いついたのが、自家用車で来たという仮定だ。
これなら、軽装で、何なら手ぶらでも小銭だけ持って出れば出迎えられる。
だが、問題は靴だ。結構かかとが高い靴を履いている。これで運転をしてくるか? 無論、履き替えれば済むことだが、なんかイメージが合わない。
そもそも彼女は運転免許をもっているのか?
ここで、ふと、彼女役の深津絵里の年齢を調べてみた。
そしたら驚いた。
なんと当時15歳!!
さすがに設定を成人女性にするには厳しい。最大限引っ張って、せいぜい18.19歳が限度だろう。
僕は牧瀬里穂版の考察で「本人は17歳でも設定を22歳とか25歳にするなら」と言っていたが、10代半ばの2歳差はでかい。
成人後の4.5歳前後は違う感覚だ。(大人の方なら、なんとなく理解できるだろう)
詳しい設定はわからないが、自動車免許を持てる年齢かどうかも怪しい。

じゃあ、家族に送ってもらったのか?
彼氏の出迎えに、家族が送迎をするか? かなり考えづらい。
だが、これを解決する考え方が一つある。
これが「家族(両親)公認の仲だったら?」だ。
そうなると、話は別だ。
もっと考え方を進めてみよう。
彼女、彼氏、双方の家で公認の仲だったら?
なんとなれば、家族ぐるみの付き合いだったら? 家が近所で、彼女彼氏は幼馴染だったら?

ここで、はたと思い当たった。
ひょっとしたら、僕は大きな思い違いをしていたのかも知れない。と。
これはあくまでも「ホームタウンエクスプレス」シリーズだったのだと。
現在の我々から見ると、これは「クリスマスエクスプレス」シリーズとして捉える。
だが、過去にさかのぼり、当時の製作スタッフにしてみれば、翌年「クリスマスエクスプレス」が生まれるなんて思っていない。
当然「ホームタウンエクスプレス」のフォーマットで、作品を作るはずだ。
どういう事か?
彼氏は、彼女に会いに帰ってくるのではない(当然彼女も含まれるのだが)。
冬休みを利用して「故郷」に帰ってくるのだ。
そうなると話は全然違ってくる。

僕などは、当初、実は彼女彼氏は恋人同士なんかじゃなく、ほとんどブラコンの妹が、帰ってくる大好きなお兄ちゃんを待っている。という仮説を立てたぐらいだ。
さすがに、これは無理がある。あの赤い唇が、全く場違いだ。これが通じるとしたら「それ、なんてエロゲ?」の世界になりかねない。却下だ却下!

やはり、彼氏彼女は恋人同士。幼馴染なら、なお収まりがいい。

ここからちょっと物語り調だ。
ある日、彼女は彼氏のお母さん(お父さんかも知れない)に話しかけられる。
「今度うちの子がイブに帰ってくるんだけど。一緒に迎えに行く?」
実は、彼女は彼氏の両親より先にそれは知っているのだが、口には出さない。
「はい、行きます」
「ついでにうちでご飯食べてく? 泊って行ってもいいよ」
これまでも、というか小さいころから互いの家で泊った事があるので(当然寝室は別だが)、彼女に断る理由はない。
彼女は自分の両親に許可をとる。特に反対はされない。だが、父親はちょっと面白くない。彼氏に不満があるわけではないが、かわいい娘が手元から離れるのはいい気がしない。

当日、彼女はちょっと冒険をしてみた。ちょっと大人っぽい服を選んだのだ。
そんな彼女を彼氏のお母さんが自家用車で迎えに来る。彼女の姿に驚くお母さん。いつの間にこんなに大人っぽくなったの? と
だが、一つ注文があった。メイクがまだまだ、だったのだ。
お母さんは思い出した、都合がいい事に、まだ未使用のルージュがあった事を。それも大人の真っ赤なルージュだ。
いたずら心が沸いたお母さん。
「私、娘が欲しかったのよねえ」
等と言いながら彼女と自宅に寄って、彼女にメイクを施す。
「これで、あんなバカ息子なんてイチコロよ」

と、まあ、我ながら妄想全開の物語だが、こうすると彼女のいでたち、そして、真っ赤な唇の説明がつく。
(イチコロって…言葉が古いか)

ちょっと時間より早めに駅に着いた。送迎レーンで待っているつもりだったが、彼女は落ち着かない。
早く会いたくて、ソワソワしている。
お母さんは小銭を彼女に渡す。
いや、送っていったのはお父さんかも知れない。むしろ、料理とかの準備でお母さんが残る可能性は高い。
(この当時は、母親が家事を主に請け負う、という考え方は結構主流だった)
彼女の髪形もお母さんがセットしたとしたら、もっと時間はかかるので、途中でバトンタッチしたかも知れない。(迎えに行ったら料理する時間がない)
「ホームで待ってる?」
「ありがとうございます」
彼女は駅に駆け込み、入場券を買ってホームに上がる。
それにお父さんは、ちょっと鉄オタだ(おいおい)。入場券の金額は知っている。

あ、物語り調が抜けず混じってしまった。

ともかく、これで物語のスタート地点だ。
ここまで矛盾はない。と思う。

その後の展開を考え始めたら、いきなり矛盾があった。
彼女が立っている位置に乗車位置の表示が見える。
「14号車」
車両的には13号.14号車あたりか?
この位置から新幹線を見送っているので、その視線から、発車したのは下り列車で、先頭は1号車だと言う事が分かる。
かなり後ろの車両だ。
よく見ればホームの終わりが見えている。

突発的にここで待っていては、落ち合える可能性は低い。
せめて改札に向かう階段口で待っていないと。それすら、難しいかも知れない。

一番簡単に推測できるのは、迎えに行くと判った時点で、彼女と彼氏は連絡を取り、「何号車に乗るからその付近で待ち合わせよう」と約束してた。と言う事だ。
親公認はいいが、いつでも監視されてる気もしている彼氏は(彼女も、か?)、せめてホームで二人きりになりたかったのかも知れない。

もう一つは、彼氏の両親が「帰ってこい」と指定席券を送った。という推測。
これなら、何号車かあらかじめわかる。

ちょっとわき道にそれるが、彼氏のキャラクターをここで考察してみる。
彼氏と彼女が同い年。というのは十分にあり得るのだが、彼氏の方が1.2歳年上。と考えると物語をイメージしやすい。
小学校も一緒、中学校も1.2年かぶる。ひょっとしたら高校も同じかもしれない。
友人から
「おーい。旦那が来たぞ」
と、からかわれるぐらいには有名だったら面白い。
そんな彼氏は都会の大学に進学した。彼女は高校に残る。
なんだかんだ夏休みに帰れなかったりしたら、今回久しぶりの里帰りと言う事になる。
じれた親が
「お金がないんだったら、旅費ぐらい出す」
と思ったか、切符を送った。と考えれば辻褄もあう。

このあたりは、いくつか考察はできるだろう
ともかく、ホーム上で待つ彼女。
だが、約束の列車で彼氏は降りてこない。
この時の彼女の膨れた表情は、どういう心理だろうか?
たぶん、性格もお互い判っているはずだ。
彼氏は、結構いい加減な部分があるかもしれない。
『この列車のはずでしょ?
 なんで乗ってないのよ!
 どうせ、また遅刻して乗り遅れたんでしょ。
 本当に時間にルーズなんだから』
こういった類のことを考えていた、と考察するとしっくりくる。

石を蹴るしぐさをしたり、このあたりの彼女の表情、仕草は、意識して子供っぽさを演出しているのだろうか?
とにかく可愛い。(個人的主観)

ところがここで画面に向けてくるっと背を向ける。
この時の心理はどうなのだろう。
『…あっちにはキレイな人が一杯いるのかな?(深津絵里ほどの人が一杯いるとは思えないのだが)
 もしかして、何かあって乗れなかったのかな?
 どうしよう、もしそうだったら、やだな・・・。
 会いたいよ』
様々な思いが短時間で浮かんでは消える。
そう考えると、あのポロっと流れる涙の説明が説明できる。

このあたりで、彼氏がプレゼントのベルをチリンと鳴らす。音は聞こえてこないが、劇中では音が鳴っており、この音で彼女がふりかえると考えるのが一番自然だ。
その後のダンスも、都会で覚えてきたのを自慢半分で披露した。なんてのが面白い。

彼氏がなかなか姿を現さなかったのは、こんな感じのいたずら心だろう。
だとしたら、先の彼女が彼氏の乗っている号車を知っていた理由は、二人で落ち合う約束をしていたと考えるのが自然な気がする。
彼氏の知らないところで、彼女が不意打ちできていたら、このいたずらは出来ない(難しい)。
彼氏のいたずらは彼のイメージ通りに進んだ。
だが、これは不発だった。
彼女の機嫌はすこぶる悪い。
長い付き合いだ。雰囲気でそれが分かる彼氏は、スゴスゴと柱の陰に隠れるのだ。

そこで「ばーか」だ。
彼女役の深津絵里の可愛さも、もちろん欠かせないのだが、この二人の仲の良さが、「故郷、ふるさと」に帰ってきた「ホームタウンエクスプレス」の魅力だ。という作品からのメッセージが、心にしみるのではないか?

最後、ホーム上で戯れる二人。
どう見ても、互いの想いを確かめる。という絵ではない。
一番ピッタリな言葉は
「じゃれあっている」
だ。
子犬達が遊んでいるイメージすらある。
前述の「ひょっとしたら、二人は兄妹かも知れない」と思った理由だ。

悪い言い方をすれば、もう、甘い期間は終わってるのかもしれない。
近くにいて当たり前の存在、それが離れ離れになり、その上の帰郷。
これを「ホームタウインエクスプレス」と呼ばずに、なんと呼べばいいのであろうか?


最後に、蛇足になるが、このロケ地となった駅はどこなのだろうか?

僕は本来、ロケ地と作中のその場所は別物だと思ってる。これは全く別のドラマでも同じだ。
だから劇中の構造や立地が、実際と矛盾することがあっても問題はない。という考え方だ。
昔、「西部警察」というドラマが、地元でロケをしたことがある。
放送時「あ、その道に行ったら、あそこには行けないぞ」と思ったことがある。
実際の地形と、ドラマの中の地形は違うのだと、それから割り切れるようになっている。
だから、「クリスマスエクスプレス」第一弾で、大時計が背後で映るシーンから「逆走だ」とは思わない。
「これはあくまでも架空の駅だ」
という考え方だ。

その上でこの作品の駅を見てみると、ホーム番号が「16」だ。
大ターミナルではないか!?
東京、(新)大阪ではないだろう。東海道新幹線沿線の途中駅であるはずだ。
京都というのも大阪から近すぎる。それでは大阪で放送してもピンとこない。

実は僕は豊橋かとも思った。背景に明かりも少なく地上駅にも見えたからだ。
背後に見えるのは貨物線にも見えた。
だが、豊橋駅には16番ホームまではなかったはず。(当時の記憶は曖昧)
そう考えると名古屋駅か?
新幹線の走り方が、記憶の実際の名古屋駅と違うような気がするし、新幹線の曲がり具合も辻褄が合わないが、言ったように、ロケ地と劇中の駅は別物だ。
{クリスマスエクスプレス」第一弾は明らかに名古屋駅なので、そう考えるとこれが正解だろう。
すると、「クリスマスエクスプレス」シリーズの大半は名古屋駅がロケ地となるようだ。

クリスマスエクスプレス4号車(92年版、吉本多香美主演)を考える

2023-03-04 | 映画、ドラマ、テレビ
まさか、本当に「クリスマスエクスプレス」シリーズの考察を続けるとは思わなかった。

第2回目は、第四弾(4号車)。 シリーズ最終回である(復刻版除く)。
主演は吉本多香美、音楽はもちろん山下達郎「クリスマスイブ」(紹介はもう必要ないか?)

「深津絵里版じゃねえのかよ!」(第零弾、0号車と、ここでは区別していいる)
と突っ込まれるかもしれないが、実は第四弾は「脚本、演出」に関してはシリーズ1だと思っている。
だから、こちらを選んでみた。
いやいや、「好き」で言えば、ダントツで一番なのが第一弾であることは変わらない。
脚本演出にしたって、負けず劣らずなのだが、第一弾が世界が広がっているのに対して、こちらはきっちりと1分間でまとまっている。閉じている。と書くと否定的に取られるかもしれないが、作品としての完結度(そんな言葉あるんかいな?)からすると、第四弾が上である。
事に演出の妙は、教科書になるような手堅さと、それでいてちゃんと色を出している。見事だ。
岡田斗司夫さん、ありがとうございます。あなたの動画でガンダムを通じて演出の初歩を学びました。
それがなかったら、第四弾の演出のすごさはわからなかったでしょう。

まず、簡単にストーリーを追う。今回はすべて60秒バージョンを述べている。
冒頭、「チーズ」との声とともに証明写真の機械で笑顔の写真を撮る女の子(以下彼女)。
そして定番の音楽が始まり、(その途中男性とぶつかりそうになるのは、第一弾のセルフオマージュか?)新幹線に乗り込む。

移動する新幹線車内。彼女は何か書き物をしていたかと思うと、しきりに自分の笑顔を鏡や窓に映る像でたしかめる。
目的の駅に着くと彼(彼氏)が遅れてやって来る。
その姿に、あれほど練習した笑顔を出せず、ついに泣いてしまう彼女だった。

というストーリーだ。

では、考察を進めていこう。

これまでの作品と違い、第四弾で初めてのことが2点ある。
第一が、彼女に「セリフ」がある事だ。
歴代のヒロインにはセリフはなかった。明らかに意味がわかる言葉を言っている場合はあるが、あくまでもサイレントだった。
「チーズ」だけだが、これが有効に使われる。
第二に彼女が新幹線に乗る。という点。
いままでは、全員「待つ」側だった。
冒頭の明るい笑顔。ぶつかりそうな男性をかわした時のおどけたような表情。そして自分から動く側。
ショートヘアも相まって、短時間で、彼女が明るく快活で、行動的、元気な女の子だという描写がきっちりされている。

さらに演出が上手いと思うのはここらで、証明写真のボックスを出てから、新幹線に乗り込むまでは、画面正面に向かって彼女は走ってくる。正面から見た絵だ。 ここで、奥から手前に。という点を覚えていただけると嬉しい。
ところが、新幹線から乗り込んで以降は、画面右から左に画面の流れが統一される。上手から下手、だ。
彼女の視線。新幹線の向き。それだけなく演出上の小道具に過ぎない車掌まで右から左に歩いている。
実に徹底されている。
これが駅に着き、降りるまでしっかり続く。

ところがだ。ここで問題が起きる。

のちに登場する彼氏も右、上手から現れるのだ。カメラ自体は正面寄りだが、背景のホームの位置から右から左の流れとなるのだ。
これではまずい、流れが同じもの同士が出会うというのは。
「え?」と思われるかもしれないが、細かな演出の技法など知らなくても、これに反すると本能的に人間というのは違和感を感じるものなのだ。だから演出技法が確立したとも言えるのだが。
「じゃあ、左(下手)から登場させればいいじゃない」
その通りなのだが、それでは彼氏が彼女より下になってしまう。強者は上手から現れるのだ。
制作陣は、彼氏も、彼女と同等の立場に置きたかったのだ。
彼女にとって、とても大切な彼氏なのだ。引き立たせてあげたいのだ。

ではどうする?

まず彼女を正面カメラで、手前から奥に流れる人の波に置く。
これで一旦、右から左の流れを変える。しかも手前から奥へ。だ。冒頭の流れの反対だ。うーむ、手が込んでいる。
このあと人がまばらなホームのカットを入れ、流れというものを完全に止める。
そして彼女の表情を画面左側に置き、彼女の視線を、今度は左から右、下手から上手へ移動させる。
これで彼女の配置換えは終わった。
安心して上手から登場する彼氏を迎えられる。

見事である。基本に忠実、演出の教本みたいである。
前述の岡田斗司夫さんは、「演出を学びたかったらガンダム(1St)を見ろ」と仰る。
全く異論はないが、初歩の初歩ならこの60秒フィルムでもしっかり得られるのではないか?
そんな見事さだ。名作中の名作の第一弾でも、この徹底ぶり(頑固さとも言える)にはさすがに及ばない。

基本に忠実なら凡庸じゃないか?
いやいや、60秒のショートフィルムに、そんな手の込んだ演出をする暇なんかあるわけないじゃないか!?
・・・と言いたいところなのだが、しっかりと手の込んだことはしている。
CMでそこまでやるか?という事を。
クリエーターというものは、何かやっぱり色を出したくなるものなのだ。

それは新幹線の車中。コンパクト(これには古さを感じるのだが、こういうメイク道具、今でも使われているものなのか? さっぱりわからんのです)を見るシーンがある。
この時、彼女の顔はほとんど映らない。
これに気が付くことが出来るだろうか? もちろん気が付く人はいるだろう。
だが、多くの人は気が付かない。気が付かないよ、普通。

基本、CMなんてものはいつ流れるかわからない。提供番組があったとして、その中でもいつ放送されるかは一般の人にはわからない。
そこで、いきなりCMをじっくり集中して見れる人が、どれだけいる事やら。
偶然、ビデオ(!?)に録画してるか、提供番組を狙い撃ちしない限り、自宅で繰り返し見る方法はない。
ネットは普及し出していたが、今のように動画なんてとてもとても。
事実、僕もネットで繰り返し見れるようになって初めて気が付いたのだ。

ただ、この「なんで顔が映らないんだ?」という疑問を抱くことが出来れば、だれでも同じ結論にたどり着ける。
もう、笑えないのだ。
少なくとも、それまでの、ほがらかな、天真爛漫な笑顔を作れないのだ。
彼氏に会えるうれしさ、今までの募る思い。そんな色々なものがこみ上げて来て、もう笑えないのだ。
それが自分でわかるから、彼女はそっとコンパクトを閉じるのである。
判らないよ。1回や2回見たって。
しかも、その前の段階で何か物を書く姿のカットが入っているのだ。同じ手元のアップでも意味合いが全然違うのに、ぱっと見の絵柄は一緒。
かなり計算してこの演出をしていることがわかる。

みんな同じ結論と言ったが、実のところそれは大げさかもしれない。しかし、少なくともこちらの方も同じ結論に至ったようだ。

Shampoo Tai1

人生いきていく上で、およそ無くても生きていける“ムダ動画”をいろいろ編集してはアップしている、台湾とカナダとオーストラリア、そして日本が大好きな気まぐれ気ままな昭...

YouTube

 

こちらの方は、クリスマスエクスプレスシリーズをいろんな言語に吹き替えしておられる。
オリジナル版ではこのシーンで「チーズ」と言っているのだが、この方の英語版ではその言葉はカットされている。きっとここで「チーズ」というのは不自然だ。無い方が良いし、意味は通じる。と判断されたのだろう。

さんざん練習していた笑顔が出せない彼女。
しかし、定刻通り新幹線は到着する。
新幹線を降りる時の彼女のその表情は、役者さんの力量で魅力が上がった。
かろうじて、笑顔っぽい表情をしているが、それは何となく顔に張り付けたような不自然な表情に見える。
前の段階で、彼女の心情が分かっていればなおさらだ。
そして、最後に耐え切れず流す涙。
明るさ、元気、からこの落差に心が揺さぶられる。ツンデレの逆だ(違うか)
この辺の落差も見ごたえがある。
この演技力がなければ、この作品は成り立たなかったかも知れない。少なくとも魅力は数段落ちていたことだろう。
ただニッコリ笑って、かわいいタレント。というわけでないのが分かる。

演出、主演の演技力。が素晴らしいが、脚本もしっかりまとまっている。
前作、第三弾(91年版)が「もうストーリーは、割り切りました」という作品だったが、今作はちゃんと「チーズ」というセリフと、「写真」という2本の柱をしっかり通している。
「チーズ」というセリフはすでに述べているが、彼氏に会ったら笑顔で迎えようと思っていたが、感極まって涙顔になる。
というストーリーが、しっかり出来上がっている。
「写真」に関しては、その脇を固める形でストーリーが進行している。
現在では写真を撮ることのハードルは低い。何気ない写真でも簡単にとることが可能だ。
だが、この放送当時、写真を撮ることは結構大変だった。フィルムから現像してプリントするという時間もかかるし、料金もバカにならない。
そんな時代に一枚だけ写真を撮る。という場合、冒頭の証明写真(これは今でもある)を利用するというのは、まったく自然な流れだ。
この写真をどうするのか?
見ている側に、そんな疑問が生まれるのは自然なことだ。
作中、これが説明されてないのだ。
ラストから逆算すると、何か物を書いているシーンで「クリスマスカード」を作っている。と判るのだけど、時系列順に見ている段階で、写真と、書くという行為が直結しない。
この辺の演出も凝っているというか、見方を変えると、ちょっと意地悪だ。

物語のラスト。涙で笑顔になれない彼女に変わり、写真の彼女が笑っている。
という2本の柱が、ちゃんとここで合流している脚本。
こんなショートフィルムで、見事だ。

ここまで今作の、脚本、演出を見てきた。
第一弾と違って、物語を広げる、想像の余地というものがほとんどない事がわかる。
ただ、彼氏がなぜ、遅れてやってきたか?(なんで、いつも男が遅れるんだか)どこからどうやって来たか?と思われるかもしれない。

実はこれもちゃんと説明されている。
彼氏が現れる時、左から右、下手から上手に消えていく新幹線が映し出される。彼女の乗ってきた新幹線とは逆の流れだ。
彼氏はその陰から現れる。
新幹線は、下手から上手にはけていくが、彼氏は上手からやってくる。この辺もうまい演出だ。
そう、彼氏も新幹線に乗ってきたのだ。
おそらく、お互い反対方向から新幹線に乗って、途中の駅で合流する約束だった。
だから、彼女は一定方向しか見ていない。彼氏が来る方向が分かっているのだ。
遅れる理由は、彼氏は列車の端の車両に乗っていたに違いない。
若い二人だ。切符は当然自由席だろう。自由席ってのは、大抵、新幹線車両の端っこに設定されている。
しかも空席が最後まで残るのは1号車だったりする。
経験のある方ならわかるが、そこから歩いてくるのは結構時間がかかる。彼氏はこれでちょっと遅れてしまったのだ。
うーん、スキがない。
説明がされてない部分が他の方には見えているかもしれないが、僕には見つけられない。
非常にすぐれた作品として出来上がっている。


だけど、一つだけ、鉄成分を含む僕には、ちょっとな。という部分がある。
彼女がホームを移動しない限り、これでは新幹線が右側通行をしてしまうことになる(笑)。
ホームを移動する描写をする時間はないだろうし、そこに気が付く人も、そうそう、いないだろう。
まあ、しょうがないかな?


クリスマスエクスプレス1号車(89年版、牧瀬里穂主演)を考える

2023-03-02 | 映画、ドラマ、テレビ
何で今更?
と思われるだろうけど、JR東海の新キャンペーン「会いにいこう」のフルサイズ版がyoutubeに上がっていて、これがものすごく感動してしまった。泣いてしまうほど。
「ああ、やっぱりJR東海のCMは、ハマると効くなあ」
と思い、勢いで過去のCMをYoutubeで掘り起こしてた。
「N700Sデビュー」も良かったし、「アンビシャスジャパン」(あややちゅーやー)も良かった。

だけど、やっぱり「クリスマスエクスプレス」シリーズが効く。
それぞれ良さがあるが、個人的には「牧瀬里穂のクリスマスエクスプレス」がぶっちぎりで良い。
このシリーズに限らず、過去見た全CMの中でもダントツの一番である。
30年以上の前に放送されたもので、物心ついてない世代も考えれば人口の約半分は、リアルに体感していないだろう。
だが、いまだにYoutubeでパロディ(オマージュ)動画が作られるほど多くの人が触発される作品なのは間違いない。
それは考察にもおよび、こちら↓
’89 牧瀬里穂のJR東海クリスマスエクスプレスのCMが良すぎて書き殴ってしまった - さくマガ

’89 牧瀬里穂のJR東海クリスマスエクスプレスのCMが良すぎて書き殴ってしまった - さくマガ

1989年にテレビCMとして放送されたJR東海のクリスマスエクスプレスのCM。 このCMには現代人が失った大切なものが多数含まれるような気がしたのだ。

さくマガ

 

のように熱く語る方もおられる。
この方の考察が深く、感動した部分はかなり共通しているし見事なものなのだけど、僕とは全くとらえ方が違う部分もあって、ならば実際に書き連ねようと思った訳だ。
(この方の考察は本当に読みごたえがあり、まずはこちらをお読みください。
時代背景とか、シリーズが生まれた経緯も説明されているので、先方で満足されたら、こちらに戻ってくる必要はありません。)

さて、初めに語っておきたいのは今作が「クリスマスエクスプレス」と銘打った第一弾。と言う事。
当時をご存じの方は「あれ? 深津絵里版は?」と思われるかも知れない。上記のリンク先にも記述されているが、実はこちらは「ホームタウンエクスプレス」というシリーズのクリスマスバージョンなのだ。
こちらが事実上の第一弾で、JR東海も公式に認めているのだけど、明確にしたいので、こちらを第零弾(0号車)とする。
こちらも深津絵里の可憐さ可愛さ、ストーリーともに素晴らしく、これがなければ「クリスマスエクスプレス」シリーズは生まれなかった名作である。こちらもいずれ(気力と時間があれば)考察しようと思う。

さて、前年の第零弾の好評を受け、JR東海は新たに「クリスマスエクスプレス」シリーズとして立ち上げたのだと思わるその第一弾。
主演は牧瀬里穂、音楽は引き続き山下達郎「クリスマスイブ」
その冒頭は、明らかにそれとわかるプレゼントを抱え、画面奥から走ってくる、華やかに着飾った女の子(以下彼女)の映像から始まる。
その直後、列車(新幹線)から降りる、男と思われる足。ほかの乗客が普通に歩く中、彼(以下彼氏)だけは降りた後、一度足を揃えてわずかに立ち止まる。
これだけでこの足の持ち主、彼氏が重要な人物だとわかる演出がなされている。
この間、7~8秒。(60秒バージョン、以下同様)
彼女が、この彼氏に会うために急いでいるのだと、このわずかの間に見る側に説明している見事な冒頭シーンだ。
身支度を整え、改札に向かう彼氏。ドアを抜け、連絡通路を走る彼女。これが23秒あたりまで交互に映し出される。

しかし、24秒あたりでアクシデントが起こる。
彼女が、すれ違う男性と肩がぶつかり、大事に抱えていたプレゼントが飛び地面に落ちる。
見る側はここで「あっ!」と思う。
アクシデント自体は些細なものだが、彼女にとっては重大事件だ。とにかく彼女は急いでいた。彼氏はもう列車を降りている(彼女はそれを見ていないが、到着の時刻はわかっているはずだ)、ここで時間を食えば待ち合わせに間に合わないかもしれない。それは見る側にも分かった。
彼女はどうするのか?と。
僕はこのCMを初めて見た時のこの瞬間の事を、いまだに鮮明に記憶している。それほど印象深いシーンなのだ。
彼女は落ちた大切なプレゼントには一瞥もくれず、すぐさま振り向き、ぶつかった男性に90度以上体を曲げ最敬礼で詫びるのだ。選びに選んであろう帽子も飛んでしまうほどに。
これで見る側は、彼女が純真、まじめ、一途、と言ったキャラクターを感じる事ができる。実はこの作品を決定づける最重要シーンだ。
相手男性は不満はあるが「しょうがねえな」という表情で立ち去る。

これが現在なら「CM上の演出です」というテロップが表示されるだろう。下手をすれば「駅構内は走らないでください」と付け加えられるかもしれない。
無粋である。実に無粋だ。
彼女も自分が悪い事は分かっている。男性も自分が悪いとは思ってない。だから彼女だけが謝ったのだ。見る側も分かってる。ちゃんと説明されているのだ。

話を元に戻そう。
しっかりと謝罪した後、やっと彼女は帽子とプレゼントを拾い再び走り出す。その時にようやくプレゼントの無事をちらりと確認して。
32秒あたり。待ち合わせ場所と思われる改札口付近で、不安そうな表情であたりを見回す彼女。なぜ不安そうなのか?については改めて考察する。
改札に現れる彼氏を映した後、再び彼女が映し出される。
相変わらず不安げな表情の彼女だったが、彼氏の姿を見つけた瞬間、破壊力と表現すべき全開の笑顔になる。僕の稚拙な表現力では、この笑顔のすばらしさはとても言葉にできない。これは僕だけではない。断言する。
当時の大概の男は、この笑顔にヤラれたのだ!
この文章を読んでる数少ない方(苦笑)、リアルタイムで見てない方、もし、身近に50歳前後の男性がおられるなら聞いてみるといいです。
同様の意見を言うと思われます。少なくとも「ああ、あれね」という確率が高いです。
なぜ、この時の彼女はこんなに魅力的なのだろう?
もちろん、彼女役の牧瀬里穂の魅力は大きい。悪くとられると思うが、スポーツでも芸能でも最高に輝く瞬間がある、間違いなく牧瀬里穂が最高に輝いた瞬間が、まさにこの時だった。
そして、それに加えるなら前述の彼女のキャラクターの描写がハマったからだろう。
男性にぶつかるシーンが、ここで生きてくる。このシーンがなかったら、ここまでの破壊力が生まれたかどうか?
牧瀬里穂の魅力にさらにドライブがかかったのだ。
一途に、まじめに一所懸命に彼氏のことを想い、会いたくて会いたくて募る思いを一気に爆発させた笑顔だと言う事が、見る側に強烈に伝わったのだ。僕はそう信じて疑わない。
「ああ、よかった。出会えた」
と、見る側も幸せな気分になれたのだ。

彼女は、彼氏の姿を認めるとコンコースの柱の陰に隠れる。落とした帽子を頭にポンと乗せ、彼氏にサプライズを仕掛けようとしたのか、先ほどの笑顔にいたずらっぽさを加え、目を閉じる。
彼氏が彼女の姿を探そうとした時、エンディングを迎え、
「ジングルベルを鳴らすのは帰ってくるあなたです」「クリスマスエクスプレス」
という、これまた名コピーとともに「JR東海」のジングルでCMは幕を閉じる。

こう書いていて目が潤んで来るほど、名作である。
いまだに語り継がれるのも無理もない。この作品によって牧瀬里穂はスターダムを駆け上がり、「クリスマスエクスプレス」はシリーズ化される。
ついでに言えば、クリスマスを恋人と過ごす文化さえ生まれるきっかけとまでなった。(本場からは奇異な目で見られるらしい)
今では伝説級とまで語られる名作となった。
「クリスマスエクスプレス」「牧瀬里穂」で検索すれば、すぐに見つかります。
未見の方一度、ご覧ください。

さて、ここまで作品そのものに触れてきたけど、この作品を語るうえで欠かせないのが「見る側の想像にゆだねる部分」が多い作品だと言う事だ。
それゆえに余韻が残り、世界が広がる作品となった。

なぜ、彼女は待ち合わせに遅れたのか?
なぜ、彼女は不安そうな表情なのか?
二人は、このあとどうするのか?
彼女の服が、あまりにも華美なのはなぜなのか?
プレゼントは何か?
待ち合わせ場所はどこか?
そもそも待ち合わせはあったのか?
など、考察部分が多いのだ。冒頭に述べたが、人によって捉え方が違ったりする。
それもまた、この作品の魅力なのだ。

これを書いていこうと思うのだが、とは言え、決まった正解があるわけではない。人それぞれに正解があり、それでいいのだけど、前述のリンク先の方の考察があまりに深いので、
「こういった見方もありますよ」
という程度のものだ。前述のリンク先の反論とは言えないが、まあ、それを読んでから以下の部分は読んでほしい。

例えば、待ち合わせそのものがなくて、これは彼女のサプライズだった。という考察は意外で、しかも否定しがたく、非常に面白い。
ただ、僕は、待ち合わせはあり、待ち合わせ場所は、まさしくラストシーンのあの場所(改札を出たところ)辺りだと確信している。
なぜか?
それは彼氏の行動でわかる。
60秒バージョンでは、彼氏がホーム上で、バンダナを頭に巻く最後の部分が映し出されている。バンダナは都会から巻いていたのではなく、この駅で巻いたのだ。
なんで、わざわざホーム上でバンダナをまく必要があったのか?
それは、この後にまとめて説明する。
仮に、ただ単に乱れたバンダナを整えただけ。だとしても、この説には矛盾しない。
次に、本当のラスト、彼女が柱に隠れている場面を見てほしい。
どうしても彼女に目を奪われてしまうのだが、彼氏はその奥で妙な動きをしている。
改札から歩きながら、自分の腹辺りに目を落とし、ジャケットの前の合わせの部分をスッと引っ張って伸ばしているのだ。
偶然? アドリブ?
いや、そんなはずはない。これはれっきとした意味のある演出だ。
少なくとも偶然ではない。アドリブだとしても、それが意味ある、良いと認められたから映されているのだ。
主人公は彼女なのだ、背景である彼に余計な動きをさせるわけがない。
それに60秒しかないのだ。余計なシーンに半秒も使う余地はない。


これは何を意味するのか?
答えは、彼氏も彼女と同じように、自分の精一杯かっこいい姿を見せたいのだ。
バンダナもこれがかっこいいと思い、わざわざホームで着けた。
仮にそれまで着けたままだったとしても、それが乱れていたのなら絶対に整える。
ひょっとしたら髪形を失敗したのかもしれない。それを隠すためのものかもしれない。
ジャケットにしても、一番目立つ前の部分がよれたりしていたら話にならない。ピッと伸ばして整えるだろう。
繰り返す。彼女が彼のために精一杯、キレイな自分を見せたいと思い、彼氏もまた同様に彼女のために、かっこいい自分を見せたいのだ。

彼女がいない駅で、そんな事をするだろうか?
待ち合わせ場所が、この辺りだという説明も、これまでの仮説を補強する。
ラスト、本当に半秒もないが、彼氏の動きに注目すると、明らかに歩くスピードが落ちている。
最後までは時間切れになるが、このまま数秒あれば、おそらく1.2歩で立ち止まるスピードまで。
そして本当に終了間際、彼氏は自分から見て左。画面の右側に視線を向ける。この時の視線は、僕には人を探す視線にしか見えない。
彼氏が彼女を探すのは、ここからだと思ってる。
二人は待ち合わせていた。何日も前から約束していたのだ。

次に、彼女の持っているプレゼントだが、直前に慌てて買う。というのは、これはさすがに無理がある。というか考えにくい。
彼女のキャラクターから考えれば、当日まで彼氏のためのプレゼントを用意しないとは、どうしても思えない。
仮に、翌日以降、一緒にお揃いのものを買うとしても、彼氏のために考え抜いて用意するはずだ。
それに包装も、百貨店で、その店内で買えば、ちゃんと包装してくれる部門がある(所を選んだ)。
有料オプションで、どれだけでも豪勢にできる事もできる。彼女はこれを利用したはずだ。
ただ、そのプレゼントが「カレンダー」という推察には恐れ入った。中身を考えたこともなかったが、これに対する対案は全く浮かばない。
カレンダーで決まりだろう。

あと、書いていて気が付いたのだが、このシリーズに珍しく、「彼」をしっかり表現、演出をしている作品だと思う。唯一ではないか?
顔もしっかり映っているし。ほかの作品はこれほど綿密に「彼」はフューチャーされてない。
これも深みを増す一因なのかも知れない。


そんな訳で、つらつらと書き連ねてきたけど、ここで一応の区切りとさせていただきます。
この名作が、いつまでも人々の心に残るように願います。


ただ、疑問を提示しながら、いくつかについて語っていません。
それは、これ以降に書いていこうと思うのですが、妄想というか曲解した見方、邪推ともいえるもので、おそらく制作側はそんなことは考えてもいなかったろうし、途方もない考察だと思います。
人によっては不快にすら感じるかも知れないので、そういうのが嫌な方はこの辺で終了してください。
こんな長文に最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。



では、ここから先は、本当に物好きな方(失礼)へ向けて書いていきます。

僕がこの作品を見た回数は、それこそ三桁は下らない。下手をすれば三桁後半は繰り返して見ているかも知れない。
だけど、そのうち、大きく2点、どうしても違和感を感じるようになった。

まず一点は、彼女の着ている服が華美に過ぎるという事だ。
もちろんこれは、彼女が彼氏に精一杯自分をキレイに見せたいという心情を表す、演出上のディフォルメとして、ちゃんと説明はつく。
だが、それにしても。だ。

時刻はすでに夜の10時。
一緒にいられる時間はそう多くないだろう。
これが第零弾の彼女(役、深津絵里)のような服だったら、なんとも思わない。
だが、数時間のために? この服を?・・・・・・・


そう、数時間じゃないのだ。
これから二人は、一夜を共に過ごす。それも初めての。
言い出したのは彼女だ。

当時、彼女役の牧瀬里穂は17歳。作中もこの年齢だとしたら、けしからん事この上ないが、これはあくまでもCM、ドラマなのだ。
設定で彼女の年齢は22歳や25歳なら、問題はない。
実際、その是非はともかく、当時、この夜を二人で過ごす男女は多くいた。
彼女と彼氏も、そのうちの一組となるのだ。

言い出したのは彼女の方と述べたが、無論、彼女に浮ついた気持ちは微塵もない。
これは「距離に試される」二人の絆を確かめる、神聖で重要な儀式なのだ。
華美に過ぎる服も
「その時は一番きれいな自分で迎えたい」のである。
女性心理など完全な専門外な僕でも、それぐらいはわかる。


我ながら大胆な考察だが、こう考えるといろんな事の辻褄があってくる。

まず、彼女の姿をもう一度見てほしい。
なんとも軽装である。それも財布ですら持っているかどうか? というレベルだ。
一応バッグは下げているが、重さを全く感じない。
しかもプレゼントはむき出し。
そうでない可能性は十分あるが、これでタクシーや地下鉄といった公共交通を利用したのだろうか?
僕は、ちょっと否定したい気分だ。
親族や友人に送ってもらった。なんてのは論外。

そもそも、この姿のまま、自宅(寮、宿舎等)を出てきたのか?
それもどうだろう?

僕が一番しっくりくるのは、普段着(今でいう就活スーツぐらいは着たかもしれない)で出掛け、途中で着替えてから駅に来た。だ。
どこで? もちろんホテルだ。

ホテルで着替えて、余分な荷物は部屋に置き、徒歩で駅に向かったのだ。
新幹線が停まる駅なら、近くに立派なホテルはいくつでもある。

これで彼女が、待ち合わせに遅れそうになった理由も説明がつく。
当初、僕は、わざわざタクシー乗り場という表示を背後に見せた冒頭シーンから、タクシーが渋滞にはまって(それも年末、クリスマスの大渋滞)遅れた。
と思っていた。
もちろん、これで説明はつくのではあるが、今ひとつしっくりこなかった。
それすら彼女は計算して(調べて)余裕を持って出かけるのではないか? この土地に長く住んでいれば、こういう情報は見聞きするのではないか?と

このプランを提案したのは彼女、という事はすでに述べた。
部屋を予約したのは、彼女、彼氏、どちらかはわからないが、チェックインしたのは間違いなく彼女だ。
ご存じの方もおられると思うが、この時代、この日のホテルは大混雑になる。
当たり前だがオンラインチェックインなんてものはない。
当人がフロントに行ってアナログ処理をしなければいけないのだ。
彼女はこんなに混むなんてことは知らなかった。
悪いことに混み合う時間に出くわしたのだろう。
長蛇の列は遅々として進まない。

余裕を持ったはずの時間はどんどん削られ、ようやくチェックインを済ませ、着替え、メイクをしていけば、あっという間に時間ギリギリだ。
彼女は慌てて走り出す。
…自分でも驚くほど腑に落ちる。

「派手な服ひとつでそこまで妄想を膨らませるか?」
と思われるだろう。

もちろん、別の根拠(妄想する理由)がある。同時に「彼女から言い出した」根拠にもあたる。
それがもう一つの違和感だ。

それは彼氏の表情だ。
終始、彼氏の表情が硬いのだ。
これは、この仮説を立てるずいぶん前から違和感を感じていた。
彼女に会えることを差し引いても、久しぶりの、まとまった休暇だろう。
ニコニコしろとは言わないが、もう少し柔らかい表情であるはずなのではないか? と。
僕はこの彼氏の表情を一言で表現出来なかった。むろん、その違和感を説明できる仮説もなかった。

だが、この仮説を立てて彼氏の表情を一言で説明ができた。
ずばり
「緊張」
である。

この日の約束を組む段階。彼女からその事を告げられる。当然、婉曲な表現を使うだろう。
例えば
「その日は、私、帰らないから」
と言われたとしよう。

付き合いをしているなら、どんなアホな男でもその意味は分かる。
と同時に、事の重大さも理解した。彼氏は、重圧を感じたに違いない。
覚悟と責任を求められたと思ったはずだ。
それがあの表情だ。

これが色欲に流されニヤニヤするような男だったら、彼女が好きになるわけがない。
そうなのだ。
彼氏もまた、純真でまじめ、一途な青年なのだ。
これは状況証拠や、僕だけの推論ではない。
彼氏の性格は、ちゃんと作中で映されて(演出されて)いる。

彼氏が改札の駅員に切符を渡そうとする場面。
彼氏は、駅員の顔を見ながら「お願いします」と言うようにコクリと会釈する。
なんなら本当に「ありがとうございました」とか言い出しそうな勢いである。
真面目とか純真、という資質がなければ出ない行為だ。
「えー、さすがにそれはこじつけでは?」
と思われるだろう。
だが、繰り返しになるが60秒しかないのだ、意味のないシーン、演出、演技をしている余裕はないのだ。
このシーンにもちゃんと意味があってのことだ。
こう言った細かな描写の積み重ねは、労力の割にはなかなか気が付かれない。
だが、こういった制作側の熱意や魂は、その力が強ければ強いほど、そうと分からなくても見る側には伝わる。
「神は細部に宿る」のだ。
都会の色に染まり、それっぽいファッションに身を包みはしてるが、三つ子の魂百まで。
そうそう性格が変わるわけがない。
そんな青年なのだ。

「いいのか? 本当に?」
彼氏は自問自答を駅に着いても繰り返しただろう。
彼女のことは大事にしたい。
でも、それを言い出した彼女は、どんなに勇気を振り絞ったか? と言うことも手に取るようにわかった。
彼氏もまた、彼女を一途に想い考えているのだ。


そして、その彼氏を探す彼女の不安げな表情。
この仮説の前でもちゃんと説明はついていた。
この列車で来る。と分かっていても、何らかのアクシデントで彼氏が乗れなかったら?
このまま会うことが出来なくなるかもしれない。
そしてそれを知る術は、今の彼女にはないのだ。
その姿を見るまで不安を消せないのは、当たり前の事だ。

だが、これまでのことを考慮してみると、その意味合いは全く変わってくる。
もし、彼が来られなくなったら? 少ない可能性だが、大事に思うあまり、口実をつくり彼氏自身の判断で来なかったら?
そうなれば、ただ会えないだけではない。今までの準備、覚悟、決心といったすべてが無駄になるのだ。
なんとも切ない話だ。
その上でのあの笑顔。破壊力の種類もまた変わってくる。

かのように二人はお互いを思いあっているのだ。
なんとすがすがしく、初々しく、いじらしい二人なのだろうか?



・・・勝手に妄想膨らませておいて、おじさん目頭が熱くなってしまったよ。



この二人が、この後、どうなるか、それこそ想像の外です。
でも、この輝く美しい物語に触れられたことは、ある意味、人生においての喜びの一部であった事は紛れもない事実として残りました。



最後になりますが、これが正解、真実なんて事は微塵も思ってません。
皆さんそれぞれの想像力におまかせいたします。

本当に本当に、長く拙い文章に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。繰り返しお礼申し上げます。

気力と時間があれば、このシリーズのほかの作品も考察してみようと思います。いつになるかわかりませんが。
お暇があれば、しばらくしたら、また覗きに来ていただければ嬉しいです。
それでは。



笑わない数学

2022-09-01 | 映画、ドラマ、テレビ
ほぼ2年ぶりの投稿です。

生存確認というか生きてます。と言う事で(笑)
最近、とんとTVを見なくなってまして、海外ドラマの「ザ・ルーキー」や「FBI」シリーズをかろうじて見てましたが、それも中断と言う事で、見てません(「FBIインターナショナル」はどうも…)。

でも、NHKの「笑わない数学」だけは、本当に毎週楽しみに見てます。
尾形さんの存在が、実は大きい。一部には「いない方がいい」とか言われてますけど(失礼だなあ)、尾形さんがいなければ、本当にNHKでよくある数学の番組になってしまいますよ。これ。
いや、それが悪いわけではないのだけど、そういうのを好んで見る人はもう固定されちゃってるから、新規開拓になるわけです。

実際のところ、好意的に見てる自分ですら、尾形さんの出演場面では引っかかるのは事実です。
なんか、こう「はらはらする」というか「ざわつく」というか、とにかく尾形さんが出てくると、違和感があります。
それがこの番組の最大の特徴だと思いますね。

尾形さんが出なければ、それはそれはスマートなきれいな流れの番組になると思うのですが、言うなれば「ツルン」とした壺と言おうか、滑りがいいコップと言おうか? そんな感じなんです。

尾形さんが出てる部分が、ザラつく感じで、滑り止めになる感じなんですよ。
ポアンカレ予想の回なんて、もうNHKスペシャルで何回も見た映像があっても、尾形さんが必死に語る説明に、ついつい耳を傾けてしまう。

そんな不思議な魅力を持った番組です。

全10回放送予定と言う事で、もう残りも数回ですが、機会があればぜひご視聴ください。

2024年9月4日追記
秋山仁先生の、Eテレの数学番組も面白いです

今さらジャニーズが圧力って

2019-07-21 | 映画、ドラマ、テレビ
[えー本当だったらショック]
"放送された街の声''
本当かよ。
と思わざるを得ない、ジャニーズの圧力のニュースですが(これもあっという間に流れなくなりました。これもすごい話だけど)、今さらですよね。
確固たる証拠が無くても(状況証拠)だけで立証可能なぐらいだった訳です。
 
でもそれ以上に驚いたのが、民放各社の【他人事感】でしたね。
 
いやいや、あなた達の話ではないか?
 
実際に圧力があったのかなかったのか、自分達の所ぐらいは裏を取るのが道理じゃないの?
 
それを無視しての放送、(報道ではない)には、こりゃダメだ。と思いました。
闇は深い。

AKBGというアイドル製造システム

2019-01-14 | 映画、ドラマ、テレビ
AKB48にはじまるアイドル軍団のビジネスモデルというのは、本当によくできているのだと、感心するものです。
これが最初から、この形をイメージして作り始めたのなら、その考え方は、間違いなく天才のものだし、それでなくとも、こういうシステムを作り出した事は、まぎれもなく才能の発露と言っていいと思います。

一言でいうと、アイドルという存在を、いかようにも組み換えができる、単色のブロック化(パーツ化、部品化)してしまったということです。

一昔前のアイドルというのは、そこに人形が一体出来上がっていたのです。
取り換えの利かない一品もの。
そこにモーニング娘。なんかが出てきて、取り換えの利く「ユニット」にしたのですが、それでも、パーツを変えればイメージが変わった、変わっていました。

AKBグループは、それを一歩踏み込んで、誰をどのように組み合わせようと同じものを提供するようにした(少なくともそれを意識していた)。
そう言ってしまうと、「いやいや、全然違うものになるって!」と思われる方もいらっしゃると思うのですが、そういう方は、「アイドル製造システム」の中の方なのです。

この「アイドル製造システム」の画期的なことは、システムの中と外を思い切って分離してしまったことなんです。
今までのアイドルは、市場全体に隈なく行きわたらせようと努力したわけですが、AKBグループは、システムに取り込めない人は、いっそのこと無視してしまおうと割り切ってしまったのです。
システムの「外側」の人には「ああ、なんとなく人気があるらしいグループなんだね」と思ってくれれば十分なんです。AKBだのSKEだの区別がつかなくてもいいんです。
運営側でも区別をつけてやっているわけではないのですから。
その「なんとなく」でメディアに露出できればいいのです。
で、システムの中だけでビジネスになればいいと。

アイドルを生み出すためには、以前は多大なコストをかけていました。レッスンだのスカウトだの。でも、それでものになるとは限らない、リスクのあるビジネスだったのですが、システム化することによってそのリスクを軽減することができました。

みな同じ部品を作っていけばいいわけです。細かな差異は「システムの中」のファンが勝手に見つけてくれる。
だから歌が極端にうまくても困るし、踊りが極端にうまくても困る。ある程度均一化されたアイドルを部品として送り出して行く。

運営側は、リスクとコストを軽減させることができる。
アイドルになりたい子にとっても、そのための敷居がガクンと低くなる。
双方にとってメリットがある、非常によくできたシステムなんです。


で、これを投稿しようと思ったのは、その1グループで起こった騒動(?)がまあ、気になったからです。
どのメディアも、口が裂けても言いませんが、「これだけの人間が集まれば仲たがいが起きて当たり前じゃない」とは、普通の大人だったら行きつく当然の結論があるわけです。みんな仲良くなんて無理だって。
どこの会社、組織にでもあるようなトラブルなんだけど、まあ芸能界なら騒ぎになるのも仕方がないか。という感じ。

前述したとおり、彼女たちは自分たちが部品であることは理解してグループに所属しているわけです。ちょっとした差異で自分の立場を作り上げなくてはならないわけです。
それは覚悟の上とはいえ、相当なプレッシャー、ストレスです。
「どんな手を使っても追い落としたい」
と悪魔のささやきに負けてしまうことは、当然あり得る。

今回は、それが、大ごとになった。
なぜ大ごとになったかというのは、この「アイドル製造システム」とSNSなどの発信アイテムが出来ていたことが大きな原因でしょう。

以前のアイドルだったら、運営側(事務所)がコストをかけていたわけですから、せっかく元が取れそうだったら、そのアイドルを必死に守る、隠蔽するなどの処置をとったわけです。コストもスキルも、場合によっては表に出せない手段を使っても。
アイドル自身も、それを自ら発信する手段がなかった。
ところが、今回は低コストで成り立っているシステムなので、いちいちその手間をかけるという発想がなかった。
「代わりになる部品ならいくらでもあるさ」
というわけです。
失笑がおきるような対応は、それが原因なんだろうと思っています。

ところが、その部品扱いされた側にも、人格(もしくは感情、打算)があるわけです。「こんな扱いをされて黙ってられるか!?」と。
そしてその方法もある。

そういう構図なんだろうな。と思ったわけです。


この「アイドル製造システム」は非常によくできているのですが、そこに人間の感情というファクターが入った時、大きくなったった時、案外システムって崩壊するのかな?とも思います。

ああ、長くなっちゃったなあ。

あるスマホのCMが不快。という話

2018-08-09 | 映画、ドラマ、テレビ
なんでもかんでも文句をつける視聴者にはなりたくないのですが、最近、
「ちょっと、これは不快だなあ」
というCMがあります。
これがシリーズ化されているので、評判というか効果があると思われるのが、さらに不快。

ガラケーをもった登場人物に「本音」という人形が語りかけてくる、スマートフォンのCMの事です。
「本当は、スマホに変えたいんだろ」
というアレです。

昨年、「まだ、ガラケー使ってんだ」
という周りの声に、とうとう耐えられなくなって…。
いや、別に気にしてなかったんですが、度々言われるもので
「あー、うるさい!」
と変更したわけです。

閑話休題

で、その身からしても、このCMは
「大きなお世話だよ、ほっとけ」
と言いたくなるんです。
人それぞれに、生活スタイルがあって、それに伴ったアイテムを選択しているわけで、それをとやかく言うんじゃないよ。と思わざるを得ないんです。

それも「私(企業)が言っているんじゃないですよ。本当のあなたが言ってるんです」
というスタイルをとっているのが、汚い。汚いやり方だと思っちゃうんですよ。

あの悪名高い「使えるけど、新しい車へ」
というトヨタの極悪キャンペーン「エコ替え」になんか通じるんですよ。
確かに便利ですよ。スマートフォンは。

でも、便利すぎる。
ちょっとこの便利さは、ちょっと経験上、怖さすら感じます。
別にガラケーが安全とは言いませんが、その買い替え時ぐらいは、そんなせかすようなCMで左右されたくないってのが、「僕の本音」ですね。

信長協奏曲を見て

2014-12-23 | 映画、ドラマ、テレビ
だから、これを時代劇だと思っちゃいけないんだって。
フジテレビの漫画原作のドラマというのは(フジテレビに限らないか…)、当たり外れが多くて、今回も期待はしていなかったのだけれど、結構楽しめました。
原作とは明らかの別の話となりましたが(ここが”のだめ”とは違う)、そこはよくある事です。

で、これは時代考証とか、まったく考えない、過去を題材にしたSFですよね。「大奥」(よしながふみ版)と同じ。
それさえ割り切れれば、いいのですが、いろいろ文句も言われたでしょうね。歴史ファンとかに(笑)。

ただ、続きは映画で!!
これは、そろそろやめて欲しい。ホントに。

しっくりこないぞ!「アナと雪の女王」(ネタバレ有)

2014-08-06 | 映画、ドラマ、テレビ
我が家は、夫婦そろって捻くれた所があって、
「さあ、この映画でみんな感動してますよ~」
的にマスコミに取り上げられる映画ってのを、敬遠する傾向があります。

「アナと雪の女王」も、そんな作品の一つで、ずっと避けて通ってきたのですが、子供たちの「見たい圧力」もありまして、BD(DVD)発売という事で購入し、そろって鑑賞となりました。

が、観終わった感想は、夫婦そろって
「うーん、こんなもんなの? なんかすごい感動とか煽ってたけど」
と言うものでした。

「期待値が大きかったんじゃないの?」
と思われるでしょうけど、これと同じようなパターンの映画に「タイタニック」があります。
映画もDVDも避けてたのですが、衛星放送で放送されたのを機に、鑑賞したことがありました。
「タイタニック」は、すごい事に、舞台のストーリーはもう決まってます。
奇跡的にタイタニックが沈没しなかった。と言う結末はありません。にも関わらず、二人の感想は
「ものすごく悔しいけど、感動しちゃった。泣いた」
となりました。アカデミー賞を総ナメしたのも納得だし、世間が騒ぐのも仕方がないと思いました。

が、「アナと雪の女王」には、それがなくて、
「まあ、よくは出来たディズニー映画ではあるけど、映画史に残る名作って感じはしないけどなあ」
と言う思いしかありませんでした。

僕個人の感想としては、
「舞台としての世界が弱すぎる(突っ込みどころが多い)」
「敵役に一捻りはあるけど、弱すぎる」
「ストーリーの唐突な部分が気になって仕方がない」
「最後のキーワードの処理は、それしかないだろうけど、それじゃ予定調和」
という事でしょうか?

例えば、国王が亡くなってしまい、戴冠式まで3年は国王なしと言う状態。次元が言いますよ「そいつぁ~妙だな~、(大公ってのは王様のこったろう、)今は王様無しってわけかい?」」って。
その間、摂政でもいて、それが悪役だったりしたら、結構納得したと思うんだけど、まあ、それは結果論。

一番、しっくりこないのは、例のシーンですよ。何十回とテレビで流されたあのシーン。
その寸前の場面で、自分の能力がばれ、国や家族を捨て、一人山に逃げた直後に「ありのままに生きる!」って、立ち直り早すぎるだろ(笑)。とか、
「ありのまま」はいいけど、後で国民がどんだけ混乱するか、その辺はどうでもいいのか!?(戴冠直後の女王がトンズラしちゃたんだよ)。とか、
無理だと思うんなら、妹に皇位を継承しとけばよかったじゃねえか?とか。
もう、物語から、感情移入というものが乖離してしまいました。
その前に、ストーリー的にワンクッションなり、あれば良かったのかもしれませんが…。
伏線も回収しきれてないし、その辺も…。

まあ、ディズニー映画らしい映画ですし、観て損はしないレベルではあると思いますが、あの、
「アナと雪の女王」を見ないなんて非国民よ!!
的な放送はいったいなんだったんだろう。と言う感じです。
「アナと雪の女王」が原因で離婚。などと言うトピックがネタとしか思えないほどです。

もっとも、これは個人の意見(便利な言葉だなあ)ですので、ご自由に評価してください。

ま、一番の突っ込みは「こっちが主人公かい!?」でしょうかねえ(笑)。