徒然なるままに~徒然の書~

心に浮かぶ徒然の書

人間の無知と知

2020-01-29 19:17:02 | 随想

旧約聖書の創世記においてエデンの園を追われる以前のアダムとイヴがそうであった様に、無知は必ずしも悪徳とはされない。

無知とはある意味では純粋さの象徴であり、

蛇の言葉に従って知恵の実を口にしたアダムとイヴは神の言い付けに背くとともに楽園の住人の資格である純粋さを失ったのである。

神という輩は人間という生き物、いや生きのもすべてが、己のいうままに生きることを己の権威だと思っている節がある。

アダムとイヴが己の言いつけに背いたことに我慢がならず、人間という種すべてにアダムとイヴの犯した罪を負わせようとしている傲慢さが見え隠れしている。

キリスト教辺りではこれが原罪だと言って人間に罪を負わせているのだが、この神というのがヤハウエーという嫉妬の塊みたいな輩であって、

人間という生き物を殺すことに楽しみさえ見出している輩である。

シナイ山しかりバベルの塔しかり、ノアの箱舟に至ってはほとんどすべての生き物を殺戮した輩である。

アダムとイブに知恵の実を食されて、己の言うがままにならなくなっては全能の神だという己に逆らわれては大変に困ったことになったであろう。

ギリシア神話でプロメーテウスが人間に火を与えたために、ゼウスにその身を苛まれることとなったのは、一方から見れば無知が美徳ですらあるためである。

神と呼ばれあるいは自任する輩はその支配下の民草が知恵を持つことを非常に恐れる。

それ故に、神の意志に反することを行ったものには大いなる報復をなしてきた。

それがアダムとイヴでありプロメテウスであるが、神という輩は特にヤハウエーなどの嫉妬心の強い輩は後々のもの達にさえその責めを負わせようとした。

それが、キリスト教による原罪というものの正体である。