続・タグさんの風雪

あっこんなところに・・
という感じであちこちに生存の痕跡を残そうという儚い試みです。

100回目のカキコ

2010-06-06 19:20:50 | 日記

ブログは2月16日に開設してから早や四ヶ月になんなんとしている。



一年の三分の一が経過したことになる。



2月16日の家計簿を読み返してみたら、スーパー玉出で2748円の買い物をしている。細目は食料品となっていて、当時は冷蔵庫に食糧が詰まっていて、困窮の度合いもそれほど酷くなかったことが窺える。



自分が特異な状況に置かれているという意識は長い期間常に持ち続けていたが、それを記録に留めて尚且つ公に晒してしまえという試みに踏み込んだのは、このまま人知れず人生を終えてしまうことになるかも知れないという終末思想のようなものや、自分の生に対する達観のようなものが全体の背景に流れているのだろうが、隠れて息を潜めて時間の経過だけを待ち続けるという生活習慣に対する反動のようなものがエネルギーに変化していったからかも知れない。



非生産的な行為を、あるいは反社会的な行為を、意欲や熱意を持ったまま普通のことのようにやり続けるというのは普通の人間には無理なのかも知れないね。



あるいは普通にはその選択ができないように社会制度や人間性の形成過程で抑制されているのかも。



捕まえることが出来ない泥棒とかもきっといるだろうから、そういう人は偶然捕まらないのではなく、何らかの精神手法を用いて前向きに悪事を働いているんだろうね。



武士の切腹の作法なんかもその一つなんだろうという気がする。



自分が存在しなくなるという自刃行為も、それを厳格に目的化することで達成することができてしまうのだ。



恐ろしいことではあるが、同時に人という生き物の可能性を示す上で重要な認識になる気がする。



私にも来年の2月に向けて計画的に準備しておかねばならぬことが幾つかある。



遅くとも1月中にもう一つ部屋を借りて、二箇所の居住地を確保しなければならない。



最低でも2、3月は二箇所の家賃を払うことになる。



そうしておいて、今の住所地に住民登録すると同時にどこかの新設銀行に偽の生年月日で口座を開設し、クレジット口座の再生のための作業を開始するのだ。



そうすることで金融データベースには私が二人いる状態になる。



年金の受給申請はその後に行うことになる。



社会保険事務所の送金処理で口座名義人の生年月日の突合まではしないから、振込口座が債権取立て会社の差し押さえを受けることはなくなる。



金融機関の口座の洗い出しは生年月日と氏名だから、先々のことを考えれば、最低ここまでは来年2月までにやり遂げねばならない。



自分の戸籍を売って誰かの戸籍を買って別人になってしまうという方法もあるが、私が損することになるし金もないからそれは出来ない。



蛇の道を正道に変えてしまうに足りる充分な動機を築き上げられるかどうかはやってみないとわからない。



やけのやんぱちで乗り切れるような単純なことではないから、相応する建設的な熱意や生に対する執着がなければならない。



二人の友人の存在は私にとって神に等しい。














9Q回

2010-06-06 03:17:20 | 日記

あと一回で丁度100回目になる。



このブログの書き込みのことだ。



100回くらい書いてみて、それで自分の中に何か発見があったら、それを基点にまた組み立て直すんだとは、開設の当初に誰かに言った気がする。



果たして想定した100回になるのかただの通過点なのか今はまだ定かではないが、自分を晒すという過程で一種のカタルシスが形成されてきているのは確かだろう。



それで飯を食っているわけではないのだから、漠とした自分のためという理由だけでも許容されるのだろうが、これが歳のせいなのか欲深い業なのか知らんが、何かもっと明確な設えが必要な気がしている。100回は次の設えに向けて一度振り返ってみる機会と捉えることにしょう。



賽の河原の石積みも、このブログの回数も、はたまた己の齢の積み重ねにも、本物の鬼が出てきてくれぬだけで大差はあるまい。夢も希望も己が創るものなのだから、つまらぬ作文の独り言ではあっても、それすら成さぬ人生よりいくらかましな気もするのだが。



さてさて、最近出歩く機会が多くなって改めて身辺を見回してみると、此処は随分と便利な場所だということについ最近気がついた。



誰も言ってくれないし気付かなかったのだ。



近所に駅が四つもある。



環状線の大正駅、ドーム前駅、汐見橋駅、地下鉄桜川駅だ、少し歩けば四ツ橋駅や近鉄難波駅がある。各線が何処をどう走ってるのかは知らないが、どこへ行くのも極めて便利に出掛けられる。



大阪に住み始めてかれこれ15年以上になるが、電車に乗って何処かに出掛けるということがなかったせいか自分の棲み家の周辺しか知らなかった。



求職のために出掛ける機会を得て初めて便利さに気が付いた。



金や趣味があれば楽しく暮らせそうないい場所に居るようだ。



以前長く住んでいたのは梅田の梅新の交差点のところだが、人に言うと怪訝な顔をされることが多かった。普通に住む場所としては理解できないところであったのだろう。



次に四年ほど住んだのが大国町なのだが、こちらは逃亡生活の隠れ家だったから外出も近所のスーパー位で、せいぜい徒歩で難波や心斎橋に出る程度のものであった。電車など年に数回も利用していない。



梅新も大国町も何かの便宜や事情があって住んだ場所だから、そこで暮らしたという生活の実感は薄い。



そういう意味ではここ木津川は私の大阪暮らしの本当の出発点なのかもしれない。