田舎で暮らしてます。 (My country life!)

都会の喧騒を離れ、北関東の田舎で可愛いペット達と暮らし始めた中年夫婦の日記です。

早朝のガーデニング

2011-09-11 09:15:56 | 日記
一時間半の作業で額から汗が滴り落ち眼鏡が曇って地面が見えない。体力的にも限界かと思いシャワーを浴びることにした。昨夜は夜中までインターネットscrabbleをしていたにも関わらず7時前に目が覚めた。フェンス代わりと思い竹垣を作り始めたが、一部しか完成していない。道路との境界は単管パイプで仕切ってあり、まるで建設現場のようで味気ないと思い勤務先から使用しないネットフェンスを数枚貰い受けて設置したのが梅雨時であった。足りない分は隣りの竹やぶから不法侵入してきた竹を使い少しづつ竹垣をつくっている。鉈がないので、半分に割ることもできず、そのまま単管パイプに括りつけてきた。それも、ビニールの紐やら、針金やらとその場しのぎである。今年の春までは生垣らしきものが存在していたのだが、本下水道がこの田舎にも通ることになり浄化槽を撤去したのであるが、その際に工事の邪魔になる生垣も根こそぎ撤去されてしまったのである。丸裸同然になってしまった我が家に申し訳ないと、ネットフェンスを取り付けるやら、竹垣をつくるやらで何とか体裁を整えた。2~3週間前に竹を切って7,8本用意しておいた。それがやっと今朝になって単管パイプに括りつけられた。作業を終えてあたりを見回すと、台風による雨続きの天候にもよるのだろうが、雑草が茂り始めているのに気づいた。夢中で雑草と格闘しているとあっと言う間に一時間がたち、汗だくになっていた。
たった一時間の草取りで、このざまである。情けない。自分の血液中には一生を雑草との戦いに捧げた母親のDNAがあるはずなのに。農家の長男に嫁いだ母は一生の殆どの時間を田んぼや畑の中で過ごした。農作業を嫌っていた父の分まで母は働いていたように記憶している。世話好きの父は外面が良く家族の面倒を見ない分、他人の世話をして喜ばれていたようだ。誰もが嫌がる自治会長の役を快く引き受け額縁に入った感謝状が所狭しと鴨居の上に並ぶ。その傍ら、保険の外交員もしていたようで家を留守にすることが多かった。子供心に家にいる父の姿は思い出せない。母は文句ひとつ言わず、そんな父の分まで畑仕事をしていた。幸いにも姉が農作業をすることになって母は一人で農作業をせずにはすんでいた。ところが、この姉もいやいや農作業を手伝っていたというのが本音であった。というのも腹違いの姉は特別扱いで、農作業をすることなく市内の工場に働きに出ていた。畑仕事を手伝っていた姉とすれば、毎朝お化粧をして、自分とは全く別の服装で通勤する腹違いの姉が羨ましくて仕方なかったようである。なぜ自分だけが畑仕事をさせられ腹違いの姉だけが着飾って工場の勤めに出かけるのかと母に食ってかかったこともあったと聞いている。母にしてみれば、自分の子供でないから遠慮があったのだろう。本当に父の子供であったのかは定かでない。何かと言うと父をかばう二男は、自分の子供でもない姉を無理やり押し付けられたのだろうと言った。父親が浮気をして、浮気相手に産ませた子供だとは認めたくないようであった。今となっては真相はわからないが、腹違いの姉が本当の姉ではないという疑惑の中で育ったという事実だけが残っている。子供のころから実の姉ではないと誰からか言われたに違いない。家族の暗黙の了解の中で、肩身の狭い思いをしながら腹違いの姉は育った。実の姉からは、その特別扱いの身を羨ましがられながら。その二人も歳を重ねるにつれて昔の苦い思いを少しづつではあるが薄れさせてきているのだろう。母が年老いて体が弱ってきた時にも実の姉でなく、長男は腹違いの姉にその世話を頼んだのである。腹違いの姉の連れ添いであるコウゾウは、この事を根に持っていたようで酒を飲むと必ずと言っていいほど愚痴っていた。年寄りの世話を長男に押し付けられたと愚痴るのである。たった50坪の土地を分けてもらったばかりに母親の世話を押し付けられたと。母は母で、そんなコウゾウの仕打ちが居たたまれないと二男にこぼしていたようである。老人介護をめぐる醜い争いが、実家を離れ東京に住んでいた自分とは遠い故郷で起こっていたが、直接これに巻き込まれることはなかったというか、距離を置いて避けていたのだろう。そこには関わりあいになりたくないというずるい自分がいた。故郷の家族の争いに目を向けることなく自分の家族だけを守ろうとするずるい自分が。草むしりをすると、農家の末っ子だった子供時代がふと蘇ったりする。記憶の中の母は、いつも農作業姿で竹かごを背負い鎌を持っていた。これから草取りをするのだろう。

お墓参りの好きな日本人

2011-09-04 18:16:54 | 日記
先週の日曜日に両親のお墓参りに行ってきた。両親のというより正確には実家のお墓であり先祖代々のお墓であるのだが、姉の連れ添いのお墓も同じ墓地内にある。九州から集団就職で東京に出てきて姉と知り合い子供が出来てから東京を離れ実家のすぐ近くに長男から分けてもらった50坪ほどの土地に木造の一軒家を建て、北関東の田舎町で一生を終えた義理の兄の墓には必ずお参りをすることにしている。地下鉄丸ノ内線、中野坂上駅近くにある下宿屋さんから写真大に通っていた頃には義理の兄には随分お世話になったものである。しいて言えば、義理の兄よりも彼の妹家族に世話になったと言ったほうが良いのだろうが。九州出身の妹さんは実に働き者で、遊びに行くと常に内職をしていたようで狭いアパートの中に内職の材料が山積みになっていたのを覚えている。住んでいたアパートの下は作業場かなにかであったように記憶している。何度も夕食を一緒に食べて家族同様のつきあいをさせてもらったことが懐かしく思い出される。小学生だった長女が容姿端麗だったこともあり、スナップ写真を撮るのが楽しみだった。卒業写真制作には彼女をモデルにして夜の公園でファンタジックなモノトーン写真を撮って、アリスのワンダーランドもどきの写真に仕上げたのが好評であったように記憶している。卒業写真展は新宿の富士フォトサロンだったような気がするが、はっきりとは覚えていない。この金森家との付き合いも、不幸な結末で幕を閉じるとは当時想像もできなかった。東京写真大学を卒業してから1年間の社会人経験の後に英国へ私費留学をして3年後に入社した写真機材の専門商社で働き始めて数年後に、パートタイマーとして、義兄の妹さんを紹介し会社に雇ってもらったのだが社長とうまくやってゆけず結果として彼女に迷惑をかけてしまったというか、親切心でしたことが逆に恨まれることになってしまった。そんな訳で、義兄のお墓参りは、妹さんへの懺悔の意味もあり両親のお墓参りには必ず義兄南部家のお墓にも花を生け、お線香をそなえることにしている。実家のお墓はすぐ上の兄が建てた4階建てのビルから見下ろせる位置にあり、お墓参りをするたびに二男坊の兄の事務所兼自宅を見上げることになる。両親のお墓参りをする前に、同級生のお墓参りを済ませていた。車で10分ほどの市のはずれにある墓地は、近くに古墳公園があり田園地帯と林に囲まれた閑静な集落のそばにある。8年前の大みそかに電車事故にあい50歳の若さで亡くなった友人とは、もう二度と一緒に山に登ることはない。凸凹コンビと言われ栃高山岳部で活躍していた二人だった。3年前に山岳部の元顧問だった恩師に声をかけ、先輩や後輩を誘ってH君を偲ぶ会を開き、深夜まで飲み明かしたのが懐かしく思い出される。同じ県内に住んでいるのにも関わらず彼らとは再会していない。夢幻のごとく、その夜の記憶は鮮明ではない。
それにしても日本人はお墓参りが好きな民族である。春と秋のお彼岸にはもちろん、夏のお盆の時期には先祖を迎えに行き仏壇に招待する。お盆が過ぎれば送り火でお墓に戻ってもらうのである。それとは別に、命日にお墓参りを欠かさない人も多いと聞く。今年亡くなった義母などは10年以上も毎月義父のお墓参りをしていたと聞いている。
さて、今日は朝から日課の草むしりを1時間半ほど行い、ひと汗かいたところでシャワーを浴びて趣味の時間を過ごした。趣味とは言ってもパソコンに向かい、インターネットスクラブルゲームをするだけのことである。そして思い出したように、今月の17日から予定されている会社の旅行企画を始めた。幹部だけの旅行ではあるが、幹事役を押しつけられてしまったので旅行日程をたてなければならない羽目に陥った。まず面倒なのが、時刻表探しである。最近はネットで乗換案内ソフトが利用できるので便利にはなっているが、何通りかの案を作って検討しなければならないのは時刻表から拾い出すのと変わらないように思う。午後は、日曜大工となって、あれやこれやと動いているうちに夕方になってしまった。ノートパソコンを置くスペースが狭い我が家にはなかったので、今日はキャビネットに棚板を1枚増やしてノートパソコン置き場を確保した。ホームセンターで探しまくったが、幅50センチの棚板が見つからなかった。何故か45センチ幅か60センチ幅の板なのである。仕方ないので、厚手のベニヤ板を買ってきた。これを50センチに切ってみたが、なんとなく不安なので角材を2本両側に木ネジで止めて補強してみた。仕上げは以前買っておいたプラスチックの木目シートを貼って完了。黒のキャビネットなのだが、こげ茶色なのでさほど違和感はない。