先立つ彼女を想う
私の思いめぐらすことが刻々と変化している
昨日滞りなく彼女の初七日を迎えた
お坊さんの話しで
ご自身の体験ではないがおじい様の体験を聴く伝えられての話だった
寺の跡取りが戦争に行ったが戦死して遺骨が返ってきた
骨箱には「ただの石」が入っていた
おじい様はそれを観て蓋をしたまま何も言わず黙り込んでいた
一言も言わぬままだったそうである
後で聴くとその時の気持ちは
「バカヤローこの親不孝者めが、親より先に死にやがって!」と言いたかったそうだ
もう一つは
「戦争に行かせたのはこの私だ。すべて私が原因だ」
と感じたという事だった
この話で
自分の言いたかったこと
相手に言いたかったこと
そして御坊様の人柄というか感じる力の大きかったことに脱帽!
山に行くときの挨拶から感じたことを話しますといってこの話を下さった
私が学んでいるところからの表現をすると
まさに『相手にとって有益な自己開示』
4回近しい人の葬儀でもこんなことを話してくださるのは初めてだった
彼女は御坊様を通して伝えたかったのだろうかと・・・
いや・・
私は我慢することが出来る様になったと感じた
3年半ともに暮らし感じていたこと
そして言いたかったこと
それが御坊様の言葉に凝縮されていた
始めはそのことは本人とご両親へ向けた言葉になっていたが
それは私です
私にも言えることだ
が、また
彼女が精いっぱい生きようとする時を共に過ごした
後は無いかもしれないから
その時を100%感じて生きてきたから
後悔は少ない
全くないわけではない
寄り添い続けた息子を
外から見守ることはある意味辛抱がいった
辛抱したお蔭で彼もやりきった
寂しいけど悲しむ必要はないといったが
寂しくて悲しいのだろう
仏壇の前には彼女の写真が有り
その後ろに大きな父の写真がある
彼女の私に
『ママちゃん、だいじょうぶやで。ママちゃんの生きてるのを観て私もそうしようと楽しんだよ!
これが私の精一杯。みんなが幸せになるから・・・・』
・・・・が気になる私だ
このことを通して
私は生きます!
不完全を持ちながら
こけても
失敗しても
立ち上がる
彼女が伝えてくれたことの一つをまた思い出した
「達チャンが言ってたよ。うちのおかんは何回こけてもこりひんわあ~。
ほんで立ち上がるときになんか掴んでおきとるし、その点は尊敬するわ」って言ってたよ
この言葉は私の生きる支えになっている
彼女がいなければそのことは伝わってきてはいない
彼女が私に一杯生きる力を伝えてくれていたんだな
感謝
写真を観ると
ままちゃん、おそいわ。やっとわかったん?えへへ
と言っている彼女を直視できるようになった
辛い事、楽しい事、嬉しい事、怒りたいこと・・・
喜怒哀楽
生きている証拠だな
そして抱える強さも体験し
問題の区別化も体験した
目指すと決めたからやってきたとしたら
越えていくというセンスになるのだろうな
あなたの教えを大事に生かすね!
「うん。ありがとう」って言ってくれている