正義というのは本来、人々の幸せとか平和に役立つためにあるものと思ったのに、ここ最近の風潮は、もう、正義が息苦しい思いがします。
そう言うと、
「悪がはびこる世界がいいのか!?」
という話になってしまうのです。
いや、おっしゃる通りですよ。「正義は正しい」のですから。
でも、
「俺の言ってること、なんか間違ってるか!?」
と正論を言う人って、めちゃくちゃ面倒くさいじゃないですか?
(だって、自分がそのタイプだったから)
今の空気は、そんな感じ。
例えば、芸能人の不倫。
もちろん、「不倫は悪いことじゃない」と言うつもりはありません。
「人の倫(みち)ならざること」
なんですから。
でも、その正義の振りかざし方が、人によってバラバラなのは、どうやっても納得ができません。
「大物芸能人だからセーフ」
「事務所が大きいとスルー」
「好感度だけだからアウト」
「笑いに変えたから有り」
「パートナーが許したんだから、仕方がない」
てな具合に、「社会的制裁」ってのが、全然公平じゃない。
これって、正義ですか?
あらゆる表現にしてもそうで、
「こんな表現はけしからん!」
「これは人を差別している!」
と中止されたり、表現を変えたりしたりするという事態も多々聞きます。
もちろん、明らかに社会常識から逸脱してる。というのならまだしも、
「自分が不愉快」
「言い方が気に食わない」
としか思えないクレームだったりすると、それはちょっと、変だろ?と思います。
昔はそういう声が製作者側に届きにくかったのでしょう。
ところが今は、簡単に自分の主張を発表できる環境になりました。
思う存分、自分の正義を振りかざせる時代になった。そういう事なんでしょうけど、
「正義のためなら何をしてもいい!」
となっているのではないかと、ちょっと恐ろしいのです。
LGBTの方のような多様性を認めるべき。と言うのには全面的に賛成です。
(自分への反省も含めて)
でも、
「そういう人は、そういう考えでいいし、それを否定する気はないけど、自分は、男女が子孫を残していく事が正常な状態だと思っている」
という主張を認める「多様性」は、たぶん認められないんじゃなかと思います。
これだけ、「正義」が幅を利かせている社会では。
「そんな考えが許される訳がないだろう!」
「発言する神経が異常!」
と炎上するんでは?
僕は、それが息苦しさを感じる原因だと考えています。
むかし、月刊アウトという雑誌があり、ゆうきまさみさんの作品で
「戦争反対」という社会で「マクロス」というアニメの戦闘シーンを、隠れて見る。
という話がありました。
「かかる平和な時代に、こんな過激な戦闘シーンを見るとは何事だ!」
と官権?に踏み込まれて殴られる。というラストです。
当時、この話のテーマというか恐ろしさが、意外とわかってない人が多かったらしく、驚いたことがあるのです。
が、そんな時代が実際に、これから来ないとも限らないと恐れています。
そう言うと、
「悪がはびこる世界がいいのか!?」
という話になってしまうのです。
いや、おっしゃる通りですよ。「正義は正しい」のですから。
でも、
「俺の言ってること、なんか間違ってるか!?」
と正論を言う人って、めちゃくちゃ面倒くさいじゃないですか?
(だって、自分がそのタイプだったから)
今の空気は、そんな感じ。
例えば、芸能人の不倫。
もちろん、「不倫は悪いことじゃない」と言うつもりはありません。
「人の倫(みち)ならざること」
なんですから。
でも、その正義の振りかざし方が、人によってバラバラなのは、どうやっても納得ができません。
「大物芸能人だからセーフ」
「事務所が大きいとスルー」
「好感度だけだからアウト」
「笑いに変えたから有り」
「パートナーが許したんだから、仕方がない」
てな具合に、「社会的制裁」ってのが、全然公平じゃない。
これって、正義ですか?
あらゆる表現にしてもそうで、
「こんな表現はけしからん!」
「これは人を差別している!」
と中止されたり、表現を変えたりしたりするという事態も多々聞きます。
もちろん、明らかに社会常識から逸脱してる。というのならまだしも、
「自分が不愉快」
「言い方が気に食わない」
としか思えないクレームだったりすると、それはちょっと、変だろ?と思います。
昔はそういう声が製作者側に届きにくかったのでしょう。
ところが今は、簡単に自分の主張を発表できる環境になりました。
思う存分、自分の正義を振りかざせる時代になった。そういう事なんでしょうけど、
「正義のためなら何をしてもいい!」
となっているのではないかと、ちょっと恐ろしいのです。
LGBTの方のような多様性を認めるべき。と言うのには全面的に賛成です。
(自分への反省も含めて)
でも、
「そういう人は、そういう考えでいいし、それを否定する気はないけど、自分は、男女が子孫を残していく事が正常な状態だと思っている」
という主張を認める「多様性」は、たぶん認められないんじゃなかと思います。
これだけ、「正義」が幅を利かせている社会では。
「そんな考えが許される訳がないだろう!」
「発言する神経が異常!」
と炎上するんでは?
僕は、それが息苦しさを感じる原因だと考えています。
むかし、月刊アウトという雑誌があり、ゆうきまさみさんの作品で
「戦争反対」という社会で「マクロス」というアニメの戦闘シーンを、隠れて見る。
という話がありました。
「かかる平和な時代に、こんな過激な戦闘シーンを見るとは何事だ!」
と官権?に踏み込まれて殴られる。というラストです。
当時、この話のテーマというか恐ろしさが、意外とわかってない人が多かったらしく、驚いたことがあるのです。
が、そんな時代が実際に、これから来ないとも限らないと恐れています。