太鼓台文化・研究ノート ~太鼓台文化圏に生きる~

<探求テーマ>①伝統文化・太鼓台の謎を解明すること。②人口減少&超高齢者社会下での太鼓台文化の活用について考えること。

旧・新宮町千本の屋台(現・兵庫県たつの市)

2020年08月02日 | 掛声

長崎・椛島(かばしま)町コッコデショが「こっこで、しょー」と発して太鼓山(太鼓台のこと。太鼓打ちの乗子を「太鼓山」と呼ぶこともある)を頭上高く放り上げる様子については、2018長崎くんち・椛島町コッコデショのYouTubeなどで数多く参考して見ることができる。椛島町コッコデショの場合、その意味合いは「ここで、しよう」(太鼓山を、クライマックスの今、この場所・タイミングで放り上げ、立派に奉納しよう!)であった。この掛声「こっこでしょう」に極めて似ている文化圏内の地方は、果たしてあるのだろうか。確認数は少ないが、屋台(太鼓台)舁きに使用されている地方として、標記の千本屋台がある。但し、運行時における掛声「こっこでしょ」の意味合いは全く異なっている。

双方の掛声の酷似や千本屋台の掛声について説明する前に、千本屋台の特徴や太鼓台文化圏における位置づけ・存在感などについて、2001年3月に旧・新宮町から発行された『町史点描・新宮物語』(筆者の寄稿文)で振り返ってみたい。

①千本屋台=「太鼓台-分岐・発展へ(4)」で紹介した画像

②小宅神社の絵馬(おやけ神社、たつの市、部分。明治期?年代不詳)-上の2台の神輿屋根型屋台と一緒に描かれた丸天井の蒲団型と思われる屋台。

③林田八幡神社の絵馬(明治14年1881)=「各地の絵画史料に描かれた太鼓台」(2019.4付)の画像

町史点描・新宮物語』では、①蒲団天部に丸い膨らみ構造があること。その内部構造を現地取材し、同様構造を持つ太鼓台文化圏内の他地方の太鼓台等についてもその関連を述べている。②荒々しい「エンヤサー」と呼ばれる担ぎ方について、西日本で普遍的に船のことを言う「エンヤ」(瀬戸内では大型の船・小型の舟を意味する)との関連を推論している。また、③千本屋台の来歴については近隣地区から大正期に伝えられたことから、担ぎの所作や運行の様子等の広がりが千本屋台のみに特化したものでないことが伺えると思う。

※蒲団型の太鼓台は各種太鼓台の中でも分布の数も多く、小型・簡素なものから大型・豪華なものまで種類も多い。太鼓台発展の歴史は、蒲団型の太鼓台が大型・豪華に発展していくことと密接な関連性があると確信している。このため、「太鼓台‥発生から、分岐・発展へ(1~5)」(2019.3~4)にて具体的な形態や発展の様子を画像付きで詳報している。今後的にも、現行の蒲団型太鼓台のスタンダード形態である「蒲団枠型」への変化・発展過程を更に探求していきたいと考えている。なお蒲団部構造に興味ある方は、「太鼓台の共通理解を深める・蒲団構造に関する一考察」として、既刊『地歌舞伎衣装と太鼓台文化』(2015.3.31)72-107Pにおいて詳しく論及しているのでご参考いただけるものと考えている。

平成10年(1998)の旧・新宮町での見学当時、私の探求点は長崎コッコデショとの掛声の酷似点よりも、蒲団型太鼓台の蒲団部構造及び太鼓台と船・舟(私の地元では船のことを〝エンヤ〟と称すとの関係について理解を深めたかった。そのため、その後の『町史点描・新宮物語』では、千本屋台の掛声の詳細については触れることはなかった。(参考/長崎コッコデショの見学=1990.10、千本屋台の見学=1998.10、『町史点描・新宮物語』寄稿=2001.3)

今回改めて千本屋台の運行時における掛声を以下に示し、長崎コッコデショとの関連や酷似点を探ってみたい。

(指揮者)コッーコデショ  (舁夫)ソコジャイ

       コッ-コデショ       ソコジャイ‥舁棒から肩を抜く

                   コッコデ、コッコデ、ヨイトセ‥屋台を下して地面に据える。

掛声「コッコデショ」に関しては、長崎が奉納のクライマックスである放り上げ時の勇壮な掛声であるのに対し、千本では奉納一段落時の鎮めの場所決めの掛声であった。同じ文言であるにも関わらず、方や太鼓台の呼称にまでなった長崎に対し、千本では運行時の最後の地味な掛声として存在している。

千本屋台の神社奉納時の一連の掛声としては以下のものが確認された。

 サーシマショ‥舁き始めの掛声。一気に頭上高く屋台を差し上げる。

 エンヤサ、エンヤサ‥台足を地面に下さず、大波に翻弄されるように、屋台をシ-ソ-のように大きく揺さぶる。

 サーシマショ‥再度差し上げる

 マワセ‥台足に取り付いた舁夫は肩に入れて台舁きをする。他の舁夫は、力一杯舁棒を回転さす。

なお、神社拝殿で拝礼を済ませた屋台は、近くの奉納場所まで一気に走る。その場所で「サ-シマショ」「エンヤサ」「サ-シマショ」「マワセ」の順で奉納する。そして奉納の終わりに前述の「コッ-コデショ」で屋台を所定の据え場に鎮めていた。

興味深い〝乗子の反り返る所作

興味深いのは乗子の反り返る所作である。当時の取材ノートには「手を交互に斜め上方に振り上げる、或いは両手を広げてのけ反(ぞ)るように後方へ反(そ)り返る」とある。長崎椛島町コッコデショも同様な所作をしている。千本に近い兵庫県下の屋台乗子の所作にも同様な反り返りがごく一般的に見られる。またこれまでに見学した太鼓台文化圏各地でも、同様な所作を数多く見ている。太鼓台が伝播していく過程で、掛声や所作が太鼓台と一緒に伝えられたことが偲ばれる一例だと考えている。

この小論の終わりに、最も簡素・素朴な形態の太鼓台を紹介したい。勿論紹介する太鼓台は、本論の千本屋台や長崎コッコデショとも随所に関連が偲ばれる太鼓台である。(各地の太鼓台は船をなぞらえた存在で、そのため荒々しい担ぎ方もするし、乗子の反り返り所作等も知らず知らずの内に太鼓台と共に伝えられている)

島根県隠岐の島「旧・西郷町宇屋のだんじり(舞)‥2002.7.28見学

上から、御崎神社境内での左右に振る荒々しい奉納。だんじりの形状は江戸期の大井川・輦台風で、画面左にはこのだんじりの台が見える。次は、乗子が太鼓を叩いた後に2本の太鼓ブチを揃え、左右の斜め後方へ振り上げる(反り返り)所作をしているところ。勿論、事故防止のため乗子は勾欄部に縛り付けられている。下は、西郷港で一休止のだんじり。この舁棒1本に8人ずつ計16人が取り掛かる。他に音頭取りが1人、だんじりの運行を取り仕切る。

(終)


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