田舎で暮らしてます。 (My country life!)

都会の喧騒を離れ、北関東の田舎で可愛いペット達と暮らし始めた中年夫婦の日記です。

県立がんセンターのセカンドオピニオン

2012-09-29 10:27:43 | 日記
昨日は予約をしていた県立がんセンターで治療に関するセカンドオピニオンを聞きく為に外出した。通院中の病院の紹介状、画像データ記録メディアと生体検査の試料を持参したが、病歴について入院の経過や診療内容まで詳細な質問をされたのには驚いた。その辺の情報は通院中の病院データ中にあるものと信じていたが、入院中もどのような診療や投薬を行ったのかも患者に直接聞き取りをするという手法には驚くというよりも半ば呆れてしまった。抗がん剤との併用として免疫性を高める免疫療法についても聞いてみたが、まったく相手にしてもらえなかった。巷の民間療法には全く聞く耳持たずと言った拒否反応が顔に出ていた。県立がんセンターの医師という立場上、インターネット上にはびこる様々な情報に不信感を持つのは理解できるとしても、いきなり民間療法を試したいなら他の医療機関へ行けばいいでしょうという言い方には少々腹が立った。すでに、聖路加病院泌尿器科部長である村石修先生が書かれた「前立腺がん 正しい治療がわかる本」という本で多少なりとも自分の病気については理解しておこうと言う努力はしてきた。これらの本には書かれていない情報をたくさん持っているだろうと期待してのセカンドオピニオンである。本屋さんで手に入る情報を県立がんセンターで高額な相談料を支払ってまで求めてはいない。カウンセリング費用の1万2千円も払えば、この種の癌情報に関する本が10冊は買える。

それ以上に、先生の患者に対する態度にあきれ果てた。医療はクルマの修理ではない。使えない部品を取り去る(手術)ことや潤滑油を注入する(投薬)などを行えば良いというものではないだろう。人間の体には、機械にはない心と言うものがある。患者の気持ちを考えられない医師は、その時点でクルマの修理屋さんと一緒である。まことに申し訳ないが、県立がんセンターの担当医師には人間らしさは微塵も感じられなかった。専門知識はあるのだろうが、それ以前に人間として信頼関係の築けない医師でるようだ。これが今の医療の現実なのかもしれない。多くの医師にとって患者は壊れた機械にすぎないのであろう。クルマの修理のごとく、マニュアル通りに修理のレベルを上げてゆくだけの作業なのだろう。

免疫性を高めることに中心を置く民間療法を支持してくれるとは期待していなかったが、ここまで強烈に拒否反応をされたことには驚きを隠せない。県立がんセンターでは実績も興味もない療法であるにしても、他の医療機関(地方の大学病院ですでに臨床実験を開始している免疫療法について)を真っ向から否定する権利があるというのだろうか。目の前にいる癌患者のモーチベーションを下げてまでも。それは単なる医師のエゴではないのか。

セカンドオピニオンは、結局なんの結果も生みださなかった。県立がんセンターでも何ら肯定的な治療法について新しい情報が入手できなかった以上、実績の無い民間療法と馬鹿にされても免疫療法に期待せざるを得ない。すくなくとも過去の臨床実験で免疫性向上が立証されている免疫療法が間違っているはずはない。免疫性の低下によって生じた癌であれば、免疫性を高めれば克服できないなずはない。

我が家の収穫祭?

2012-09-26 11:25:39 | 日記
裏庭のスイカが大きくなってきていた。最も大きなスイカは約20センチほどに成長していたので試しに割ってみることにした。ヘタの部分が十分黄色くなっていなかったので経験から若干早い気はしていたが小玉スイカほどの大きさなのでダメ元で収穫を決意した。
包丁を入れると即座にスイカにひび割れが発生して、まるでスイカ割りのスイカ同様に醜く割れてしまった。大失敗である。良く見ると種も黒く変化しておらず完熟状態ではないことが明らかである。ただ果肉の赤みは十分な甘さを約束してくれているようだった。試食をする前に、東京に住む義妹家族に写メールを送って報告。
さて、そのお味は? 見かけに反してスイカは十分な甘みを既に蓄えており食するに十分ではあった。甘すぎることなく、まるで上品な和菓子のような風味さえ感じさせるものであった。家庭菜園のまねごとで過去にもトマトやイチゴを栽培したことはあるが、スイカは初めての挑戦で、しかもスーパーで買ったスイカの種を乾燥させ自己流で発芽させた苗である。実に驚くべき結果であると思う。まだ5個ほど残っているので残りは成長を楽しもうと考えている。自分の手で育てた初物を家族で食べるのは楽しいことである。もちろん家族の一員である文鳥のチョボが試食を共にしたのは言うまでもない。

さて、一緒に収穫祭(たった一個のスイカではあったが)を祝った妻が最近やっとペーパードラバーを卒業して、我が家のデミオを運転し始めた。免許の取得は夫よりも数年前で20代での自動車免許取得であるから、ライセンス保有歴は30年以上にもなるが、その間一度もハンドルを握ったことがないというツワモノであった。夫が骨折をして車椅子生活となったことを機会に一念発起してドライバー席に座ることになった。
庭先での初歩的な車の操作から始まり、すでに外出ができるまでに上達している。勤務先へのあいさつと、となり町の病院への通院も助手席でナビを務めるだけで済んだのは本当にありがたい。助手席に座った再教習の教官代わりとなった夫がやたら口うるさいと感じるのか、説明の仕方がわるい、教え方が下手だとか運転中に口論となってしまう。普段なにげなく行っている運転ではあるが、いざ運転技術を教えるということになると素人には難しいことである。最初は初心者用若葉マークをつけることに抵抗があったようであるが、最近はやっと若葉マークをつけることに納得したようである。

それにしても、一般ドライバーのマナーの悪さには驚かされる。とくに、初心者ドライバーの助手席に座って眺めていると今まで以上にドライバーの質が悪いことに気づかされる。彼らは自動車教習所で学んだことを全て忘れ去ってしまっているかのようである。方向指示機も出さずに平気で車線変更をするクルマは珍しくもなく、右折や左折でも事前にウィンカーを出すことさえしない。ハンドルを切ると同時に方向指示機をだしたのでは全く意味がない。右折だろうが、左折だろうが車体が方向を換えれば誰でもクルマが曲がろうとしていることはわかる。方向指示機の目的は、その行動をとる前に前後のクルマに対して自分のクルマがどういう行動をとろうとしているのか事前に知らせることにある。こんな初歩的なことは教習所で習ったはずである。

コミュニケーションのできないバカ者が日本に増殖していることは知っていたが、クルマの運転においても他のクルマとコミュニケーションが取れないようである。単に友達や会社の同僚と意思疎通が図れないのであれば人間関係がうまくゆかない程度で治まるが、クルマ同士ではそうはいかない。周囲のクルマに自車の行動を伝えられないのは致命的である。それがそのまま交通事故の原因となるからである。コミュニケーションが苦手などと言ってはいられない。命の問題なのだから。交通ルールの無視とマナーの悪さは、重大な交通事故に発展する危険性を常にはらんでいる。秋の交通安全運動で取り締まる、警察関係者に言いたいのは単にシートベルトや速度違反を取り締まるのではなく、方向指示機を適確に操作できない、あるいは故意にしないドラバーの取り締まりも行って欲しいと強く要望したい。彼らは一体なにを取り締まっているのかと憤りを強く感じてしまう。

日曜大工の楽しみ方

2012-08-06 05:50:50 | 日記
田舎暮らしのバンガロー(平屋の住宅)を少しでも快適に。と言うか耐えがたい冬の寒さと夏の暑さを少しでも快適にしたいと古い社宅をりホームしているのだが屋外までは手が回らなかた。熱帯夜でも防犯上の理由で窓を開けたくないという妻の要望に従い夫は窓に面格子を取り付ける。
先日の面格子は簡単なものであったが、今回の窓には15cm間隔に柵を設けた。こんなもので侵入者が防げるとは思わないが無いよりはましである。牽制球くらにはなるだろう。
闘病中の身なので体に負担がかからない程度に日曜大工を続けようとしているが、何しろこの暑さである。面格子の取り付け作業のひとつひとつで玉のような汗が滴る。脚立の上では道具を置く場所がないので、腰に大きめのポーチをぶら下げ、これにドライバー、マジック、キリとネジなどを入れた。なるほど電気職人が良く腰のまわりに道具袋を撒いているのが良く理解できる。ズボンのポケットよりは便利である。
素材については防犯上の理由から、企業秘密としておこう。材料や止め具が解れば、解体方法が推測できてしまう。これでは防犯の役目を果たせない。簡単には取り外せないようにはしてあるので、壊しているうちに破壊音で家族は目が覚めるだろう。非難の時間稼ぎはできそうだ。これからは安心して窓を開放できる。締め切った部屋で眠れない夜を過ごすこともなくなるだろう。

ところで、文鳥のチョボの写真がブログに載ったことで、LOVEがクレームをつけたので彼/彼女の写真もフォトチャンネルに出すことにした。性別はみなさんで推測して欲しい。
Male or Female, this is a question.
それが問題ではないのだ。飼い主は気にもしていない。顔を眺めても性別の判断は難しい。

まちねずみの苦労

2012-08-03 04:20:03 | 日記
さて田舎にすむことになった町ねずみのノッコの苦労はたえない。
うそっぷ童話では、町のねずみは田舎の生活に退屈するだけではない。
家の中には食べ物がないのでジャスコとか呼ばれる大きな倉庫まで遠出せねばならない。
畑や家のまわりに食べ物がたくさんあったのは昔のはなしで今や田舎のねずみも食材を求めて遠出する。
ところが田舎には地下鉄も、電車もバスもない。頼りになるのは、その細い4本の足だけ。
食材を銜えて炎天下のアスファルトの上を歩くのは容易ではない。日差しの弱まるの待って町のねずみは
出かけてゆく。ああしんどいと弱音を吐きながら、歩いてゆく。歩き続ける町のねずみの苦労は絶えぬ。

この暑さの中で徒歩で買い物に行くのは大変なことである。徒歩以外の移動手段を持たぬ自称山の手育ちの主婦は毎日の買い物で苦労する。都会の便利さが懐かしく思い出される。なんでこんな苦労をしなければならないのと言わぬがはなの愚痴も出る。いいたかないが聞いてちょうだいと主婦は夫に語りかけ。あたしゃペーパードライバー、車に乗れぬがなぜ悪い。自転車乗れぬがなぜ悪い。住みたかないわよ田舎には。よしいくぞうの、歌じゃないけど、何にもない。スーパーない。買い物行くにもバスがない。自転車あっても乗れません。わたしは何も悪くない。ああ、その通り。

田舎暮らしを強いている妻には全く申し訳ないと思っている。毎日の買い物も大変な重労働である。買い物袋をさげて30分以上も歩き続けるのは楽ではない、ましてこの暑さである。昨日は夕方まで待って買い物に出かけたようで、夫が帰宅した時間には夕食の用意ができていなかった。夫は、これから食事をつくると言われた。言い訳のように妻は買い物の苦労を夫に訴えた。夫は黙って聞く。車や自転車での移動手段を持たない妻の苦労は夫に伝わらないとでも思ったのだろうか、その後も自分に非はないと田舎暮らしの不便さを語り続けた。田舎に住むということは、そういうことなのだろう。スーパーやコンビニなどなんでも歩いてゆける距離にあり公共交通機関に恵まれた便利な都会の生活を犠牲にするということなのであろう。車移動という手段をもつ夫は、その不便さを身にしみて感じることはないが、妻の体験を通じて改めて田舎暮らしの不便さを思い知らされるのであった。

まちねずみ
働きすぎず
(のんびりと)
待ちねずみ

町のねずみさんには待ちのこころが必要なようだ。無理をしないで、苦労しないで田舎の生活を送ってもらいたい。

まちのねずみといなかのねずみ

2012-08-01 05:23:52 | 日記
いなかのネズミの家に遊びに来た町のネズミはイソップ童話の話であるが、これに似たことが我が家でも起きている。昨夜はささいなことから妻と口論になった。原因は田舎生活の不便さと退屈さである。結婚当初は町のネズミであった夫は、子育てが終わると田舎暮らしを始めたのだ。田舎暮らしなど考えてもいなかった町のネズミは不便ないなかの生活を強いられ、昔暮らした都会のマンションの片隅での生活が懐かしい。田舎の生活はつまらないと言い切る町ネズミの妻。童話では、美味しいチーズやハムなどのごちそうが町にはいっぱいあるとなっているが、我が家の町ネズミは都会の便利さに憧れる。公共交通機関に恵まれない片田舎の生活はペーパードライバーで自転車にも乗れない町ネズミにとって不便このうえない。毎日の買い物も近くのスーパーまで徒歩で往復である。童話の中のネズミは、近所の畑の野菜をいつでも食べられ、遠くまで出かける必要がない。ところが現実世界では田舎に嫁いだ町ネズミは毎日の買い物で苦労する。
退屈かもしれないが平和な田舎で、都会に住むネズミのように危険と隣り合わせということもない生活に何の不満も抱かない田舎ネズミの夫には、まちのネズミの悲しみは伝わらない。所詮あなたは田舎生まれのネズミなのよと、啖呵をきられてしまう。そう所詮おいらは田舎の生まれ、都会に憧れ18歳で故郷をすてた、都会の住み家を転々と渡り歩いた「ふうてんのチュウ公」だったのよ。東京、ロンドン、ヘルシンキと都会のアパートの片隅で心の休まる暇もなく、すさんだ生活送ってた。そんなおいらは田舎にもどり、平和な暮らしが欲しかった。しかしそれは自己満足。町のネズミの不満が爆発、夫婦げんかとなる始末。
さて、田舎の生活が平和で安全であるかというと多少の疑問は残る。都会の犯罪率の高さがとりざたされるが、田舎では凶悪犯罪がおきないということもない。事実、この向野という片田舎でも強盗事件は発生している。住人二人がガムテープなどで縛られ、日本刀で脅されてお金を奪われるという物騒な事件が、今年あったばかりである。だから町のネズミは怖がって、寝苦しい熱帯夜でも面格子の無い窓を決して開けようとはしない。
セキュリティという言葉が日本語としても定着しつつあると思うが、一般にはまだまだ「防犯」や「警備」という日本語が一般的なのだろうか。セコムとかいう企業はビルや工場の警備保障だけでなく個人の家のセキュリティ業務にも力をいれているようだ。これが当たり前にビジネスとして成り立つのは、この国の犯罪率が欧米並みに高まり日本の安全神話が崩れたということであろうか。いまや田舎のネズミにとっても、平和で安全な生活はあたりまえではなくなってきているのだろう。
そんな訳で、田舎のネズミは面格子のない窓に防犯用の柵を設置すべく日曜大工となって働いた。鉄格子では牢獄のようで、圧迫感がある。せめて素材はやさしいものと考え、木製の棒にした。金属に比べると材料も安いし、加工もしやすい。ただ鋸1本で簡単に侵入されるという点では、セキュリティの高さは望めない。まあ、鋸で1本、1本と切っている時間に危険を察知し、逃げるなり対抗手段をとるなり防犯の役割は果たせそうである。まだ未完成であるが、しかかりの写真を掲載する。