老子の言葉に功遂げて、身の退くは、天の道なり、という言葉がある。
十五歳で藩主となり十九歳で国入りして十年と少々おおよその藩の立て直しを計ったのち三十五歳の若さで隠居し、次世代へと引き継いでいる。
全く無能な輩はいつまでも権力にしがみ付いているが、世の状況は悪くなるばかり。
極点に達した威勢は衰退につながるという事さえ知らないらしい。
責任を果たすなどといったところで、その責任とは何ぞやといわれて、明快な返答を為せると思っているのだろうか。
鷹山の伝国の辞といわれているものは、引退に際して、後を引き継ぐ治広に残した辞である。
治憲は隠居して号を鷹山とした。
鷹山の伝国の辞といわれている、三カ条である。
一、国家は先祖より子孫に伝え候国家にして、我、私すものには之無く候。
一、人民は、国家に属したる人民にして、我、私すべきものには之無く候。
一、国家人民の為に立てたる君にして、君のために立てたる国家、人民には之無く候。
之には鷹山の思想が見事に表されている。
当時の幕藩体制では、とは言うが、現代の形ばかりの参政権による現代封建社会体制下では、権力を握った為政者は国民を私し、
国民を単なる税源としか考えていない輩などとくらぶべくもないが、人間の資質に天と地ほどの差がある。
震災復興税にしても、企業は免除し、震災復興のための申し訳程度の給与削減を簡単にもとにもどし、国会の決議であるなどと好き放題は鷹山はしなかった。
己らの利は確保し、国民だけに負担を強要する現代の政治屋という生き物、こんな生き物を鷹山はどのように思うだろうか。
震災復興税とは言うが、人々に対する援助ではなく、また震災で損傷したものの復旧の税ではなく、原発の後処理の費用であろう、
さもなくば四半世紀にも及ぶ増税負担は考えられない。
こんな輩が日本を動かしているのかと思うと情けなくなる、とは言ってもこんな連中を選んだのは己ら自身であるから、己の首を己で絞めているのと何ら変わりはない。
国は権力者の私物ではないと言うこと、国の民、国民は権力を握ったものの私物ではないと言うことである。
民主主義の表象のように思われている参政権によって選ばれたとは言っても、選ぶ対象が全く変わることもない、
国民を国民とも思わない連中であってみれば、参政権は全く機能しない無用の長物。
国民は国家に属しているのであって、たまたまそこに遭遇した権力者や官僚たちの私的財源ではないのである。
一国の大統領あるいは首相と言ったところで、たまたまそのとき国に、国民に遭遇した権力者であって、
単なる思いつきで、国の将来や国民の将来を変えるような行いを為すには、よほど慎重でなければならぬ。
鷹山の経営学とは言うが、単なる企業のものではなく、国家経営の指針となるべきものではある。
最も、そのためには、鷹山ほどの頭脳と資質の持ち主でなければ、鷹山を学んだところでなんの役のも立たないのは、
戦前の孫子の兵法を学んだ連中にとって、それは全く役に立たないで、国を滅ぼしたのと同じである。
因みに、伝国の辞とともに、世に有名な言葉として伝わっているのが・・・・
成せばなる 成さねばならぬ 何事も 成らぬは人の 成さぬ成けり
これは
為せば成る、為さねば成らぬ成る業を、成らぬと捨つる人のはかなき
武田信玄の言葉を模したものといわれている。
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