太鼓台文化・研究ノート ~太鼓台文化圏に生きる~

<探求テーマ>①伝統文化・太鼓台の謎を解明すること。②人口減少&超高齢者社会下での太鼓台文化の活用について考えること。

Web写真展~各地と連鎖する、明治の基準太鼓台「箱浦屋台」

2023年11月01日 | 写真展

今回の発信は、過去2回の「明治の基準太鼓台・箱浦屋台」写真展について①、②(2023.9.19、9.21)を統合し、加えて実際の写真展を忠実に再現しようとしたものです。従って前回の①と②は削除し、実際の写真展での配置を意識したものとなっています。なお、写真展の構成は、先ず最初にプロローグ、次いで➊~➑参考資料等⑴・⑵の順となっており、各項目の冒頭には展示のグループを参考添付し、項目の区切りには線引きを挿入しました。

プロローグ

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➊丸い波頭(なみがしら)

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➋岩肌表現

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➌後頭部の連結

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➍龍目尻の三角筋

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➎足の裏表現

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➏作品の酷似

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➐牡丹花&顔

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➑鋭い波涛(はとう)

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参考資料等⑴

 

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参考資料等⑵

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明治8年(1875)に誕生し、主要装飾刺繡を明治時代を通じて整えてきた箱浦屋台は、蒲団〆(初代と明治41年のもの)、掛蒲団(明治14年)、水引幕(明治29年)と、その制作年代が判明している。箱浦屋台が、中西讃・東予・西阿地方の〝明治の基準太鼓台〟と目されている所以である。その特徴は、この地方の〝一時代前の太鼓台〟を物語る、外観の規模・絢爛豪華一辺倒の一歩手前の装飾刺繡にあり、150年近くを経た時代の流れを追体験できることにある。

その刺繍群は、この地方で著名な縫屋〝松里庵・髙木工房の手になるもので、中でも特に水引幕には〝工房・松里庵の技法〟が、幕面の随所にちりばめられている。その結果、これまで制作工房や年代が分からなかった数多くの各地の年代物古刺繍との比較検討を、展では〝連鎖する〟と形容したように、甚だ容易にできるようになった。このことも、箱浦屋台が過去の存在ではなく、現在の私たちにとって、真に有難い〝遺産〟としての存在であることを物語っている。

[アンケート集約]

観音寺市観光協会様のご協力を得て、下記のようにアンケート集約が完了しました。アンケートをお寄せいただきました皆様、ありがとうございました。(2023.11.16)

追記

この写真展は観音寺市豊浜町・ちょうさ会館にて、しばらくの間開催されています。写真撮影等もOKです。

(終)

 

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