帰宅して
春雨スープを創って缶ビールを飲みながらテレビを見ていた
二階でそんなことをするのは久しぶり
デモさみしいなあ・・・
物足りないなあ・・・・・
理由は・・・
若い彼女に
多少の遠慮もあったしちょっぴり気を使っていた
若いあの子に
時々私の家なのに「なんでかなあ・・・」と感じながら
私の調子の悪いときは私が友達の家へ居候して・・・・
居なくなったことが今頃さみしい
彼女の調子の悪いときの何とも言えぬ顔つきはその時はいやだなあと思っていたが
今は鮮明には思い出せない
達也が選んだ写真の笑顔がいつもあったような気がする
何を言っても返事しなかった彼女が
おはようと言ったら「おはよう」といい
只今と帰ると
お帰りと言ってくれていた
自由にしてよい私の家なのだが
気を遣わなくてよくなったのだが
遠慮もしないでテレビも見て
音楽も好きなものを大きな音でかけてよいのだが
若いあの子にやられてますわ・・・
ままちゃん、着物来てモモちゃんと遊びに行きたいんやけど
私が着ていい着物ってある?
どれがいいかなあ・・・・
と言ってツバメの絣の着物を
襦袢だとか足袋・草履・・何もかも
準備して友達のところへ行ったっけ
あの時の嬉しそうな
楽しそうな笑顔が・・・
何をしても思い出す
風呂に入っても・・・
トイレに入っても
あの子のこだわりがあったなあと
父と同じ日に・・・
親にしなかった第二次反抗期を我が家で出した彼女
短いようでいろいろ凝縮して共に生きた3年半
時間ではなく質だということだが
まさに
若いあの子にやられました・・降参です・・・
娘でも嫁でもない
けれど・・・
自分の子供の様に喧嘩をし一緒に泣き楽しみ
大声で笑った
彼女が生きている間はあまり感じなかった
でも
時間がたつにつれ
共にいきてきたんだなと感じることが強くなってきている
共に生きるということは
辛いことも楽しいこともいろいろ一緒に経験することなんだなあ・・・・
そう思えば息子と3人いろいろありながら
共に生きた
一人いなくなると
さみしいねえ・・・・・
これからが・・と期待もあったからだろうか・・
寂しいね
今はそう感じている