田舎で暮らしてます。 (My country life!)

都会の喧騒を離れ、北関東の田舎で可愛いペット達と暮らし始めた中年夫婦の日記です。

ドライブスルー花火見物

2012-07-30 05:34:09 | 日記
関東一と主催者が豪語する小山市の花火大会が昨夜、観晃橋下流の思川湖畔で行われた。今年のテーマは「復興の祈りをこめて、希望の花火を小山から」となっている。昨年の東北大震災のカゲが今年もちらつく。昨年は各地で大きなイベントが中止になったり自粛されたりした為に小山市でもオープニングカーニバルが取りやめとなった。今年はそうでもないようだ。土曜日の午後から始まったオープニングカーニバルを始めとする「おやまサマーフェスティバル2012」を締めくくるのが、この花火大会である。
50数年前、4~5歳の子供であった頃は花火大会の会場に足を運ぶこともなく、近所に住む農家のおじさんやおばさんたちと一緒になって会場から4キロも離れた農道で、馬にひかせる大きな荷車が花火見物の特等席となった。町名変更前の当時、旭町と呼ばれていた地域は農家が数十件程度の集落であり、のどかな田園風景が広がっていた。今や郊外ショッピングセンター化している50号線バイパス沿線であるが、当時はこの幹線の影も形もない時代であり、一番近い小さな個人商店まで自転車で行かなければならないような不便な場所であったと記憶している。この頃は市の中心部にも大きな建物は少なく、4キロ以上離れていても打ち上げ花火が良く見えた。荷車とは言っても、相当な広さがあり、大人10人以上が座って飲み食いできる広さである。それぞれの農家から持ち寄った惣菜が所狭しと並べられ、子供たちのためにラムネやジュースも用意されていたようだ。敷かれたゴザの上で和気あいあいと花火を眺めながら2時間の井戸端会議が繰り広げられた。だが、その記憶はさほど鮮明ではない。
さて、昼夜と食事の世話になっている妻には常日頃から申し訳ないと感じていたので、日曜日の夜くらいは家事を休んでもらおうと昨夜は外食をすることに決めた。外食をするとホットモットでたまに買うお弁当2~3食分もの食費負担となるが、毎日の食費節約で、週1回の外食費程度は何とか捻出できた。暫く前に食べた「びっくりドンキー」の割り引き券の有効期限が7月31日までとなっていたので、迷うことなく外食先はびっくりドンキーとなった。息子が幼稚園の頃から通い始めたハンバーグ専門のファミリーレストラン、びっくりドンキーは東京の西多摩地区に住んでいた頃に新聞の折り込みチラシで見つけた店である。息子が大きくなるまで長い間お世話になったファミリーレストランである。びっくりドンキーの小山店が50号線バイパス道路沿いにできたのは、去年か一昨年であったと思う。地元にはフライングガーデンという北関東を中心に展開するハンバーグ専門のファミリーレストランがあるが、慣れ親しんだびっくりドンキーの味にはかなわない。食材を全て自社工場や契約農家から調達するという「食の安全」に対する責任のある経営方針にも共感を覚えた。
いつになく珍しく早めに入店したので、7時半近くには食事がすんでしまっていた。たまたま店内のテーブル席が道路際だったこともあり、窓の外では花火が建物越しに見えていた。せっかくなので、遠回りして車の中から花火見物でもしようかと50号線を西に向かった。そのまま走れば、市内は高架橋を通り思川にかかる思川大橋を通過することになる。この大きな橋の上からは花火が良く見える。反対車線は市内へ乗り込む車で渋滞していたが、市内から西へと遠ざかる車線はスムーズに流れている。このまま走り、「おいしい広場」の手前で右折して花火大会の会場付近に向かおうとしたが、右折車線は明らかに渋滞の様相であった。やはり誰もが同じことを考える。仕方がないので、ここを通過して遠回りすることに決めた。さらに直進して「道の駅思川」入り口の交差点を道の駅とは反対方向に右折して、JR思川駅方向へと向かう。標識には駅まで4kmとある。このまま田んぼの中の農道を進めば小山ー栃木街道と交差する。そこから市内北部を通過すれば、打ち上げ花火を見ながら帰宅することができる。普段は車の通りもまばらな農道の光景が昨夜は全く違っていた。単に車が多いということでなく、農道の片側に車を止めて花火見物をしている家族が相当数いたのである。なかには、車の外に出て椅子に座る者や、アウトドア用品を広げて飲み食いする家族も目を引いた。昔は馬車の荷車の上で宴会をしたのだが、今はマイカーを止めて、その脇で道路上に椅子やテーブルを並べる。まるで道路際がオートキャンプ場のようになっている。様変わりしたものである。
車を止めて、見物人の仲間入りをすることもなく黙々と走り続ける。まさにドライブスルー花火見物である。道路上の見物客を車の中から眺めながら、再び思川にかかる島田橋を渡りると、間もなく車はハーベストウォークにたどり着いた。明日の食材を買い忘れていたので、ヨークベニマルで買い物をすることにした。ここからは花火は良く見えないが、ベンチに腰をかけて部分的に見え隠れする打ち上げ花火をみている人もいた。大きな音が鳴り響くだけで、花火の先端しか見えない。余りに近すぎるせいか、目の前の建物が邪魔をする。正面に見える、スーパービバホームの屋上駐車場からであれば花火が良く見えると思うのだが、店は閉店しているようであった。買い物をすませて帰宅すると9時半になっていた。1時間足らずのドライブスルー花火見物であった。

末期がん患者のQOL

2012-07-27 05:25:08 | 体と健康
マスコミではガンで死亡するタレントや多くの有名人が大きく報道され、涙をさそうガンの闘病ドラマが過去に何度も放映されている。興味本位ともとれる心ないマスコミの行動により、多くの人々がガンに対して否定的なイメージを押し付けられる。ところが、ガンを克服した、奇跡の回復を成し遂げたといった報道は意外にすくないようである。昔から、BAD NEWS IS GOOD NEWS と言われているように悪い出来事ほど人々の興味をひくようで、悲劇のガン患者の最後を知ることで、ああ自分でなくて良かったと安堵したいのかもしれない。
マスコミの功罪はともかく、ガンが不治の病であると思いこむのは良くないようである。たしかに治療は重要であるが、患者の生活の質がそれ以上に重要ではないか。幸いにも自分は末期ガンにも関わらず普通の生活を営んでいるし、特別扱いされることもなく建設業関連の会社で仕事をしている。月に一度の内分泌治療注射がある程度で、1日3回食後に数種類の薬を飲むだけである。還暦を過ぎれば多かれ少なかれ誰もが高血圧や糖尿病やらで何らかの薬をのんでいるであろうから、ガンの治療薬が特別ということもない。明るく、そして元気に仕事ができるということは有り難いことである。家族や同僚に感謝の毎日を過ごしている。『ストレスをためず、明るく毎日を過ごせばガン細胞はきえていく』と井上満氏の本に書いてあるが、ガンを治したくて必死で努力しているわけではない。生活の質を落としたくない、病人として毎日をすごしたくないからである。
期限のある命であれば、その期間を病室で過ごすことは、もったいないのである。昼は人並み以上に仕事に打ち込み、夜は静かに妻との会話を楽しむ。そんな生活を最後まで続けたいと思うから、この病に対してマイナスイメージは持ちたくない。ガンであっても元気に生きている人々が世間にはたくさんいる、自分も普通の生活をして元気に暮らしている人々の一人にすぎない。とりあえずは、暴れ牛のように振舞う自分の細胞とうまくつきあってゆくことだろうと考えている。暴れ牛を殺してしまう、放射線治療や牛を隔離する外科手術だけが治療ではないと考えられるようになった。
ガンを敵対し、やっつけることもしなくて良い。ただガンに負けたくはない。生活の質を落とし闘病生活を病院でおくるのだけは願い下げである。その程度の反骨精神は還暦が近い自分の体の中には残っていそうだ。『心の持ちようで、ガンはこんなに良くなる』ことを実践してゆくだけである。
患者の生活の質を最優先に。
そこで一句、<がん患者 まけるな免疫 そこにあり> 

納豆トーストの復活

2012-07-26 01:55:18 | 体と健康
「『がん』を自分の力で治す 自然治癒力を上げる代替療法」ごま書房新社を読むと、代替療法でガンと闘った人たちの真実という記録の中に超吸収アガリクスが頻繁に取り上げられている。ガンの治療というか、がんを抑えつける免疫力を高めるうえでは相当な効果があるという。それとは別に多くの患者さんたちが食生活の重要性につれて触れている。共通するのは野菜を中心とした献立とたんぱく質を肉類からよりも、魚から摂取するということ。また、ヨーグルトや納豆といった発酵食材も毎日欠かさずとるという人が多い。牛乳と大豆という違いはあれ、両方とも乳酸菌や納豆菌による発酵食品である。アガリクスもきのこであるから、菌と言う点では共通性がある。高価な健康食品を毎日摂取できるような経済環境にはないが、ヨーグルトや納豆であれば比較的負担が少ない。毎日の朝食にヨーグルトと納豆を食べても食費は100円程度である。缶コーヒー1本の金額にも満たない。納豆はどこのスーパーでも3個パックで98円とか78円程度で購入できる。ヨーグルトは納豆より若干高いが、それでも4個パックで購入すると1個当たり40円以下である。
そんな訳で今後の朝食は、いちごジャムやマーマレードの代替品として納豆を食べることにする。ヨーグルトは退院後に何日か便秘に悩まされたこともあり、毎朝欠かさず食べてきている。納豆は、これから欠かさず食べることにする。毎回別なメーカーの納豆を購入しても暫くは同じ製品をたべなくてすむほど、実に納豆の種類と供給元の数は多いようである。各メーカーの納豆を残らず試食してみるのも面白いかもしれない。そのうち納豆のエクスパート、納豆博士くらいにはなれるかもしれない。納豆万歳!妻はトーストの上に鎮座する納豆の群れを冷ややかな目で見る。何も言わないが、その目は否定的である。顔には、『まずそう!』という文字が読み取れる。この粘々感を除けば、英国人が朝食で毎日のように食べているBAKED BEANSと変わらないではないか。英国で学生生活を送った際にも、その後ロンドンで2年弱働いていた時代にも、ベークトビーンズは典型的なイングリッシュブレックファーストのパーツをなすものとして口にしていた。納豆とトーストを一緒に食べることに違和感はない。納豆には白米がベストの組み合わせであると誰が決めたのか? これにキノコ類を加えれば免疫力アップにつながることは間違いない。夕食のおかずに食材としてキノコ類が増えてきている。これは自分の直感だが、ブナシメジやえのきだけなどよりも雪国マイタケなどのキノコが免疫力アップに優っているように思える。知人から漢方薬として用いられるサルノコシカケでガンが治ったという話を聞いたせいかもしれない。形状から言えば、マイタケはサルノコシカケに近いだろう。この知人は、サルノコシカケを我が家に伝わる秘伝のガン特効薬とまで言い切ったのだから、サブリミナリー効果で潜在意識の中に、なぜかマイタケもガンに良いとのイメージが構築されたのかもしれない。いずれにしても、ヨーグルトを欠かさず食べ、妻がキノコ類を料理に使う頻度が増えてから便秘の苦しさから解放されている。ガンはともかく、整腸作用には大きな貢献をしているようだ。
食材を変えることによる、免疫力を高める努力は続けなければならない。免疫賦活療法という選択は正しいと確信している。

昭和44年度<秋山合宿>栃高山岳部記録より

2012-07-24 23:46:06 | 旅行
9月28日(第2日)
4:20 起床 大幅に遅れる。(1時間20分の遅れ)6℃ 晴れ 
1年生がテントから出てラジウスをつける。朝食の準備を開始。装備係はシュラフをたたみ8人用テントの撤収を急ぐ。手のあいている者からパッキングを開始。
5:15 朝食準備完了。3人用テントを撤収。
5:30 朝食開始。献立は、野菜サラダ、納豆と朝鮮漬け。
5:45 食事終了。食器の汚れはペーパーでふき取る。あたりはすっかり明るんできていた。雲量8 食糧及び食器係パッキング。ラジウスの蓋を紛失。
6:15 出発(時間の都合で準備体操を省く)
7:15 「黒岩」に到着。雲が激しく移動するのが気になる。雲量4~6
7:25 出発 いつのまにか晴れ上がる。
7:45 やっと7合目を通過。
7:55 田村の靴づれがひどくバテ気味なので、鈴木とザックを交換させてやる。少しはラクになるか。
8:45 唐沢小屋に到着 雲量2 微風 気温10℃ 
大真名子、男体山の頂上が見えるが中腹からはガス(霧)が濃くかかり、いっそう高山の風貌を感じる。遠景は見えず。
9:00 唐沢小屋出発
ガレ場の登りがかなりきつい。一年部員の足が、ぎこちなくもたつく。ついさっきまで見えていた男体山と大真名子方面はすでに見えなくなっていた。その方向からはガスが急速に進んでくる。ガレ場を通り抜け、シャクナゲに囲まれた急斜面を登り始める。

9:35 女峰山頂上に到達 微風 眺めはまずまず。西に白根山、北西方向では遥か彼方に燧岳が雲にかすんで見えた。東西方向からガスが襲ってくる。男体山は既にガスに隠れて見えなくなった。 間食は、落花生、甘納豆にオレンジジュース。
10:00 出発、いざ赤薙へ! 山頂から、だらだらした登山道を下る。その両側にはハイマツが続いている。足元に注意すべき危険な場所が2~3か所ある。

10;40 水場着。 気温10℃ 今は全天雲に覆われている。アルファ米に湯を注ぎ、水を補給し小休止する。現地確認、昼食は赤薙の頂上でとることにする。ここはテントの設営地になっているようだ。

11:00 水場を出発。 あいかわらずガスが立ち込めている。軍隊の行進のごとく、樹林帯の中を唯ひたすら前にすすむ。22名、3名と次々に部員が転倒。全員空腹に襲われる。たどっている登山コースに疑問を抱き始める。しかし、ほかに登山ルートらしきものは見当たらない。自信を取り戻して、前進を続ける。

11:50 ピーク通過。5、6人の登山者がザックをおろして休んでいる。この辺は樹木に囲まれ、まったく眺望がきかない。付近には相変わらずガスがたちこめている。『丸山を経て霧降へ』の立て札あり勇気づけられるも空腹著しい。特徴の無い、ありふれた登山道がいつまでも続く。

12:00 周囲を樹林帯に囲まれた、ちょとした平坦地で大休止し、昼食をとることになる。献立は、アルファー米、キュウリの塩漬け、ふりかけ、魚肉ソーセージ、ジュースに煎餅。正確な現在地が確認できず、通りがかりの登山者に聞いたところ、赤薙まではすぐだと言われた。

12:40 出発
13:05 赤薙第一峰通過  ここも樹林に囲まれ眺望がまったくきかない。足元は木の根があちここで露出しており、よく滑る嫌な下山路である。赤薙は樹林帯に始まり、樹林帯に終わってしまった。

13:30 霧降高原着 樹林帯を抜けると眼前にドーム状の山容をした丸山が姿を現した。ここで10分間休憩。日曜日のためか行楽客が多く観光用のリフトも動いている。ここで残っていた間食を一気にたいらげる。スキー場を抜け、高原ロッジに到着。さらに駐車場へと進む。

14:05 関口、前田、田村、鈴木が駐車場に着く。若干遅れて、山口、石塚、顧問、大橋、山根が後に続いた。駅行きのバスに乗り込む。
15:03 東武日光駅着。
15:24 駅発 (臨時快速を利用)
1年生はかなりつかれたとみえ、ザックのうえに腰掛けて眠っている。2年生部員も注意せず。
16:23 栃木駅着
16:50 学校着 田村のマメがひどい。
9月29日 全員登校 あとかたづけ
=終わり=

高校1年生の夏に演劇部を去り、体育系のクラブにのりかえた。それが山岳部だった。体力に自信があったものの慣れない登山靴でマメをつくり、その後ひと月余りは運動靴を履くことができずにサンダル履きで学校に通った記憶がある。37キロ耐久レースまでにマメが治らず、ビーチサンダルで完走したことも懐かしく思い出される。 


知られざる表日光連山を想う

2012-07-24 04:26:51 | 旅行
深田久弥の日本百名山には栃木県内からも4峰が名を連ねる。全国の都道府県数から言えば、平均で2か所であるから多い方である。那須岳、男体山に日光白根山は観光地であることからも良く知られているが、皇海山を知る者は少ない。多少歴史に興味があり日本最初の公害といわれた足尾銅山を知っていれば、その足尾にある山ということでその位置を知ることはできる。残念ながらまだ皇海山に登ったことはない。彼の選択基準が、「品格・歴史・個性」。これに1500m以上の山という高さ制限があったようである。品格、歴史はともかく、個性という点では、男体山は見劣りがする。むしろ、女峰山(にょほうさん)が選ばれるべきというのが持論である。

登山口から山頂までのアプローチの長さは標高差1900メートルと日本アルプスの山々と比較しても堂々たるものである。そして山頂にたどり着くまでに、この女峰山が見せる山肌の変化と景色の多様さは他に類を見ない。その名の通り、まさに女性のように姿を変える、衣装を変える。登山口は日光東照宮の裏手にあり、知る人も少ないひっそりとした杉林のなかにある。その標高は600メートル前後である。ここから2500メートルの山頂まで厳しい登山となる。その記録が昭和44年度秋山合宿として、栃高山岳部に残っている。わら半紙にガリ版刷りという当時では珍しくもない装丁である。その記録は40数年の時を経てセピア色に化しているが、その力強い文字は健在である。

「44年度 秋山合宿 女峰ー赤薙縦走 44年9月27日・28日 栃高山岳部」と表紙にある。その中身を抜粋する。

メンバー 初谷光彦 小堀誠 CL関口芳弘 SL石塚一郎 山口詳二朗 鈴木俊夫 大橋博 山根良典 田村志郎 (装備)前田育宏 橋本一美 (食糧)

9月27日

12:30 部室集合 すみやかに着替え 石塚・大橋は駅で回数券を購入するため先に出発。
1:15 準備体操終了後に出発。 快晴 雲量3 上空に絹雲、絹積雲 高積雲あり。
1:45 快速日光行き乗車 (回数券利用ー多人数の場合は非常に便利)雲量3
2:30 東武日光駅到着 全天雲におおわれる。湯本行きバスにのろうとしたが運転手に市内バスに乗るよう指示され、これに従う。
2:43 公会堂前バス停着
2:55 二荒山神社横にある登山口にて登山カードを投入する。田村くつづれがひどくサビオを貼る。登山靴、くつ下が新しく、特に登山靴が小さかったためである。一年生は登山用具を購入する際に上級生に相談するべき。田村の手当てが終わってすぐ出発となる。

3:00 行者堂着 三本のポリタンクに水を入れ出発。ブッシュをかき分けながら樹林帯の中を黙々と進む。
3:55 「禁断の石」を通過 田村の靴ひもが良くほどけた。ラジオを出して歩きながら天気予報を聞く。
4:10 少休止 東から西へと一列にカラ松がはしっている場所 関口が天気図を書く。女峰方面には雲が低くたれこめている。気温14℃ いぜんとして全天曇り空 微風 周囲の山々が色彩を失い、まるで水墨画のような美しさが広がる。

4:25 出発 山口を先頭にクマザサ、灌木の茂る中を進む。
4:40 「稚児の墓」通過 田村のまめが痛そうである。歩調が著しく乱れている。
5:05 第1水場に到着 鈴木のラジウスから石油が漏れ、修理具を出してコックを閉めた。石塚の差し入れの梨が出た。みずみずしく実にうまい。むかずに皮ごとかじる。他に間食としてロールカステラがでた。12℃ 雲ってはいるが見晴らしは良い。

5:20 出発 先頭は鈴木
5:40 第2水場に到着 11℃ 薄暗くなっている。
幕営開始 8人用テントは山口・石塚 3人用テントは鈴木・前田・山根・田村が設営担当。関口・橋本は水汲みと炊事。大橋ラジウス、溝掘りとする。 テントのペグを打つのに木槌が不要なほど土が柔らかい。ポールが沈んでしまうので、空き缶を間に挟む。

6:20 設営完了 ポリタンクの数がはっきりせず、その中の1個に漏れがあった。点検不足。
7:00 夕食開始 献立は ボンカレー 朝鮮漬け らっきょう いわしの缶詰 ぜんざい
7:30 食事終了 ミーティングにて就寝8:30起床3:00出発5:00と決める。外は真っ暗闇で星ひとつない。石塚および一年生全員で食器洗いに行く。大橋・橋本ぐずぐずして、なかなか行こうとしない。他の者はテント内の整理、明日の相談、打ち合わせを行う。石塚が戻ってから全員で宇都木さん差し入れの梅酒を飲む。疲れた時には適度のアルコールが必要。橋本くつずれにサビオを貼る。

8:40 就寝 騒いで眠れなかた。テント内は割合暖かかった。

(TO BE CONTINUED)