徒然なるままに~徒然の書~

心に浮かぶ徒然の書

自然の摂理

2020-01-30 14:51:24 | 随想

自然の摂理

近年の自然の空模様、天候の具合は、気圧配置はこの頃年ごとに異常な姿を辿っている。

この後もこの姿が続くとすれば、植物の世界も随分と変化させられることだろう。

植物に限らず、この地球という惑星上の生き物は過酷な条件の中で生きることを強いられるようになるだろう。

花を咲かせたとおもったら、雪がちらつき、埋もれてしまっては果実を、即ち子孫を残す事さえもできなくなってしまうものもある。

如何に自然の摂理とは言え、生き物が子孫を残すことが出来なくては、この地球上から淘汰されてしまうといことである。

先に降った雪の間から顔おだし、ようやく花開いた花たちも、今日降る雪に耐えられるのだろうか。

雪の中から顔を出す草花だけに、寒さや雪などには強い種族とは言っても、咲いてしまったところに雪が積もっては如何ともしがたい。  

雪が自然に溶けるまで果たして雪の中でじっと我慢できるのだろうか。

生きとし生けるものは、自然の摂理に振り回されて生きているのだが、耐えられずに絶滅してしまう諸族も過去数多くあった。

太古から幾多の生き物の種族が絶滅し、また興ってきたことか。

多くの生き物の中で、人間と言う生き物の種族が、傲慢にもその自然をさえ変えようとさえしている阿呆な国さえある。

その為に、現在この惑星に生息している生き物の生存が、危うくなるものがあるとすれば、それは人間と言う生き物の種族の傲慢さによるものといえる。

その人間と言う生き物が己さえも絶滅に追い込む様な生存の仕方をしているとすれば、

この惑星はおのれ自体を食い尽くす人間と言う生き物の存在を許すはずもなかろう。

人間と言う生き物の傲慢さは止まるところを知らず、この惑星の摂理を変える様なことを見境もなく行おうとしている。

この惑星に存在するものを食い尽くし、果てはどうなるのか考える事すら怠っている。

畢竟、人間と言う生き物は、一度はこの惑星から姿を消すことになるのだろう。

この惑星の自然の摂理を変えるほど人間と言う生き物の数が増え続けること自体も、この惑星の自然の摂理に影響を与えているとすれば、

自然はそれを許すはずもない。

この地球と言う惑星が、宇宙の星屑となることなく永遠に存続する為には、この上に生存する生き物を選択し淘汰する必要があるだろう。

いわゆる現代版ノアの箱舟である。

この惑星にとって、神の領域を犯す、とよく言われる様なことを考え、あるいは行う生き物は必要ないのかも知れない。

この惑星はこの宇宙に己を残すための準備を今着々と進めているのかも知れない。

その準備が完了した時、傲慢この上もない人間と言う生き物の種族は、この惑星の上から姿を消し、見ることが出来ないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

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