田舎で暮らしてます。 (My country life!)

都会の喧騒を離れ、北関東の田舎で可愛いペット達と暮らし始めた中年夫婦の日記です。

田舎で暮らしています。最終章

2012-11-28 23:54:55 | 創作
前立腺がんの骨への転移により骨盤周辺の骨がもろくなり左脚骨折で車椅子生活になってから3カ月になろうとしている。治療に専念する為に退職を余儀なくされた。5年足らずで井中澄夫は東京へ戻ることになった。35年ぶりに故郷に戻って地元企業に再就職したが病には勝てなかった。退職後に故郷に留まる意味はないというより、東京に戻ることは妻の強い願いでもあった。澄夫の妻は田舎の生活に馴染むことはなかったというよりも、この不便な片田舎の生活にうんざりとしていたのだろう。ペーパードラバーで車に乗らない、自転車にも乗れない。毎日の買い物も徒歩で30分はかかってしまう。街中に出ようにもバスの便もない。そんな生活に疲れた頃に、今度は夫の澄夫が前立腺がんになってしまった。1ヶ月の入院生活で職場復帰できたものの僅か3ヶ月足らずで骨折してしまい車椅子生活となった為に再度休職となってしまった。

それからというもの、買い物などは妻の運転に頼り、月に何度かの通院も助手席に座ることが多くなった。体調は日増しに悪くなる一方で、一日中家から出ない日も増えた。天候の悪い日は痛みが増して思うように体が動かない。両脚の血流が悪いのか、下半身が氷のように冷たく感じる時には使い捨てカイロや電気あんかなどで脚を暖めないと辛い。何の目的もなくだらだらとテレビを見ていたり、なんとなく新聞を広げてみる日々が続いた。時に体調が良く何かに集中できそうな日は読書にいそしんだ。ただ時間をやり過ごすためだけに。

11月29日には引っ越しが始まる。荷造りを1日で済ませて、翌朝に新居に引っ越し荷物が届く手配になっている。東京までは妻と交代で運転することになっているが澄夫には不安がないことはない。右脚が痛まなければオートマ車の運転に支障はないが、少しでも右脚が痛みだせば妻と運転を交代せざるをえない。それに、亀と金魚たちペットは自分たちの車で運ぶしかない。通常であれば2時間半もあれば到着する距離ではあるが、これでは何時間かかるかわかったものではない。

退職後の1年と数カ月は傷病手当が健康保険組合から継続して受けられるようなので、生活保護をうけなくても何とか生活はできそうである。けっして楽ではないだろうが生きて行くことはできる。あとは闘病生活がどのような展開をみせるのだろうかという疑問だけである。じたばたしてもどうにもならない。所詮なるようにしかならない。ただ残念なのは田舎で暮らすという試みが僅か5年足らずで終わってしまったことである。

小鳥の一生

2012-11-07 18:17:04 | ペット
癒される
心の支え
愛鳥が
去りゆく秋に
悲しき別れ

男泣き
ちいさき命
まっとうし
先立つ鳥に
目をはらしつつ

可愛がっていた文鳥が先週の土曜日に亡くなった。元気がなく弱っていたようなので動物病院に駆け込んで治療を受けたが、そのかいもなく数日で死んでしまった。その日の朝は止まり木に留まる体力もなかったようで、鳥かごの床でよたよたとしていた。すぐに手のひらに乗せて寝かせたのだが、次第に呼吸も苦しそうになり一時間も経たずに息を引き取った。文鳥の平均寿命が7年ということであるから、そろそろ危ない時期ではあったのだろうが、余りにも急な死に男泣きをせずにはいられなかった。どうしてもこみ上げてくる感情が抑えられず涙が止めどなく流れた。家族の一員として、どこに行くにも一緒であった文鳥のチョボはあっという間にいなくなってしまった。

火葬にて
骨を拾いし
愛鳥の
繊細なるや
灰になりても

ペット専門の葬儀屋さんを探してチョボの遺体を火葬してもらうことにした。家族の一員として人間同様に接してきた小鳥である。庭先に埋めることはできない。ペット供養塔のある寺に問い合わせたが、お骨にしないと供養はできないという。人間同様にペット達も骨壺に入れて埋葬するようである。こんな小さな体を火葬するのは可哀そうではあったが埋葬できなくては仕方がない。問い合わせたペット葬儀屋さんでは、幸いにも小鳥も火葬して骨壷に納めてくれるというサービスがあったので依頼することにした。移動火葬車という設備があり、家族立ち会いのもとペットを火葬してくれる。犬や猫などの大きなペットでは臭いや煙などが発生する為、場所を選ばないといけないようであるが、小鳥の場合には短時間で煙も出ないので庭先でも問題ないと事前に業者から説明を受けた。すべて灰にならないかと心配をしていたが、ちゃんと頭の骨も体の骨も形が残っていた。ただ、そのあまりにも細い糸のような骨に哀れさが増して、さらに悲しくなった。

納骨先は後でゆっくりと探すことにする。

井中澄夫車椅子の旅(第一章)

2012-10-09 19:42:48 | 創作
TO BE OR NOT TO BE 井中澄夫は迷っていた。いや本当はどうでも良かったのかも知れない。もともと息子の初舞台を見たいと言い出したのは妻の澄香だった。C大に入学して間もなく息子が演劇サークルに入部したと聞いたのは本人からではなく、妻を通して知ったのである。前立腺がんが骨へ転移したことで骨盤周辺の骨がもろくなった事による左脚骨折で車椅子生活を余儀なくされてから三週間が過ぎようとしている。普通であれば玄関で足を踏み外したくらいで骨折することは少ないのに違いない。

近所のスーパーへの買い物などは妻の運転に頼り、月に何度かの通院も助手席に座ることが多くなった。ただ30年以上もペーパードライバーの座に甘んじ決してハンドルを握ろうとはしなかった妻に東京まで運転しろと言うのは流石に酷というものである。幸いにも澄夫の右脚は自由に動いた。左脚が不自由でもオートマ車は運転できる。あとは体力的なものだけである。夕方遅くなって約束の5時半には間に合わなかったが何とか義妹と息子の住む東京のマンションに到着した。

翌朝になって、妻と一緒にC大まで行き演劇を見ることまでは決心がつかなかった。車で出かければ多少時間がかかっても目的地にたどり着くことはできるだろう。電車での車椅子異動は無謀であろうと澄夫には思えた。問題は駐車場である。お車での来場はご遠慮くださいというようなことがパンフレットにあったかもしれぬと妻は言う。電車での来場が困難なことを説明して何とか駐車場を1台分確保してもらえないか大学側に問い合わせてはどうかと澄夫は妻に提案してみた。ところがC大へ電話をしても誰も出ない。日曜日ということもあり事務局には誰も出勤していないのだろうか。そうこうしていうる間にも刻々と時はすぎてゆく。

今回の演劇鑑賞以上に、息子の通う大学をひと眼見ておきたいという漠然とした思いだけが澄夫の心のどこかにあった。井中澄夫は、やっと午後の公演を見に行く決心をした。一緒に行くと言っていた義妹も諦めたらしく、中止と思い込んでいた矢先に妻からの電話を受けた。「え?やっぱり行くことにしたの?」この機会を逃せば息子の通うC大キャンパスを見ることは永遠にできないと心のどこかでそんな思いが強くなっていった。妻は担当医に2年ももたないであろうと言われたらしい。けっして病気との闘いを諦めたわけではないが、もしもということがある。体力のあるうちに、できることはやっておこうと澄夫は考えた。

午後3時半開始の公演である。余裕を持って出かけるには少なくとも12時半にはマンションをでなければならない。車椅子で電車に乗るというのは全くの未知の世界である。電車通勤をしていた若い頃に駅のホームで車椅子を見かけることはあったが、これから自分がその車椅子に乗って電車の乗り降りをしなければならない立場と知った時に澄夫は一抹の不安を感じずにはいられなかった。これから介助をしてくれるのは妻と義妹という普通の中年女性でしかない、乗り降りを手助けしてくれるのは当然ながら駅員さんたちという事になろう。こうして初めての車椅子の旅は東京郊外の私鉄沿線のK駅から始まった。

秋の交通安全運動

2012-10-03 06:24:14 | 創作
秋の交通安全運動ブルース
1.
雨の道路では 歩行者注意
まして夜道じゃ なお見えぬ
暗い人影 うらんでみても
止まっちゃくれない この車
ああ ドライバー 事故に泣いている

2.

交差点では 心を配る
まして右折じゃ なお注意
車の陰から オートバイ
止まっちゃくれない このバイク
ああ ドライバー 事故に泣いている

3.

あんぜん運転 こころがけ
まして飲んだら 代行車
飲酒運転 ご法度さ
マナー向上 この俺が
ああ ドライバー マナー守ってる


妻の運転で助手席に座る事が多くなった昨今、いままで以上にドライバーのマナーが悪いのが目に付く。ここで文句を並べても仕方ないと諦め、すこしでも秋の交通安全運動に協力することにした。
ペーパードラバーから運転を再開した妻は、初心者マークをクルマの前後に貼る決心をしたのだが、残念なことに周囲のドライバーが親切にしてくれることは期待できない様子である。昨夜もショッピングセンター駐車場を出る際に、ゆっくりと慎重に左折をして道路に出たのであるが、後方の車がクラクションを鳴らした。明らかに危険回避の目的ではなく、もたもたするなという「馬鹿野郎」的な誤った警笛の使用である。若葉マークが見えないはずはない、まして我が家のクルマには「車椅子」マークも貼ってある。どんなにお急ぎなのかは知らないが、たかだか数十秒の違いである。もっと心にゆとりのある運転ができないものか。


県立がんセンターのセカンドオピニオン

2012-09-29 10:27:43 | 日記
昨日は予約をしていた県立がんセンターで治療に関するセカンドオピニオンを聞きく為に外出した。通院中の病院の紹介状、画像データ記録メディアと生体検査の試料を持参したが、病歴について入院の経過や診療内容まで詳細な質問をされたのには驚いた。その辺の情報は通院中の病院データ中にあるものと信じていたが、入院中もどのような診療や投薬を行ったのかも患者に直接聞き取りをするという手法には驚くというよりも半ば呆れてしまった。抗がん剤との併用として免疫性を高める免疫療法についても聞いてみたが、まったく相手にしてもらえなかった。巷の民間療法には全く聞く耳持たずと言った拒否反応が顔に出ていた。県立がんセンターの医師という立場上、インターネット上にはびこる様々な情報に不信感を持つのは理解できるとしても、いきなり民間療法を試したいなら他の医療機関へ行けばいいでしょうという言い方には少々腹が立った。すでに、聖路加病院泌尿器科部長である村石修先生が書かれた「前立腺がん 正しい治療がわかる本」という本で多少なりとも自分の病気については理解しておこうと言う努力はしてきた。これらの本には書かれていない情報をたくさん持っているだろうと期待してのセカンドオピニオンである。本屋さんで手に入る情報を県立がんセンターで高額な相談料を支払ってまで求めてはいない。カウンセリング費用の1万2千円も払えば、この種の癌情報に関する本が10冊は買える。

それ以上に、先生の患者に対する態度にあきれ果てた。医療はクルマの修理ではない。使えない部品を取り去る(手術)ことや潤滑油を注入する(投薬)などを行えば良いというものではないだろう。人間の体には、機械にはない心と言うものがある。患者の気持ちを考えられない医師は、その時点でクルマの修理屋さんと一緒である。まことに申し訳ないが、県立がんセンターの担当医師には人間らしさは微塵も感じられなかった。専門知識はあるのだろうが、それ以前に人間として信頼関係の築けない医師でるようだ。これが今の医療の現実なのかもしれない。多くの医師にとって患者は壊れた機械にすぎないのであろう。クルマの修理のごとく、マニュアル通りに修理のレベルを上げてゆくだけの作業なのだろう。

免疫性を高めることに中心を置く民間療法を支持してくれるとは期待していなかったが、ここまで強烈に拒否反応をされたことには驚きを隠せない。県立がんセンターでは実績も興味もない療法であるにしても、他の医療機関(地方の大学病院ですでに臨床実験を開始している免疫療法について)を真っ向から否定する権利があるというのだろうか。目の前にいる癌患者のモーチベーションを下げてまでも。それは単なる医師のエゴではないのか。

セカンドオピニオンは、結局なんの結果も生みださなかった。県立がんセンターでも何ら肯定的な治療法について新しい情報が入手できなかった以上、実績の無い民間療法と馬鹿にされても免疫療法に期待せざるを得ない。すくなくとも過去の臨床実験で免疫性向上が立証されている免疫療法が間違っているはずはない。免疫性の低下によって生じた癌であれば、免疫性を高めれば克服できないなずはない。