
コチラの続き。
旅3日目は富山市内観光を。まずは富山市電に乗車。
広島長崎市電にありそうなレトロな車両。

行った先は富山城。


天守閣は復興された鉄筋コンクリ造り。
昔、子供の頃NHKの地方リレー天気中継で富山というと、この富山城がよく映っていたので
気になってはいたんですよね。中は富山城の歴史資料館という内容でした。

お次は富山の名物、ライトレールに乗って北上することに。


ライトレール蓮町駅で相方と一旦別れ別行動。ネットで調べた蓮町駅前にあるIsoya(イソヤ)さんという
パン屋さんで簡単に腹ごしらえ用パンを購入。

蓮町駅から1人歩いて向かった先は岩瀬スポーツ公園サッカー・ラグビー場。
2003年に消滅したJFLジヤトコFC最後の公式戦(対YKK)が行われた会場。
YKKも今ではアローズ北陸と合併しカターレ富山として活動している。
03年当時は仕事のスケジュールの関係上、このジヤトコFC最後の試合や存続運動の殆どに立ち会うことが出来なかった。
自分があの頃の大変な時期(03年10~11月)に関われたのは消滅発表のあった10.05と
11.01に三ツ沢で横浜FCサポ有志の協力も得て展開した存続運動の署名位しか無かったが
あの時は山形サポの方も多くの方が署名してくれたのを覚えている。
話が逸れたが、当時の試合の様子は現沼津コルリさんのHP等で知る位しか無かったので
彼らの事後報告を知っては「大変な事を知っていながら殆ど力になれず申し訳ない」という思いが募る一方だった。
そして当時の感動的な観戦記を読んで、何年経っても良いから試合が行われていなくても
この会場に足を運びたい。そして静岡県東部のサッカー界の今を心の中で報告したい。
その思いがようやく実を結んだ瞬間に立ち会えた。
ここを訪れるのが遅くなり申し訳ございません
ジヤトコFCやイースタンは無くなってしまったけど
今はアスルクラロ沼津が当時の数倍の観客を集めてJリーグを目指して頑張っていますよ。

この思いを誰もいないサッカー・ラグビー場で心の中で呟いたことにより
観戦記の一節にあったスピッツの「空も飛べるはず」が自分の中でリフレインされていく。
言った相手は誰になるだろうか。当時の自分自身か、あの頃活動されていた記憶の中のジヤトコサポーターさん達か。
もちろん、今のアスルクラロ沼津のサポーターには当時のジヤトコサポーターの方達がいることも知っている。
でも、ようやく、これまであまり明かすことの出来なかった自分の心苦しい思い出はここで昇華されていくように感じた。


土手のようなバックスタンド側の反対側の土グラウンドでは
懐かしいアローズ北陸と同じデザインのユニを着た社会人チームが試合を行っていた。
Twitter上で質問してみると、どうやら富山県2部に所属する北電クラブというチームらしい。
このようなことも直ぐに反応が返ってくる辺りはSNS全盛時代万歳と言うべきところなのかも知れない。
小腹が減っていたので、蓮町駅前のパン屋さんで購入したパンを食べながら彼らの試合を少しだけ見物。


岩瀬スポーツ公園サッカー・ラグビー場を後にして相方と合流すべく
徒歩でライトレール方面へ。大広田という駅で再び乗車。


数駅走って東岩瀬駅で下車。ここは旧JR富山港線時代の駅舎や当時を忍ばせる写真等が並べられており
この路線のルーツを辿ることが出来る。


東岩瀬から徒歩数分で廻船問屋が立ち並ぶ昔ながらの町並みが保存されている岩瀬地区を歩く。
この地区で知られている和菓子店でどら焼きを購入し相方と合流。


町並みを歩いていると、富山の地酒「満寿泉」の名前に惹かれてコチラの酒造店へ。
中の酒蔵も見学できる施設となっており、日本酒好きには堪らなかったですね。
(続く)
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