福富ストラット

「記者ときどき農夫」。広島の山里で子ども向け体験農園づくりにいそしむ、アラフォー新聞記者のブログ。

予防教育

2019-09-05 00:01:29 | 日記
 昨日に続き、今日も「子ども農園」づくりの勉強のための行脚。東広島市内にあるフリースクールの代表者の男性に会った。広島市内の大学で講師を務めながら、スクールも運営する男性。研究テーマの一つが「予防教育」だという。
 例えば不登校。「不登校の子どもを支える」視点とは別に、「新たな不登校を生まない」「不登校傾向を深刻化させない」ための教育のあり方を考えるというものだそうだ。
 男性が言うには、子どものうち3割は問題なく学校に行く。6割は、学校に行くけどしんどさを抱えながら通うなど、不登校になるリスクを内包する。残る1割は、不登校が深刻でうつ傾向がみられたり自傷行為に至ったりするケースも少なくない。
 「日本の『不登校対策』って、もっぱら最後の1割の子たちをサポートすることで成り立ってきた。もちろんそれは不可欠。でも、真ん中の6割の子どもたちに寄り添う視点が抜け落ちています」。男性は説いた。
 「6割」にいた子がちょっとしたつまづきで「1割」の方に「転落」したり、「1割」だった子が立ち直って「6割」になったけど、また学校の価値観の中で苦しんで「1割」に戻ったり。「国も対策を強めているのに、不登校の子どもは増えてる。『いたちごっこ』を続けるのではなく、『6割』にいる子の方をしっかり支え、深刻化を予防することが重要なんです」
 男性は、自身がこれからやりたいことを熱く語ってくれた後、「子ども農園」構想へのアドバイスもくれた。農作業だけでなく、遊びや料理、講座などの「プラスアルファ」が効果的なこと。農園までの交通手段のサポート。地元の協力者へのフィードバックが持続的活動につながること―。
 スクールが入る一軒家の2階で話を終えた後、1階にある教室も見学させてもらった。子どもたち4人がそれぞれ、問題集を解いたりパソコンと向き合ったりしていた。中学生の男の子は「勉強、苦手なんです」と大声で言い切り、戦国時代の武将や三国志のうんちくを生き生きと語る。いきなりたまげたが、隊員も元戦国オタク。大人げなく張り合う。
 歴史ネタから芸能ネタまで、話題豊富な男子生徒。ただ、表情はどこか落ち着かない。「体でかいね。何かスポーツやってんの?」と聞くと「やってません。あ、不登校っていう活動はしてますけど」といたずらっぽく笑った。
 温かく迎えてくれたスクールを辞した後、市内で不登校の子の学習支援をしている元教諭やスクールソーシャルワーカーたちのミーティングにもお邪魔した。事前の感触から、「カタイ場になるかな」と思っていたが、なんのなんの。人生経験豊富な方々の自由奔放な意見を浴びた。現場の声はひたすら勉強になる。

しのぐ力

2019-09-04 08:57:23 | 日記
 フリースクールや児童発達支援などの事業所を運営する広島県内のNPO法人を訪ねた。隊員が構想する「子ども農園」づくりのアドバイスをもらいたかったのだ。前日の急なアポ入れにもかかわらず、理事長さんが放課後の時間を割いてくれた。
 不登校や引きこもり、発達に課題のある子どもたちが野菜づくりを楽しめる農園がつくりたい。農作業と住民との交流を通じて成長をサポートできる場にしたい。療育などの専門機関ではなく、気軽に立ち寄れる「居場所づくり」なんですっ―。
素人の隊員の「思い」任せの説明に、じっと耳を傾けてくれる理事長の男性。聞き終えると、助言や体験談を語ってくれた。
 子どもの成長の特性、それを踏まえて大人ができること、これまで接してきた子どもたちのエピソードなどなど。どれも経験の裏打ちがあり、勉強になった。共通の知り合いの小児科医もいたことで勝手に親近感を覚え、途中からは隊員の愚息たちの子育ての悩み話に。図々しくてすみません。「子どもは少しずつ成長してるのに、大人は待つことができないよね」。分かっちゃいるけど、難しい。


 小一時間ほどの話で理事長の口からしばしば出てきた言葉が「しのぐ力」。ゲームで負けるといつも泣きわめく子どもがいるとする。その感情を否定せず受け止めた上で、「またやってみようね」と寄り添う。負けを繰り返すうちに、ゲームなんて5回やれば1回ぐらいは勝つことを知り、負けをしのげるようになる。しんどいとき、たった1人でいいから愚痴を言い合える友人と出会う。一緒にしのぎ合う経験を経て、やがて数人の仲間との小さな「居場所」ができる。少しずつ芽生える安心感が、「自分って、生きていける」との自信につながる。
 しのぐ力か。希代の雀士であり作家だった色川武大も言ってたな。長い長い麻雀の戦いでは、しのぐ力、しのぐ時間が大事だと。攻めもせず守りもしない、睨み合って一線を維持している時間。相撲に例えて、「人生15勝全勝を狙うと無理がある。8勝7敗じゃ寂しいから、9勝6敗を目指せ」と。

 理事長自身、発達障害に起因する人とのコミュニケーションの壁に悩んだ経験があるそうだ。「いまも人に自分の考え伝えるのが苦手で、何言ってるのか分からなくなるんです」。ちょっと自信なさそうに苦笑する表情が、むしろ信頼できる。
 この事業所と農園予定地は車で40分ほど離れている。「子どもが自分の手で作物を育てるって、うらやましいぐらい、いい経験。地元から離れて知り合いの目がない場所の方が、子どもにとっては楽なこともあるんですよ」。理事長の言葉に励まされる。まだ青写真段階の「子ども農園」に関心を持ってくれ、現地視察にも来たいと言ってくれた。思いを共有できる人との出会いは何よりうれしい。

石楠花の館

2019-09-03 00:03:31 | 日記

 隊員が活動している東広島市福富町の県道沿いに、しゃくなげ館という施設がある。地元で取れた野菜や加工品の販売所、食堂などが入った物産館。2002年の開館からずっと、地元の住民組織が運営している。

 その運営組織の役員会に初めて参加した。たくさんの住民が生産者や加工・販売スタッフとして関わっている館に、地域おこし協力隊として関われることをみつけようという狙い。ちょうど館の方でも「外部の人の目がほしい」との声があったようで、普段はクローズの会合に転がり込ませてもらった。

 館はいま、「担い手の高齢化」に直面しているという。「ここにおる多くのもんと17年間、一緒にやってきた。みんなその分だけ一緒に歳をとっとりますから」。開館時から支える70代の館長さんの顔には、やや疲れがにじむ。
 取れたての野菜、つきたてのもち、手作りの豆腐、健康ブームにわいた特産エゴマの加工品、地元産品をふんだんに使った食堂メニュー…。どれも人の手で丁寧にこしらえてある。変わらぬ味を好んで、長年通ってくれるお客さんも少なくないという。
 一方で、「変わらぬ」ことに館は限界も感じている。売り上げの頭打ちが続いているのだ。

 隊員も着任前に何度か車で前を通ったり、気まぐれで立ち寄ったりしたことがあった。印象は正直、「うーん、垢抜けない」。
 そういえば先日も、館の関係者と集まった際、一消費者として感じたことざっくばらんに話した。道路沿いの看板が目を引かない。産直市が目立たない。入り口が迷路みたい。メニューが高齢者寄り。物販棚に残念な品も並んでいる。飲食スペースが家の台所みたい。営業時間外でも「営業中」の幟が立ってる…。
 と、挙げればきりがない。そりゃ外野からぱっと見で「あーだこーだ」言うのは簡単だ。関係者さんも「ふん、ふん」と聞いてくれていたが、きっと「ばーか、中の事情も知らんくせに、口ばっかり」と思っていたはず。その通り。知りません、すみません。知るすべもありませんでした。
 その後、いろんな人から「事実」「噂」「文句」「希望」がごちゃまぜになった話を少しずつ耳に挟んだが、館を取り巻く状況はなっかなか複雑そう。でも、だからこそ持て余しているポテンシャルもあるはずだよね。
 昨年の豪雨被害で浸水し、一時は存続も危ぶまれたしゃくなげ館。スタッフや住民たちが集まって必死で土砂をかき出し、掃除して、なんとか営業再開にこぎつけた。スコップをふるったという先輩隊員も言ってた。「ここが元気だと、町も元気」。うんうん。少しずつ、元気が出る関わり方を探ろ。

読書、再び

2019-09-01 23:33:54 | 日記

 「ゆっくりと読書がしたいな」。久々にそう思ったのは、昨日のこと。米子での朝、待ち合わせ場所に先に来ていた同僚隊員が、柔らかい光の中で静かに本を読んでいた姿を見て、にわかに思いがわいた。福富に来て1カ月。あわただしく体と口を動かしてばかりで、落ち着いて読書なんてしてなかった。

 まずは本の整理でもするか。段ボールに入れっぱなしの本の一部を今夜、本棚に移し替えた。何度も味わってきたいくつかの本を、ぽつりぽつりと読み返しながら。

■星野博美「転がる香港に苔は生えない」
 中国への返還が迫る香港の下町に著者が2年ほど暮らし、現地の人と喜怒哀楽を共にしながら返還の日までを記したノンフィクション。初めて読んだのは、隊員が25歳のころか。著者の感性と観察眼にガツンとやられた。読み終えた後もリュックに入れて持ち歩き、居酒屋で友人に読後のコーフンをまくしたててた覚えが…。「体験を書く」ということが持つ無限のスタイルとおもしろさ、マスコミの国際報道では分からない世界の感じ方を知った作品。表紙の写真も好きだな。著者は「華南体感」「ホンコン・フラワー」という写真集2冊も出してて、こちらも大好きだった。

■近藤紘一「バンコクの妻と娘」
 戦時下のサイゴンで新聞社の特派員をしていた著者。再婚相手のベトナム人の妻と子との家庭生活は、世界の激動や日本社会の息苦しさに直面しつつも、一家独特のからっとした温かい時間が重ねられていく。ベトナム留学を終えた後で初めて読んだのだったかな。近藤一家を題材にした著者の一連の著作の中でも、最も好きな作品。自分という存在のちっぽけさ、罪深さを思い知ったからこそにじむ優しさ、ユーモア、的確な視線が詰まっている。

■星野道夫「旅をする木」
 アラスカに暮らし、アラスカを撮り続けた写真家がつづったエッセイ集。学生時代に突然に友人を亡くして呆然としていた頃、紹介されて手に取った。著者も同じような経験を経て自らの道を歩み始めたと知り、「自分にできることは、自分の思うように生きることだ」と思った。決断に迷ったり尻込みしたりしたとき、この本に戻るとふっと心が軽くなり、力がわく。やわらかく、自然で、温かく、芯のある、壮大な文章。いつも自分の人生を生ききっていてこその表現のかたちだと思う。

■沢木耕太郎「人の砂漠」
 「書く仕事」を志していた学生時代、最も憧れた作家。いや、隊員にとっては「ルポライター」としての存在だ。中でも、社会的に誰からも注目されることのない人々たちを描いた短編・中編ルポが収まる本作品には衝撃を受けた。著者が20代のときの作品。世の中にはすごい力量の人がいるもんだ、と思った。ミイラ化した夫の遺体と暮らしていた老女の死の真相に迫る収録作「おばあさんが死んだ」にはシビレた。感化された隊員は駆け出しの新聞記者時代、ベタ記事程度で終わった事件や事故でも、勝手に関係者を探しまくって取材してたな。いつも何らかたちにならず、「あいつ、遊んでんのか」と思われてたに違いない。収録作「視えない共和国」にも刺激され、修士論文は作品と同じ与那国島を舞台にリサーチした。当時の隊員、素直すぎてかわいいじゃん。

 時を忘れてページをめくるひとときは極上。さて、何を読もうかな。