社長の卓球日記

卓球の遠征記、その他日々感じたことを

高田高校優勝を分析!

2011-06-05 06:15:16 | Weblog
 まずは試合を分析したいと思う。

 決勝対専北戦、1番金野―星戦は順調に星が勝利したが星の強打に対して金野は負けずに打ち返していた。金野は、準決勝水沢戦の2番で大槻をセットオールジュースの大接戦を制し貴重な1点を挙げチームの3-0勝利に貢献、決勝への弾みを造ったことは非常に大きいものだった。

 2番村上―阿部戦は、前半戦の山と思われたが村上の気迫と戦術が勝り、貴重な1点を挙げチーム勝利への可能性を引き出した事は非常に大きく、チームが勝利したその時彼はこらえきれない涙を流していて高田高校の勝利への執念を象徴していたのである。

 3番金野・今野―大野・星戦は、大方の予想では難なく専北勝利かと思われたが、高田ペアの思い切りの良さと粘りが勝利の女神を呼びこみまさかの3-0で勝ち、優勝へのカウントダウンが始まったのである。 

 4番片山―大野戦、まずは順調に大野が勝利した。それでも片山は、準決勝水沢戦の1番で高橋優人を接戦の末下し貴重な1点を挙げチームの3-0勝利に貢献、これまた決勝への弾みを造った貢献度は素晴らしいものだった。

 いよいよ決戦の5番ラストである。
 
 これまで3度戦い一度も勝ったことの無い、今野―北原戦が始まった。
動きの硬い北原に対して、今野はダブルスの勢いそのままに1・2セットを連取
3セット目も10-5とマッチポイントを迎えたが、その前に専北がタイムアウトを取った時から北原のプレーが変わって来ていたので、私はこのままでは終わらないかもしれない、そして生みの苦しみもあるはずだとなぜか感じていた。
 まさに、その通りとなり北原はそこから7本連取してセットを取り返し逆転勝ちさえ見えてきたのである。今野は逆に優勝へのプレッシャーか、硬さが見え始めて来ていたのである。
 いよいよ、運命の4セット目である。
 出だしは、3セット目後半の通り北原が有利に試合を運んでいたが、ある一つのプレーが流れを戻したと私は思っている。
 それは、3セット目後半のラリーを制していたバッククロスを北原がバック前のレシーブのときに今野のフォアにフリックしたのである。
 今野は、バッククロスの打ち合いの為か思いっきりが悪くなっていたが、このボールで息を吹き返したかのように1・2セット同様の動きが戻ったのである。
 まさに命運を分けたプレーであった。

 それでも、北原は責められない。後の事を見越していけばこのプレーは必須だったことは間違いないのであり、ある意味セオリーなのである。
 私が監督でもそう指示したに違いないと思っているからである。

 そして勝負は高田高校の優勝となり専北の連覇は阻まれたのである。

 この優勝の裏には何があるのだろう?
 私なりに分析をしてみた。

 まずは3.11大震災・大津波の影響である。
 そのとき高田は学校での練習の最中に遭遇し、卓球台の下に一旦は身を隠したがすぐ学校の裏山にあるグランドに避難したのである。ラケットも一瞬にして流されてしまったのである。無論大津波は校舎の3階にまで達したのだから当たり前のことであるが使い慣れたラケットを失うことは選手にとって大きなハンディになるのである。
 寒さの中震えながら一夜をそこで過ごし、今野は大船渡の自宅まで25km以上を山道を歩いて戻ったのである。
 さて、その後であるが彼らにはもはや練習場は無い、ラケットも無い、それでもスペアラットを手に集まり、大船渡の山手にある日頃市町のコミュニティーセンターの狭いところで練習を再開したのである。
 その後は内陸地区のいろいろなところから練習場の提供があり、毎日練習に励むことが出来他のである。
 震災後まもなくから、5月連休明けの学校再開まで逆にいつもの年より練習がやりこめたことが一番の勝因であろう。
 この裏には、伊藤先生初め家族の応援やいろいろな方面からの大きな支援を受けたことが、選手達の大きな支えとなりあの感動的な優勝につながったと思っている。

 とにかく、高田高校卓球部と、関係している全ての方々に「おめでとう!」と言いたい。

 また、親を失い転校を余儀なくされた、元高田高校のS選手も盛岡市立の一員としてレギュラーを獲得し活躍していたのも嬉しかった。

 会場で私にあいさつをしてくれ、その時「これからいろいろあって大変だろうが頑張ってくれ!」と激励したが、「はい、頑張ります!」と彼が返してくれた。
 そのとき、私は「本当にあの地震津波が悔しい!」と心の底から感じたのである。
 彼の将来にきっと良いことが訪れるようにエールを送り続けたいと思っている。