6月15日にウォーキングで歩いた衣笠城とその支城・郷山城の様子を。
郷山城址
衣笠城北側に抜ける道を防御するために三浦氏によって築かれたという城
城というよりも砦や防御柵のようなものだったらしい。
確かにこの小高い丘を越えられたら衣笠城の攻略はしやすくなるから
防御陣地としては大事なポイントだったかもしれない。
この辺が城の要衝だったかも知れないポイントをパノラマで。
平坦部と呼ばれる鞍部とはこの辺?
藪と草ぼうぼうでどこが城の遺構だったかは判別できませんでした・・・
衣笠城址
そして衣笠城址
ここは三浦氏の本城として築かれた平安末期~鎌倉時代の城
詳しくはレッツ検索(手抜き)
この階段を上ると大善寺という曹洞宗の寺院
三浦一族の学問所の役目を果たしたという。
二つ上の画像階段を上った先にある衣笠城址本丸跡
鎌倉時代の城なので特に木造構造物は無い。
土塁とこのような山腹に平坦な鞍部を切り開くだけでも当時の土木技術では
結構な重労働だったと伺えさせらるかと。
現在のような公園としての整備は明治時代後期~大正時代に掛けて
地元の篤志家によって行われたとのこと。
それまでは郷山城のような藪と木々で判別できなかったのかもしれない。
昭和に整備された安土桃山時代の三島の山中城址もだけど、山城の維持整備って大変だったかも知れませんね。
おしまい。
郷山城址
衣笠城北側に抜ける道を防御するために三浦氏によって築かれたという城
城というよりも砦や防御柵のようなものだったらしい。
確かにこの小高い丘を越えられたら衣笠城の攻略はしやすくなるから
防御陣地としては大事なポイントだったかもしれない。
この辺が城の要衝だったかも知れないポイントをパノラマで。
平坦部と呼ばれる鞍部とはこの辺?
藪と草ぼうぼうでどこが城の遺構だったかは判別できませんでした・・・
衣笠城址
そして衣笠城址
ここは三浦氏の本城として築かれた平安末期~鎌倉時代の城
詳しくはレッツ検索(手抜き)
この階段を上ると大善寺という曹洞宗の寺院
三浦一族の学問所の役目を果たしたという。
二つ上の画像階段を上った先にある衣笠城址本丸跡
鎌倉時代の城なので特に木造構造物は無い。
土塁とこのような山腹に平坦な鞍部を切り開くだけでも当時の土木技術では
結構な重労働だったと伺えさせらるかと。
現在のような公園としての整備は明治時代後期~大正時代に掛けて
地元の篤志家によって行われたとのこと。
それまでは郷山城のような藪と木々で判別できなかったのかもしれない。
昭和に整備された安土桃山時代の三島の山中城址もだけど、山城の維持整備って大変だったかも知れませんね。
おしまい。
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