田舎で暮らしてます。 (My country life!)

都会の喧騒を離れ、北関東の田舎で可愛いペット達と暮らし始めた中年夫婦の日記です。

国際交流協会バスハイク那須平成の森

2012-09-04 23:12:37 | 旅行
国際交流協会バスハイク那須平成の森


楽しみにしていた9月2日の日曜日は早朝から降りしきる雨音で目が覚めた。雨の勢いは一向に弱まる気配がない。前日は一緒にバスハイクに参加すると言っていた妻も、大雨に怖気づいたのか早急に不参加の意思を固めた。もともと乗り気ではなかった妻にとっては渡りに船といったところで格好の口実ができたに過ぎない。そういう本人も、案内状に雨天決行とはなっていなかったので、とりあえず集合場所である市役所まで足を運ぶことにした。弁当持参となっていたので、朝から五目いなりずしとおにぎりを2~3人分つくり家をでた。集合場所に到着したのは時間ぎりぎりの8時15分であったが、駐車場に止めた車の中から見る限りバスは満席になっている様子もない。世話役の数人に名前と妻が欠席した旨を告げて、バスに乗り込む。案の定、バスの席は空席が目立った。定員40名で募集して、定員40名で締め切ったと聞いていたが悪天候の影響か最後まで連絡の取れなかった4名のドタキャンを含む総勢12名がなんと不参加となってしまっていた。せっかくの外国人とのバスハイクであるから、日本人の隣りに座るのも意味がないと思い、インド人らしき青年の隣りに腰をおろした。ゆっくりとした日本語で話しかけると、カタコトではあるがしっかりとした日本語で返事があった。日本に来て5年という青年は首から下げたネームカードにノムラなんとか書いてあったので、日本人と結婚して野村の姓を名乗っているのかと思いきや、ノムラはサーネーム(氏)だと言うではないか。なんともややこしいインド人である。インドではさほど珍しい名前ではないらしい。あまり流暢な日本語ではないので、インド人なら英語も話せるであろうというと、その通りだという。しばらくは、英語での会話が続き、時折彼が日本語で返すという英語と日本語がまじりあった妙な会話がバスの中で響いた。反対側に座っていたグループは全員ネパール出身者であったが、こちらは英語もカタコトで、どちらかというと日本語の方が得意らしい。参加者は、だれもが日本語をはなせるようではあったが、読み書きについてはカタカナとひらがなをやっと覚えた程度というから、漢字交じりのパンフレットや日程を読むのは困難であろう。そんのこともあってか国際交流協会が準備したパンフレットは、普通の日本文と並行して、ひらがなとカタカナだけで難しい表現も避けた分かりやすい日本語の文章が、まるで訳文のように記載されていた。できれば簡単な英文も付け加えて、ひらがなも読めない外国人にも理解できるようにすべきであろう。
幸いにもバスが高速道路に入った頃には、雨もやんで雲の切れ間から小さな窓のような青空も見えてきた。隣りのインド人青年が現地に着くころには天気が回復して晴れるのだろうかと聞いてきた。目的地である那須高原は山岳地である、残念ながら山の天気は変わり易い。余り期待しないほうが良いとだけ答えた。最初におとずれた殺生石では雨脚が再び強まり、傘を持っていない隣りの青年に傘を貸してやることになった。自分は持ってきた合羽を着ることにした。デジカメが濡れるのを気にしながらも数枚の写真をとることができた。その後、平成の森にあるビジターセンターに着くころには

国際交流協会バスハイク那須平成の森

2012-09-04 23:12:37 | 旅行
国際交流協会バスハイク那須平成の森


楽しみにしていた9月2日の日曜日は早朝から降りしきる雨音で目が覚めた。雨の勢いは一向に弱まる気配がない。前日は一緒にバスハイクに参加すると言っていた妻も、大雨に怖気づいたのか早急に不参加の意思を固めた。もともと乗り気ではなかった妻にとっては渡りに船といったところで格好の口実ができたに過ぎない。そういう本人も、案内状に雨天決行とはなっていなかったので、とりあえず集合場所である市役所まで足を運ぶことにした。弁当持参となっていたので、朝から五目いなりずしとおにぎりを2~3人分つくり家をでた。集合場所に到着したのは時間ぎりぎりの8時15分であったが、駐車場に止めた車の中から見る限りバスは満席になっている様子もない。世話役の数人に名前と妻が欠席した旨を告げて、バスに乗り込む。案の定、バスの席は空席が目立った。定員40名で募集して、定員40名で締め切ったと聞いていたが悪天候の影響か最後まで連絡の取れなかった4名のドタキャンを含む総勢12名がなんと不参加となってしまっていた。せっかくの外国人とのバスハイクであるから、日本人の隣りに座るのも意味がないと思い、インド人らしき青年の隣りに腰をおろした。ゆっくりとした日本語で話しかけると、カタコトではあるがしっかりとした日本語で返事があった。日本に来て5年という青年は首から下げたネームカードにノムラなんとか書いてあったので、日本人と結婚して野村の姓を名乗っているのかと思いきや、ノムラはサーネーム(氏)だと言うではないか。なんともややこしいインド人である。インドではさほど珍しい名前ではないらしい。あまり流暢な日本語ではないので、インド人なら英語も話せるであろうというと、その通りだという。しばらくは、英語での会話が続き、時折彼が日本語で返すという英語と日本語がまじりあった妙な会話がバスの中で響いた。反対側に座っていたグループは全員ネパール出身者であったが、こちらは英語もカタコトで、どちらかというと日本語の方が得意らしい。参加者は、だれもが日本語をはなせるようではあったが、読み書きについてはカタカナとひらがなをやっと覚えた程度というから、漢字交じりのパンフレットや日程を読むのは困難であろう。そんのこともあってか国際交流協会が準備したパンフレットは、普通の日本文と並行して、ひらがなとカタカナだけで難しい表現も避けた分かりやすい日本語の文章が、まるで訳文のように記載されていた。できれば簡単な英文も付け加えて、ひらがなも読めない外国人にも理解できるようにすべきであろう。
幸いにもバスが高速道路に入った頃には、雨もやんで雲の切れ間から小さな窓のような青空も見えてきた。隣りのインド人青年が現地に着くころには天気が回復して晴れるのだろうかと聞いてきた。目的地である那須高原は山岳地である、残念ながら山の天気は変わり易い。余り期待しないほうが良いとだけ答えた。最初におとずれた殺生石では雨脚が再び強まり、傘を持っていない隣りの青年に傘を貸してやることになった。自分は持ってきた合羽を着ることにした。デジカメが濡れるのを気にしながらも数枚の写真をとることができた。その後、平成の森にあるビジターセンターに着くころには

国際交流協会バスハイク那須平成の森

2012-09-04 23:12:37 | 旅行
国際交流協会バスハイク那須平成の森


楽しみにしていた9月2日の日曜日は早朝から降りしきる雨音で目が覚めた。雨の勢いは一向に弱まる気配がない。前日は一緒にバスハイクに参加すると言っていた妻も、大雨に怖気づいたのか早急に不参加の意思を固めた。もともと乗り気ではなかった妻にとっては渡りに船といったところで格好の口実ができたに過ぎない。そういう本人も、案内状に雨天決行とはなっていなかったので、とりあえず集合場所である市役所まで足を運ぶことにした。弁当持参となっていたので、朝から五目いなりずしとおにぎりを2~3人分つくり家をでた。集合場所に到着したのは時間ぎりぎりの8時15分であったが、駐車場に止めた車の中から見る限りバスは満席になっている様子もない。世話役の数人に名前と妻が欠席した旨を告げて、バスに乗り込む。案の定、バスの席は空席が目立った。定員40名で募集して、定員40名で締め切ったと聞いていたが悪天候の影響か最後まで連絡の取れなかった4名のドタキャンを含む総勢12名がなんと不参加となってしまっていた。せっかくの外国人とのバスハイクであるから、日本人の隣りに座るのも意味がないと思い、インド人らしき青年の隣りに腰をおろした。ゆっくりとした日本語で話しかけると、カタコトではあるがしっかりとした日本語で返事があった。日本に来て5年という青年は首から下げたネームカードにノムラなんとか書いてあったので、日本人と結婚して野村の姓を名乗っているのかと思いきや、ノムラはサーネーム(氏)だと言うではないか。なんともややこしいインド人である。インドではさほど珍しい名前ではないらしい。あまり流暢な日本語ではないので、インド人なら英語も話せるであろうというと、その通りだという。しばらくは、英語での会話が続き、時折彼が日本語で返すという英語と日本語がまじりあった妙な会話がバスの中で響いた。反対側に座っていたグループは全員ネパール出身者であったが、こちらは英語もカタコトで、どちらかというと日本語の方が得意らしい。参加者は、だれもが日本語をはなせるようではあったが、読み書きについてはカタカナとひらがなをやっと覚えた程度というから、漢字交じりのパンフレットや日程を読むのは困難であろう。そんのこともあってか国際交流協会が準備したパンフレットは、普通の日本文と並行して、ひらがなとカタカナだけで難しい表現も避けた分かりやすい日本語の文章が、まるで訳文のように記載されていた。できれば簡単な英文も付け加えて、ひらがなも読めない外国人にも理解できるようにすべきであろう。
幸いにもバスが高速道路に入った頃には、雨もやんで雲の切れ間から小さな窓のような青空も見えてきた。隣りのインド人青年が現地に着くころには天気が回復して晴れるのだろうかと聞いてきた。目的地である那須高原は山岳地である、残念ながら山の天気は変わり易い。余り期待しないほうが良いとだけ答えた。最初におとずれた殺生石では雨脚が再び強まり、傘を持っていない隣りの青年に傘を貸してやることになった。自分は持ってきた合羽を着ることにした。デジカメが濡れるのを気にしながらも数枚の写真をとることができた。その後、平成の森にあるビジターセンターに着くころには

日光霧降高原ドライブ

2012-08-17 06:34:04 | 旅行
二泊三日のドライブ旅行でご主人様は相当お疲れの様子なので、家族の一員として参加したペット文鳥のちょぼが旅行の一部始終を報告します。今回の旅行では初めてボートに乗ったりして、ちょっとしたスリルを味わいました。残念ながら霧降の滝が見られる展望台までが山道で楽な行程ではなかったらしく、駐車場の車の中で待たされてしまいました。幸い天候も曇りで車中の温度が上昇する心配もなかったので安心していたようですが、たった一人(一羽)で車の中に取り残されるのは人間でなくとも淋しいものですよ。その前に立ち寄った「チロリン村」では、家族3人でアーチェリーやパターゴルフを楽しんでいるのを籠の中から恨めしそうに眺めていましたけどね。一緒に行動するのは有り難いのですが、決して外には出してもらえません。外へ出したら最後、どこかへ飛んで行ってしまうと信じているらしく、家族がパターゴルフに興じている間もベンチの鳥籠のなかからじっと見ているだけ。そうそう、息子の雅弘君なんですが、けっこう不器用で何度もボールをたたいていましたね。余り強く打ち過ぎるものだから、ボールが飛び過ぎてなかなかホールに入りません。ただ、一度だけホールインワンがありました。強く打ったゴルフボールが反対側のレンガ囲いに当たり、跳ね返ったと思ったらポールに当たり、そのままカップの中へ吸い込まれました。驚きますね。ビギナーズラックというやつですかね。昨夜の雨で、コースにかなり水が残っていたようでボールが走らず苦戦していたようです。強く叩きすぎるとオーバーしてしまうし、結構パターゴルフって難しい遊びなんですね。岡目八目、鳥籠の中から見ていてもなかなか簡単なゲームではないとわかりました。でも、やっぱり外にでて肩の上から眺めたかったかな。昨夜泊ったペンションの夕食については次の機会に報告します。

昭和44年度<強化合宿>栃高山岳部の記録

2012-08-07 03:38:19 | 旅行
女峰山は日光市の北側、男体山の北東約7kmに位置する標高2483mの成層火山。「深田クラブ」の有志によって日本二百名山に加えられた山であるが、むしろ山頂の南東側にある雲竜渓谷のほうが良く知られているようだ。この雲竜渓谷は奥深い谷に多くの滝をかけており冬場は神秘的な氷の殿堂と化すことで有名である。だが女峰山の山稜部は鋸状の地形を見せ、アルペン的な風貌をなす魅力的な山である。
隣接する赤薙山を経由する霧降高原からの入山ルートが一般的であるようだ。標高1200mの霧降高原からだと女峰山頂までの標高差は1200mに過ぎない。日光東照宮の西側に位置する日光二荒山神社の裏手にある登山口からのルートから比較すると体力的にかなり楽な行程となる。日光市内から登る標高差1900mにも及ぶ馬鹿尾根に挑戦する登山者は少なく、もっぱら唐沢避難小屋、黒岩を経由しての下山ルートとして使われるようだ。
ところが栃高山岳部ではトレーニングと称して、あえて難易度の高い女峰山正面からのアプローチに挑む。これが強化合宿の目的である。八甲田山における死の行軍とまではいかないが、高校生の若い体力をもってしても相当に厳しい山行となる。自己の経験から言えば、南アルプスの北岳登山に匹敵する、まさに体力を消耗させられる登山ルートである。その分、富士山や男体山などの変化が少ない、いわゆる退屈な登山道にくらべて変化に富み、四季折々の変貌は登山者を楽しませてくれることは間違いない。女峰山の名にふさわしく、十二単以上の美しさを身にまとう山ではある。
にもかかわらず山行記録は何とも味気ないものである。まるで軍隊の行進にも似て時間の経過と休止中の様子だけが記憶にのこるようである。この時は、顧問の阿部鉄太郎先生と小堀誠先生が同行しており、2年生部員が4名と1年生部員が3名にOBが1名加わり総勢10名の小部隊であった。
第一日目は、部室に集合して学校祭を恨めしそうに見ながらも、これから経験する登山への期待を胸に最後の準備となる。大橋部員が不参加となったため、彼に電車の回数券購入を依頼、彼は駅へと向かった。
9:05 準備運動後に出発。(水泳の前と同じですかね)
途中で紅茶を買い忘れたことに気づき駅前の店でティーバッグを買った。
9:25 新栃木駅に到着し9:38発の電車に乗り込む、混んでいるので立ったままで日光駅まで。
10:25 東武日光駅に到着、前田と山根のラジウスから石油が漏れているのを発見したが、そのまま市内バスに乗車。バスは行楽シーズンで混んでいた。バスを降りた後で、漏れていたラジウスの石油を捨てる。
11:00 東照宮と二荒山神社の裏手にある女峰山の登山口から入山。
11:15 「行者堂」に到着。関口、前田、山根、田村のポリタンクに水を入れる。
11:55 「禁断の石」を通過、石塚が宇都木OBに向かって奇声を発する。狂ったか?
12:05 「交差点」着。街中でもあるまいに登山道の交差地点である。昼食にしたが、周辺には変な虫が飛び交い落ち着いて食事もできない。
12:35 石塚SLが先頭で出発となる。登山道が整備されてなく、足元が悪い。滑らないように注意しながら登る。
12:55 「児子の墓」(ちごのはか)を右側にみて通過。
01:25 第一水場に到着し、休憩となる。菓子とチョコレートが出た。先ほどの変な虫たちが、執拗にまとわりつく。
01:35 出発。秋の山とはうって変り、木の葉が落ちて樹林帯の中が良く見渡せる。ガスがすこし出てきた。雨になりそうな気配である。全員が意外にバテてきている。特に一年生部員の疲れ切った姿が見るにも哀れである。
02:25 「八風」着 間食に美味しそうな菓子が配られたが、小休止の間に体が冷えてきた。体力の消耗が懸念される。
02:35 出発 あっと言う間に前方が霧につつまれた。前回の秋山と異なり、今回はかなりひどい雨になりそうだとの予測もあったが、雨ではなかった。まずは一安心である。
03:15 「黒岩」着 温度9℃ 田村は今回もマメができたようなので応急手当でトクホンを貼る。はるか下の方に雲竜渓谷の沢から水音が微かに聞こえてくる。沢登りの猛者たちは、雲竜渓谷を経て黒岩に達するとも聞いているが、この崖を登るには相当なロッククライミングの技術が必要なのだろう。我々高校生には無縁の世界である。
03:35 出発 上り坂はさらに急斜面となり、岩場が長く続いている。霧の為に視界が悪く、非常に歩きにくい。
04:00 小休止 ラジオを取り出し、気象概況を聞く。 山根が登山道から落ちそうになる。疲れていて注意力が散漫になっているようだ。
04:10 出発 歩き始めて5~6分で、田村が痙攣らしい。仕方なく5分の小休止とする。山口、関口、前田と山根の4人が小屋に向かう。石塚、橋本、田村と顧問の先生2名が10分ほど遅れて出発となる。
05:05 唐沢避難小屋に到着。小屋には既に7~8人ほどの先客が休んでいた。前田と山根がテント設営を始める。その間に山口と関口が近くの水場へと水汲みに行く。水場までの道は楽ではないが、水量には恵まれた良い水場である。炊事は小屋内で行うことにした。ザック数個は小屋の中に置かせてもらうことにした。早めの夕食はスープのように薄いカレーだったが食欲に負けて食べる。山ではどんなものも食べなければならない。夕食後に食器洗いに水場まで歩くのだが、この水場まで10分もかかり暗いうえに霧が深く難儀する。小屋に戻り、テントの中で就寝。ラジウスをストーブ代わりにして室温を上げ、暖かい環境で眠る。

11月2日 
4時30分に起床、おかしい。確か目覚ましは3時30分にセットしたはずだった。ラジウスがなかなか着火せずに手こずってしまう。朝食はというと、昨夜の残りカレーを処理するために、玉ねぎとグリーンピースを加えて煮込んだ。不評だったカレースープを再び食べることになった。
7:00 出発。途中、遥か彼方に富士山が雲海に浮かんで見え、思わず感嘆の声がどこからともなく上がった。10分後には山頂に到着した。眺めが非常によく、部員たちは誰もがカメラのシャッターをきるのに忙しい。間食は甘納豆にラムネ。
8:00 出発。日陰に入り、岩肌がひんやりと冷たい。早朝のためか霧が岩肌を濡らし、足元の岩が滑りやすい。
8:35 帝釈山通過
9:20 富士見峠着。(みかんとジュースの間食)
9:40 出発。ガレ場がつづき、落石があり全員おどろく。途中で日光高校山岳部と出会う。
10:35 小真名子山頂着。見通しの悪い山頂で、雲多く風もない。
12:50 大真名子山頂着。記念撮影を行う。雲がでてきている。
14:35 志津小屋着。休憩の後でテント設営。
17:30 夕食開始。献立は五目御飯と味噌汁。
20:00 就寝
22:00 喉が渇いて目が覚めた。

11月3日
01:00 雨が降ってきた。
03:30 予定より早く起床。
05:30 朝食終了。テントを撤収。出発の準備。
06:40 予定より40分も遅れて出発。樹木伐採による倒木が登山道を遮り登りにくい。雨がぱらついている。
07:30 5合目着。積雪が目立ち始める。
07:40 出発。ガスが次第に濃くなる中、気温も下がっているのか寒さを感じる。付近にある雪を口の中に入れる。乾いた口の中で、雪もうまし。五合目からは休まずに男体山頂についた。相変わらずのガスで視界は15メートル前後しかない。
09:25 出発。寒気から逃れるために駆け足で男体山を下る。
10:00 6合目に到着。中禅寺湖が霧の隙間から見え、思わずカメラを構える。
10:15 出発 やや駆け足気味で下山する。
11:05 二荒山神社に到着、柵を乗り越えて登山道から外に出た。中禅寺湖畔からバスに乗り12時25分には東武日光駅に着いた。無事下山出来たことに感謝し、なぜか全員でおでんを食べることになった。