徒然なるままに~徒然の書~

心に浮かぶ徒然の書

十七条憲法九条の意義

2020-01-15 13:16:35 | 随想

十七条憲法は聖徳太子の作だとか、違うとかの議論は何の意味もない。

聖徳太子と無関係であったとしても、憲法の持つ価値が低下するなどということはありえない。

古の国の制度を範として取入れたけれど、その国では、既にその制度を捨て去ってるにも拘らず、

我が国では依然として旧態歴然の制度を重要視している。

官吏登用の試験にしても単なる学科の知識の試験であって、受験用の能力を試すだけのものに成り下がっている。

小さな子供のころから、子供らしさの遊びも知らず、ひたすら塾通いの生活を強いられた子供たち、世間との付き合いもたって、

受験のための勉強に精出した結果が、世間と隔絶した世間知らずの片輪な人間が生産されたに過ぎない。

それがやがては、人を裁き、政を動かそうとする国家の中枢を占めるのだから、

世の実情に合った判断とはかけ離れたものが出来上がるのは当然と言えば当然のことである。

現在の官僚自体、学閥の形成の凝り固まった、実際に優秀な人材を得る事は二の次でしかない。

これらの任官した者たちが、真に国民のためにという真心があるなら何事も達成できるだろう。

だが、真心がないならどんな政策を行おうと何事も達成できないのではと思う。

国の政はすべからく、為政者達のまごころに掛かっていると言えるではないだろうか。

真心は政の根本、いや人の道の根本なのである。

今の政治屋や官僚にその根本が欠けているとしか思えない。

国の政は国家自体、国家を形成する民草に対する真心のあるなしに掛かっている。

一つの制度を作り出すにしても、官僚たちに真心がなければどんなことも失敗するのではないでしょうか。

今運用されている制度がすべからく失敗の連続であるのは、単なる時代の経過によるものではないだろう。

 

見通しの悪さは勿論の事、先見の明の欠落した者たちの施策、途中失敗すれば民草に責めを負わせればいいという安易な考えが、

心の奥底に潜んでいるかであろう。

民草はその様な失政を追求しなければならないのだが、余りにも無関心である。

事柄の大小にかかわらず、適任の人を得られれば世は収まる。

それはどんな時代であっても、時代の動きや緩急に関わりなく、賢者が出れば豊かでそしてのびやかな世の中になるのは、

他国の歴史で証明されてはいるが、我が国に於いては今だかってそのような人物が輩出したという歴史はない。

今のマスメディアなど権力に迎合して何ら己の信念を露わそうなどと言う気概のあるものは見当たらない。

 

真心は人の道の根本である。

何事にも真心がなければいけない。

事の善し悪しや成否は、すべて真心のあるなしにかかっている。

官吏たちに真心があるならば、何事も達成できるだろう。群臣に真心がないなら、どんなこともみな失敗するだろう。

 

十七条憲法九条に

九曰、信是義本。毎事有信。其善悪成敗。要在于信。群臣共信。何事不成。群臣无信。万事悉敗。

とある。

 

書き下してみると

九に曰く、

信は是れ義の本なり、毎事に信あれ。

其の善悪成敗、要ず信に在り。

群臣共に信あらば、何事か成らざらん、群臣に信無くんば、万事悉ことごとく敗れん。

と私には読める。

この書き下し文で、改めて現代語に直す必要も無いのだが・・・・

第九条

信は義の根本である。

何事においても、信がなければならない。

善悪成敗は、いかに信があるか、無しかによって決まる。

群臣共に信あるならば成らざる事は無く、群臣に信が無ければ万事ことごとく敗れるであろう。

我が国の政治屋や官僚と呼ばれる者達に、民衆の信に応えるだけの信を民衆に返しているだろうか。

ただ与えられた権力を保持するために、民衆のあらゆる生活の場を規制して権力の片鱗を表して、権力を誇示しているに過ぎないように思える。

諸外国と比較してみると、如何に無駄な規制が施されているかが歴然として、その生き方の窮屈さに驚かされるばかりである。

外国で自由であるものが、我が国では厳重に規制されて、国民を苦しめていることがいかに多いか。

諸外国に見る様な民衆の自由な気風と言うものを押さえつけている。

これではとても信ありとは言えないように思うのだが・・・・

早い話、政治屋として世界最高の年収を得ている国会議員が、所得倍増の年収五千万の決議を可決したら、果たして民衆は抵抗を示すだろうか。

憲法を改正してまで、また軍備を増強し、戦争の準備を行おうとする阿呆な輩が蠢いている。

その結果、政治屋や官僚が悪いと言ってもそれは通らない。

悪いのはその様な悪徳な政治屋を択んだ己自身であるということを忘れている。

如何に民主主義の根本原理だとは言っても、参政権は諸刃の剣である。

参政権の行使はおのれの首を締める事になるということをもう一度真剣に考える必要があるのではないだろうか。

参政権を行使した人々に問う。

おのれは本当に国を思い、民の幸福を思う真心を持った人物に政をゆだねる投票をしただろうか、と振り返ったことがあるか。

今を生きる日本人にとってこの十七条憲法の九条の言葉は実に重要な意義を持っていると思う。