この話は旅行会社時代の事だが私の人生が変わった事件だった。
自分の企画した旅行は自分で添乗するのが原則だが、旅行の日が重なると他のセールスが添乗する、それを業界用語で代理添乗と言う。
私にその役が回って来た、憧れの雄琴温泉経由の京都方面旅行で正直楽しみだった。
電気メーカーの店主招待旅行で人数は60人弱だ、未だ電気メーカーの景気が良い頃で重要な客層の大事な添乗だった。
新幹線で岐阜の工場見学をして雄琴温泉泊まりで有る、当時の新幹線は揺れが未だ激しく私は酔う事が多く苦手だった、しかし向かう先は雄琴温泉で心は弾んだ。
読者の皆様大半は雄琴温泉がどの様な温泉かご存知でしょう、今はソープランドと言うが当時はトルコ風呂と呼んだ、トルコ本国からイメージのクレームが掛かり名称変更したのだ。
客と和むのも仕事の内で「夜はトルコの梯子ですか?」と馬鹿話をし合った。
夕刻雄琴温泉に着く、電車を降りると不思議に感じた未だ早いのかと思ったが、街並みが少し暗く感じる気のせいでは無いだろう、トルコのネオンが全店点灯していないのだ。
ホテルに着いて確信した、本日第三木曜日は全店舗休業なのだ驚きと恐怖感で体が固まった、ボーイは居るが女将は出てこない後ろに目的が決まった男達が60人弱居る、幸い客は未だ気が付いて居ない。
女将を呼び出し事情を聞いたが知らん顔して「アラ知らなかったのと」惚ける。私の仕事なら殴り倒しただろう、埒が明かないのでトルコ街に向かいヤクザの親分に交渉した、親分は俺の所に来るのは良い度胸だと褒めたが、女が居なくて営業は出来ないし規則で駄目と言われ話は終わった、また扉の開いた店が有ったのでボーイと交渉したが無理、女の子が数人居たので相談したが矢張り無理一人に「今私、空き家なの旅行会社辞めて私のレコに成らない」と冗談言はれたが、成りたい気分だった。
ホテルへの帰路、琵琶湖を眺め精子の溢れた湖に身投げしたかった。
ホテルに帰るとメーカーの幹事が角を出して怒ってる、無理無いだろう。
駄目元で社長に電話して対策を聞いたが矢張り無理、一念発起した私に一任させてくれと了承を得た。
自負だが温泉での女の知識は社内で一番の持ち主だし、全国の色街研究熱心で?
ほぼ知って居る私の出番だ、脳裏に京都の元遊郭で五条楽園が浮かんだ後は金策だ。
普通ホテル代は白紙の小切手に金額を書くが、ホテル代は後回しにして女将に交通費の予算、有無を言わせず八十万円出させた、好き者の人数を確認してタクシー十台呼び一路京都に向かった。サアー腕まくりして頑張るぞ!。
牛若丸と弁慶が出会ったとされる五条の橋の近くだ、街並みは汚かったが旅館風の飲食店すなわち(お茶屋)がズラリと並んいでた、暖簾を潜り抜け入り隠語の座布団何枚有りますかと聞くと通じて2枚と答えてくれた(座布団の数すなわち娼妓の人数だ)2名OKで有る。
見ていた客が好奇心で自分で探し始めた、私としては楽になった。
幹事も居なくなり、居酒屋で一人で2時間近く飲んだ、満足そうに客が帰って来ると何人か集めタクシーでホテルに帰した勿論料金は自社持ちだ。最後の客と同乗して帰ったが正直疲れた。
次の日偶然京都御所を見学出来て幸運だった、帰路新幹線内で客と話したが不満は少なく失敗旅行では無かった気がした。常々のアッチ遊びの勉強のお陰だろう他の社員では完全に失敗旅行だった。
数日が経ち、何故か社長担当者私もメーカーに出向いた、勿論金銭交渉だが大幅値引きそれも手形で分割だったが苦しい立場で呑むしか無かった。
それからの契約問題に成ったが答えはNOだった、しかし条件が付いた私を担当者にすれば契約続行すると言うのだ、旅行知識が豊富で機転も利くし対応も早い、我が社は君の様な人材を求めていたと褒め殺しで一件落着した。
しかし何回か仕事していて私がアマチュア無線をしたり高専出身がバレ知識も評価され、スカウトされて今の商売に着かされたのだ、人間生活の分岐点は何処に転がっているか分からないものだ。
さて話を戻す、五条楽園は警察の指導で健全な街に生まれ変わりそして雄琴温泉駅もイメチェンで、安倍のせいでは無いだろうが(笑)平仮名でおごと温泉駅と変わった。
実に時の流れは早い、もう40年光陰矢の如しだ。 長文駄文失礼致しました。