田舎で暮らしてます。 (My country life!)

都会の喧騒を離れ、北関東の田舎で可愛いペット達と暮らし始めた中年夫婦の日記です。

Reunion of the family

2011-07-27 06:34:59 | 日記
日曜日に義母の49日の法要と納骨を無事に済ませ、その日の夕刻に妻は実家を後にして我が家のシングルファーザー生活は終わった。ところが再会を喜ぶどころか帰宅翌日から夫婦喧嘩の大騒動となってしまった。事の発端は、ガスレンジ周辺が油まみれになって汚かったことである。留守中に天婦羅やフライやらで油料理が多かったこともあり確かにキッチンは油汚れがひどかったのは事実である。毎晩の自炊生活で料理をつくるのが精いっぱいで後片付けとは言っても食器洗いまでで、とてもガスレンジ周辺の油汚れを掃除するところまでは余裕がなかった。そこを指摘され、汚すくらいなら料理をしなくて良いとまで言われてしまい堪忍袋の緒が切れてしまった。なにもそこまで言わなくても良いのではないかとすぐさま反論開始、我が家には外食するお金も弁当を買うお金もないので節約生活では自炊して少しでも出費を抑える必要があるのに料理をつくることを否定されたのでは全く頭にくる等々まくしたてた。毎日疲れた体で夕食の買い物と料理をしてきたのに、御苦労さまでもなくキッチンを汚したことをなじられたので頭に血が上ってしまい大喧嘩となってしまった。その後、後始末は自分でと思いガスレンジ周辺に飛び散った油汚れは、油汚れ用のスプレーを使って奮闘の末なんとか元通りにした。掃除の苦手な妻であるが、できないなら素直に頼めば良いのに、いきなり汚した責任を問われては、冷静に対処できないではないか。逆切れになった自分にも反省するところはあるのだが、妻の批判的な性格は義母譲りで変わることはないだろう。そう言えば義母も自分の判断は絶対的だと妙な自信を持っていたような気がする。世の中には絶対音感というものが存在するそうだが、彼女の心の中には絶対正義というようなものが存在していたようで、その指針から外れるものは全て間違っていると考えていたようだ。そんなものは世の中に存在しない、だから世の中には争いが絶えないのであり、それぞれの正義を振りかざし戦争が世界各地で絶えないのである。夫婦げんかも戦争も根っこは同じなのだろうという気がする。相手の立場を思いやる心がなくなると人は自分よがりになり攻撃的になってしまう。逆切れしてしまった自分も全くその通りであり、自分の立場だけを攻撃的に主張することになってします。人は、感情に流されて愚かな行動を制御できなくなる。反省はするが、その反省を生かせない。妻は早朝5時過ぎに起きて弁当をつくる生活に戻った。今週から、家族3人分の弁当をつくることにしたようだ。場所は違っても、家族3人同じ弁当を食べることになる。有り難いことである。妻に感謝である。

英国人講師殺害事件の公判記事

2011-07-11 05:17:18 | 新聞報道
昨夜は雑草との勝ち目なき戦争に疲れきっていたのか、夕食後に横になると数分で爆睡状態に陥り、気がつくと朝になっていた。日曜日の数時間でこれほど疲れるのである、近所の爺ばばさんたちは実に恐るべき体力である。毎日のように草刈りが日課となっているにも関わらず早朝から元気に働いているのを見かける。先週の新聞で気になる記事があったのが早朝の朦朧とした頭の中をよぎった。1907年に起こった英国人女性殺害事件の裁判は事件の国際性も絡み、今も時折マスコミに取り上げられる。婦女暴行殺人事件は夜のサスペンスドラマなどでテーマとしてテレビ欄では良く見かけるので国内の暴行事件は数倍に及ぶのであろうが、被害者が英国人女性しかも英会話講師という職業もあり、マスコミの注目を浴びることになったのであろう。7月7日の公判では、殺意があったかどうかが争点となっているとあったが、パニック状態に陥った被告が衝動的に逃げ出そうとした被害者の首をしめて結果的に殺してしまったというのも十分にありえる話ではある。罪を軽減する為に弁護人に誘導されての発言とも思えない。市橋被告を擁護するつもりはなく、彼は彼の命を持って被害者と被害者の遺族につぐなうべきであろう。死刑もやむを得ないとさえ思う。しかし新聞報道は単に公判での事実をつたえるだけで良いのであろうか。こんな痛ましい事件が再び起きないようにという再発防止の役目もマスコミにはあるのではないのか。暴行殺人を犯したような奴は死刑になれば良いといった勝手な報道は許されるべきではない。男の性欲などというのは暴走してしまうと歯止めが利かないという事実を正直に認めるべきである。極めて動物的な行動であり人間は理性を持ってそれをコントロールしなければならないのだろうが、これができない人間が多いから暴行事件が後をたたないのである。暴行に至った経緯について、『自室に忘れた英会話のレッスン料を一緒に取りに行くつもりで自室に連れ込んだが、部屋に入る直前のエレベータ内で「親密な関係になりたいと勝手に考えた」』との証言がある。言い回しが具体できでなく分かりにくいが、簡単に言えばエレベータの中で性衝動が抑えきれなくなったという事である。良く心理学者が言うのが狭い空間で特殊な状況下では恋愛感情が生まれやすいとのこと。しかも相手は日本人ではなく性的アピールが日本人とは比較にならないほど強力な西洋人女性である。欧州で数年間生活し、過去にフランス人女性と結婚して6年間生活した経験のある日本人男性として言わしてもらえば、彼女たちが免疫性の無い日本人男性を性衝動に導くのは簡単なことである。特別なにもしなくてもそばにいるだけで十分である。エレベーター内で性的興奮を感じ始め、誘惑に負けない日本人の男がどれほどいるだろうか疑問である。人間の性欲などというものは動き出してしまったら、排泄欲が達成されるまで留まる事をしらない。彼の過ちは、暴行後の行動にある。暴行そのものを肯定するつもりはなく、卑劣な行為であるとは思うが、性欲が満たされある程度冷静さが戻ったと推測され市橋被告がなぜ自分の過ちを取りつくろうとしてしまったかである。被害者を解放し、レイピストとして訴えられる覚悟さえすれば、殺人の罪で裁かれることもなかったであろう。性衝動を抑えきれず暴行してしまったのは事実であるが、その時点では被害者はまだ生きた人間である。大声をあげ逃げ出そうとした被害者にパニックとなって殺害してしまったというのには納得がいかない。この時点で彼女が死んでしまえば事件はなかったこになると考えたか、事件そのものが公になることを恐れたかの理由で殺意が芽生えたとしても不思議はない。性欲の強さに個人差はあるものの性衝動とは子孫を残そうとする種の存続をかけた極めて動物的な本能である。人間だけがこれを自由にコントロールできるなどというのは幻想であり、人間のおごりである。ならば、コントロールがきかなくなる状況に自分が陥らないようにするという防御策しかないのかもしれない。再発防止という意味ではマスコミは興味本位でなく、なぜ市橋被告がエレベーターの中で「親密な関係になりたいと勝手に考えた」という結論に至ったかを徹底的に分析すべきである。性的ホルモンを出して誘惑してしまったのかもしれない被害者には全く落ち度があるわけではない。その種の性的誘惑に免疫性のなかった市橋被告の責任である。彼もまた、性衝動という本能的な感情の犠牲者なのであろう。男のDNAの中には人生を狂わしてしまうものが常に存在することを忘れてはならない。殺人事件にまでは発展しないまでも、この為に、人生をだいなしにしてしまう世の男性諸君のいかに多いことかを忘れてはならない。勝手に被害者に行為を抱き、暴行致死行為に及んだ市橋被告の罪は許せないし、学生時代とロンドンで働いていた時期を含め英国に5年以上お世話になった身としては英国人の両親にも同じ日本人として申し訳ないという気持ちでいっぱいである。ただ、この事件が暴行事件の発生抑制になればと思う。世の愚かな男たちに暴行は割が合わない、人生が終わってしまうという事を知らしめるような報道の仕方をマスコミには望みたい。記者たちの多くが同じ男性なのだろうから、自分だけはそんな愚かなことはしないというのではいけない。反省すべきは自分を含めた全ての男たちである。

シングルファーザー奮闘記

2011-07-09 06:25:33 | 日記
義母の49日が済むまでと義妹に懇願されて東京に義母が残したマンションで妻は相変わらず一人暮らしを続けている。同じマンションの6階に住む義妹は日に一度遺骨の前で手を合わせるだけで、すぐに帰ってしまうと妻は嘆いていた。寂しいから今度の週末は会いに来て欲しいと言われたが、こちらは息子とのシングルファーザー生活で疲れきっていて体力も経済力もない。毎日2~3時間は残業をしてから夕食の食材を買って帰り、それから夕食の支度である。パートタイマーで5時に帰宅できるシングルマザーとは仕事の取り組みがちがうのである。と言うか、貧乏会社で儲かっていないから社員がサービス残業をせざるを得ない状況に陥っていうるというのが現状かもしれない。ブログを書き続けるのは正直言って、何かを犠牲にしないと難しい。風呂もシャワーも体が痒くなって本当に困った状態にならないと、そんな時間さえも惜しい。周囲に迷惑をかけないですむ程度に体をあらうことにしている。別に水道代を節約している訳ではないが、結果的にはそうなっている悲しい現実がそこにある。東京のマンションで寂しい思いをしている妻には申し訳ないが、車はガソリンがないと走らないがガソリン代も出ない経済状況にある。食費を切りつめても限度がある。育ち盛りの息子は1日2食の生活を余儀なくされている。寝起きは食べられないとい本人は言っているが、朝食を準備してもらえないので諦めているのかもしれない。たまに時間に余裕のある時は、スクランブルエッグなど作ってテーブルの上に置いて会社にでかけるときもあるが、殆ど毎朝のように食事の準備などできないまま出勤してしまう。会社が近いせいもあり、できるだけ昼休みの時間を利用して社宅に戻り息子の様子をうかがうことにしている。食事を抜いていないかなど、親としてはどうしても心配である。受験勉強の合間に掃除機をかけたり、洗濯機に残したままの洗濯ものを干してくれたりと息子なりに家事を手伝ってくれてはいるので多少は助かっている。男の子なのであまり期待しては申し訳ない。ヘルプに感謝である。
さて東京で一人暮らしをエンジョイするどころか、寂しい思いをしている妻であるが唯一つの楽しみは、田舎から連れて行ったペットたちである。文鳥のチョボとアマガエルのマーサ達が妻を慰めてくれているのだろう。自然界の動物や生物を人間が折に入れて飼うことには疑問視をする自分であるが、かれらの癒しの力も我々人間が生きてゆく為には必要なのであろう。田舎を離れて東京のマンションに住むことになったアマガエルさんには本当に申し訳ないが、妻の相手をお願いせざるを得ない。ただ、妻の話では東京の郊外武蔵野でも都会化がすすみ蛙の餌となる、昆虫を見つけるのは難しいようで毎日を生餌さがしに奔走しているようである。空堀川沿いの道路を蜘蛛やバッタを探しながら散歩するのが今の妻の日課となっているようだ。一緒にいる時は何とも思っていないが、いなくなると不便なものである。家事の半分もこなせないで四苦八苦してしまう自分が情けなくなる。まともに掃除をする時間もないので、そのうち家の中が埃だらけになりカビがはえてくるのでなないかと心配にもなる。7月24日の法要まであと2週間の辛抱である。会いに行くガソリン代がないのもあるが、二重生活による食費の問題もある。妻から食費を送るように電話があったが、こちらの食費を分ける余裕など全くない。最近はコンビニのおにぎりも贅沢と感じているので、自分でおにぎりを作って会社に持ってゆくことにした。これなら200円もかからないで済む。とにかく贅沢は禁物である。死なない程度に食事を取れれば良いのである。やせ細った息子を見るにつけ、可哀そうなので夕食だけは、お金をかけずとも栄養のあるものを食べさせたいので、値下げ後の食材を買いあさり動物性たんぱく質も摂取させるように努めてはいる。昼はカップラーメンかおにぎりなどで軽くすませているようなので、夜はできるだけ自炊して安い食材で栄養のとれるように頑張っている。弁当を買うよりははるかに内容の充実した夕食となる。同じ金額ならば、弁当の容器や人件費などに使いたくないと考える。今日も会社のカレンダーでは土曜休日となっているのだが、相変わらず工事部の作業員は休日出勤である。工事部が休日返上で頑張っているのに営業部が堂々と休んでいる訳にはいかない。たまっている見積もりもあることなので、今日も休日出勤して見積書作成である。週休二日制が当たり前になっていた前の勤務先とは全く異なる生活環境である。せっかくの田舎暮らしでも、休みがなくては田舎暮らしを楽しむこともできない。残念。

松本復興相バッシングに異論

2011-07-06 06:49:48 | 政治
日本中がヒステリックに叫んでいる。被災者の心情を傷つけたと。地元の後援会や支持者たちでさえ松本氏を擁護しないとういか、できない雰囲気にされている。まるで過去に戦争反対を呟いただけで非国民とされ国続賊扱いとなった戦時中の日本のように。今の日本では言論の自由など存在しない。『知恵をださないやつは助けない』という発言と『知恵のないやつは助けない』というのでは全く主旨が異なる。前者は努力しようとしない者は助けられませんよという意味であり、後者は弱者切り捨て論とも言うべき発言となる。松本氏は単に、国のできることには限りがある、自助努力が可能な人々には知恵を出し合って協力して欲しいという事を伝えたかったのであろうが、彼の性格と表現能力の無さが招いた大きな誤解であったに違いない。そんなことも想像できない日本全国のマスコミ関係者は愚か者の集まりであり、それに同調した国民の多くが被害妄想状態でまともな思考能力を失っているとしか思えない。松本バッシングは、かって米国で日本車をハンマーでたたき壊して気勢をあげた米国自動車産業の労働者たちの行動と一緒にしか見えない。ヒステリックで常軌を逸している昨今の日本である。反省すべきは、松本氏でなく、日本の無節操なマスコミ全体であろう。だれか失言をすると国全体で非難する。全くあきれた話である。

雑草との戦いは続く

2011-07-03 22:34:27 | 体と健康
連日の暑さと程よい雨のせいか家の周りに雑草が茂り始めた。放っておくとプランターから植え替えたトマトやメロンが見えなくなってしまう。朝の涼しいうちにと思い、早朝6時から草むしりを始めたが、西側の野菜を育てている土地は道路に面しているためと塀もないため、道路を通る人からは丸見えである。単管パイプの柵では不用心なのんで会社から不要なスチール製のフェンスを貰ってきて取り付けてはあるが目隠しにはならない。草むしりをしてると自転車で通りかかった隣りのおばあちゃんに声をかけられた。はびこっていた雑草がなくなってすっきりしたせいか、きれいになったと褒められた。他人の家でも、雑草が茂っているのは気になるらしい。というよりは草むしりの苦労を知り尽くしたおばあちゃんからの『あっぱれ』であったかもしれない。2時間も続けていると早朝とはいえ、汗は滴り落ちて眼鏡に落ちて前が見えにくくなるが泥だらけの手でふくこともできず黙々と草取りを続行せざるをえない。腰も痛くなり、午前中はこれで終了しようと家にはいり8時すぎに遅い朝食をとることにした。昨夜食べたスイカの残りがあったので、スイカとチョコパンを息子と分け合った。普段は朝食をとらない息子も今日は食べていたが、果物は食べられるということか。朝起きたばかりは決して何も口に入れない傾向があったのだが、水分のある果物は問題ないのだろうか。二人で朝食をとっているとダイニングテーブルの上に置いた携帯電話が鳴った。数日前に会社に電話があり、日曜日でも営業はしているかと問われて、依頼があれば休日でも見積もりに出向くことは可能であると返事をしていた相手からであった。聞けば今日の午後5時に待ち合わせ場所まで来てほしいとの要求であった。待ち合わせの場所までは車をとばせば1時間以内で行ける距離である。4時過ぎに会社を出れば十分間に合う。息子に図書館で勉強しないかと持ちかけたが、市立図書館ではパソコンが1時間しか使えないから、勉強にならないと断られた。すこしでも涼しい環境で勉強させようかと考えての事だが見事に裏切られてしまった。市立図書館は駅東にあり、ここからでは自転車で行ける距離ではないし、路線バス等の公共交通手段もない。1日に2本あった定期路線バスのサービスも最近打ち切られてしまった。近くにある運動公園にゆけば、デマンドバスとかいう市のサービスがあり、時間と利用する日を告げれば予約ができるのだが、これも利用する客にとっては面倒であろう。片田舎では車がないとどこへも行けないのである。草取りをしながら考えたのだが、昔の日本人は額に汗を流すことを誇りに思い、社会通念として良いことであると信じていたようである。ところが、半世紀以上前に戦争に負けてから西洋の、とくに米国の価値観を有り難がるようになってしまっている。これがそもそもの間違いである。我々農耕民族と違い、遊牧民族の彼らは基本的に怠けものである。家畜を従えて餌の豊富な土地から土地へと移り住んで生計をたてる。自分たちで育てた牧草でなく、自然界にあるものを利用するだけである。そういう遺伝子を受け継いでいる西洋人の文化であるから昨今のマネーゲームによる経済破壊などはお手の物であろう。真面目に汗水たらして働くことなど彼らにとっては愚の骨頂なのである。犯罪者まがいの行動で一国の経済をめちゃめちゃにしても、マスコミ各社による厳しい非難と追及も蛙の面に何とやらで、何とも思っちゃいない。日本でも米国のマネーゲームを猿真似して犯罪者になった東大出の成金さんがいましたが、豚さんみたいにやたら太っていますが、毎日栄養過多の美味しい食事を続けているせいでしょうか。いつまでも西洋のまねばかりしていては日本は本当に滅びてしまうと思う。その前に、借金抱えた我が家が滅びてしまっているかな。住宅ローン払えなくなり追い出されたマンションのローンだけは残っているが毎月の返済額が少ないこともあり余り減っていないし、カードローンも残ったままである。幸い社宅住まいで、出てゆくカネも少ないので何とかしのいでいるが、毎日が節約生活である。食費以外に使える金はいたって少ない。衣類などはとても買える状況ではない。いっそ、カード破産宣告でもしてしまえば楽になるのだろうか。息子の昼飯はカップラーメンかレトルトパックの食材である。500円の弁当さえ我が家にとっては高値の花である。弁当もできるだけ安いものに限っている。携帯電話やパソコンのインターネットをすべて解約すれば食費に回せるのであるが、妻も息子も携帯電話なしの生活など想像もつかないようである。とくに妻が東京の実家に戻っている現状では携帯電話で連絡がつかないと困る事もある。便利さと通信費用のしわ寄せが食費削減へとつながってしまう。今どき餓死することはないだろうが、腹をすかすことや好きなものを好きな量たべることができないのは我が家の現状である。これまで借金のことは考えないようにしてきたが、妻の意識が低いので先日かなり厳しいことを妻に言ってしまった。我が家がどれほど経済的に困窮しているかと。そのせいか、自分の意識の中にも重圧となってのしかかるようになってしまったのかもしれない。これでは自分が参ってしまいそうである。あまり考えないようにしないと今度は自分自身が鬱病になりかねない。困ったものである。草取りで疲れ切った体に鞭打ってブログを書き始めたのは良いが、どうも暗いほうへと話がそれてゆく。心も疲れきっているのだろうか。頑張れと自分に言い聞かせている。
ところで、今日の見積もり依頼人については非常に驚かされた。待ち合わせの場所に出向いたのは良いが、肝心の照会された家の庭先では実際に舗装をするかどうかも決まっていなかったのである。紹介した本人は怒って帰ってしまうし、その家の住人は紹介者とはどういう関係かと問いただされる始末であった。しかも法要があったとかで数人は寄っている状態で喧嘩腰の口調で話しかけてくるのだから困ったものである。とりあえず舗装する土地の寸法を手早く測り早々に退散した。一応見積もりは提出するが受注に結びつくかは疑問である。休日出勤して出向いたにも関わらずである。