田舎で暮らしてます。 (My country life!)

都会の喧騒を離れ、北関東の田舎で可愛いペット達と暮らし始めた中年夫婦の日記です。

シュフの夕食メニュー

2011-02-28 23:47:30 | グルメ
我が家の主婦が夕食を作らなくなってから長い間シェフならぬシュフ(主夫)となって料理の腕を磨いている昨今であるが、昨夜は休日出勤の為に帰宅が平日より早くほぼ定時であった。普段は時間のかからぬ手料理に徹するのであるが、昨日は煮込み料理である肉じゃがにしてみた。肉じゃがは味がしみ込むまで、長時間煮込みたいので帰宅が遅い平日では難しいので作るのをためらっていたのである。さすがに肉じゃが一品だけでは寂しい食卓となるので、簡単にできる麻婆茄子を添えることにした。和食と中華の中途半端な組み合わせであるがレストランでもないので全く問題なし。ところが茄子と挽肉は買ったのだが、茄子に加えようとしたピーマンを買い忘れてしまった。彩りの面でも何か緑色の野菜を足したいと思ったが冷蔵庫に残っていたのは賞味期限を超えようかというキュウリが一本、まだしなびてはいない。サラダには無理でも熱を通した炒め料理なら腹を壊すこともあるまいと過熱してつかうことにした。同じ緑色系の野菜であるピーマンの代用品として麻婆茄子に入れて炒めても問題はあるまいと確信した。だいたいキュウリはサラダにしか使わないのは、胡瓜様に申し訳ないではないか。日本人がサラダにしか使わないトマトもイタリアでは当たり前のように熱を加えて各種パスタなどにつかっている。イギリスでも伝統的なイングリッシュブレックファースト(英国式朝食)にはトマトの炒め物がベーコンと目玉焼きと共に朝食プレートに堂々とのっているではないか。という事で、冷蔵庫の胡瓜は厚めに輪切りにされて細切りのトマトと仲良くフライパンの上で油まみれになって踊っていた。炒めることで、キャベツや玉ねぎのように、しんなりなってしまうと予想していたが、見事に裏切られてしまった。麻婆舞台の主役である茄子は、熱と油の色仕掛けにカタブツのその性格をすっかり吸い取られて、しんなりと骨抜き状態になってしまっていた。長茄子のいやらしい、羨ましいまでの堅さはどこへやら。まるで紫色のマシュマロみたいになってしまった。まあ麻婆茄子の茄子などは似たり寄ったりである。たいていは、最後にへなへなになってしまうのが常である。ところが胡瓜様は同じ油と熱地獄をものともせずに、そのしゃきしゃきとした食感を失わないでいたのである。アッパレというほかはない。なすの食感と相対する、かっぱ巻きの胡瓜にも似たその存在感は立派である。量からいえば圧倒的に茄子が有利であるにも関わらず、胡瓜も負けてはいなかった。茄子の引き立て役として舞台をもりあげていた。まさに名わき役と言わざるを得ない。今後は我が家の麻婆茄子料理は必ずキュウリをいれることにする。これが我が家のニューレシピである。これをキューリー布陣となづけることにする。その反動であろうか、今日の夕食は手間のかからない皿うどん(かた焼きそば)になってしまった。野菜と魚介類や豚肉を炒めて、あんかけ汁をつくるだけという全く手抜き料理であるが結構我が家では評価が良いのである。サイドサラダもデザートもない全くの手抜き夕食になって申し訳ないと我が家のシュフは心の中で妻と息子に詫びるのであった。まあ食費にあまり金をかけられないという経済的な事情もあるのですが、毎日食材をふんだんに使うのは我が家ではご法度なのであります。美味しいものは食べたいが、さりとてエンゲル係数をこれ以上あげることは不可能。金は使わず、知恵を使って優雅な食卓を演出しなければならないプロデューサーを目指して頑張るしかない。

受験生ブルース(2)

2011-02-25 05:47:39 | 日記
今日は息子の大学入試の日である。私立大を3校、効率を1校と計4校を受験しているのだが私立校の受験は終了して本日は最後の1校である。目指していたヒトツバシを諦めて不本意ながらチバダイを受験することになったと本人は漏らしていたが、結局はトウダイやヒトツバシを受験するまでの実力が身につかなかったのだろう。一年間の受験浪人生活も学力向上には効果がなかったということか。とは言え、我が家の厳しい経済状況下では父親として満足なサポートができなかったことも事実である。予備校に通わせる経済的な余裕はなく、自宅学習をせざるを得なかった受験生には申し訳ないとは思っているが、不平不満も言うことなく黙々と、この一年マイペースで受験生活をおくっていたようである。今朝は6時半に家を出て、駅まで息子を送っていかなければならない。バスも通らぬ辺境の地である為、駅までは車を使うかタクシーを呼ぶしかないが、とてもタクシーを利用する余裕などない。通勤前の1時間を利用して息子を最寄りの駅まで届けることになる。最寄りとは言っても市の中心部から離れた辺境の地であるから隣町の駅との中間地点にあり公共の交通機関など皆無である。ここは市のはずれ、県境でもある。言い方を変えれば自然環境に恵まれた長閑な田園地帯である。コンビニさえも徒歩圏内には存在しない。こんな片田舎から、今日は息子が久しぶりに電車にのり受験校へと向かう。頑張って欲しいと父親は願う。苦しい時の神頼み、神様、仏様、キリスト様といった心境である。

受験生ブルース

2011-02-13 06:28:49 | 日記
「おーいで皆さん聞いとくれ~僕は哀しい受験生~」受験生ブルースという歌が遠い昔、学生の頃に流行ったことがある。当時は4当5落と言い4時間以上眠らずに猛勉強した受験生だけが合格でき、5時間以上睡眠をとってしまったものは受験に落ちるというほど厳しい受験戦争が存在したように覚えている。ところが我が家のイチロー君を見ていると、どうもそれほどの緊張感はないようである。昨日の入試では早朝6時前に起きて、最寄りの駅まで彼を送っていったが車の中での会話にも全く緊張感は伝わってこなかった。息子に限らず、いまどきの受験生はこんなものなのだろうか。昨日は一日だけの試験であったので、東京の某大学まで日帰りで臨んだが、来週は受験先が2校ある。東京に住む祖母のマンションに泊まるようなことは聞いていたが、大学受験の日くらいは贅沢をしても良いかと息子に断りもなくビジネスホテルを二泊予約してしまった。東京で受験中のイチロー君に電話やメールもできず独断で予約を入れてしまったが、やはり失敗だったようである。今頃どこのホテルも、特に都内では受験生で満室だろうと諦めていたのだが、ダメもとで探してみると新宿駅の近くに空き室のあるホテルが数件見つかった。お金のない我が家であるが、一生を左右する(かもしれない)大学受験の時期に数万円のホテル代は贅沢とは言えないと父親は判断したのだが、息子には勿体ないと反論されてしまった。我が家の厳しい経済状況を理解してくれている息子には頭が下がる思いだが、その半面、息子に気を遣わせてしまうのが申し訳ないとも思える。裕福な家庭であれば当然のように早くからホテルの予約を済ませ、母親も泊まり込んで受験に備えることもできるだろうに。息子が反対するもうひとつの理由は、すでに祖母には泊まりに行くことを伝えてあり土壇場のキャンセルは祖母に対しても失礼にあたるという思いやりからであった。確かに、祖母にしてみれば孫の訪問は楽しみであろうが、息子は東京に遊びに行くわけではない。大学受験は彼にとって真剣勝負である。祖母が健康であればまだしも、昨年大きな手術をして自宅療養の身である。息子が泊まれば、それなりに気をつかわせてしまう。息子には受験の日ぐらい恵まれた環境で臨んで欲しいという意味でのホテル予約だったのだが、逆に息子を怒らせてしまった。そんな無駄なお金が我が家にあるのかという息子の考えもわかるが、父親としても何か息子にしてあげたいという思いからのホテル予約だったのだが。来週の私立大学2校に続き、今月は公立大学の試験も控えている。本人は余裕があるのかもしれないが、できれば二日連続の受験日くらいはホテル住まいも悪くないだろうとの判断であったのだが、勝手な事をしたと息子には責められるし母親も同調して避難する始末である。身勝手な父親のエゴと決めつけられてしまい、本人も反省しきりである。職場だけでなく家庭内でも「ホウレンソウ」は必要である。何事も連絡と相談を抜きにはうまくゆかない世の中である。
さて、今日は日曜日であるが、ご多分にもれず建設業界は日曜祭日出勤が当たり前の季節である。わが社の工事部は本日も施工予定が入っており、大雪でも降らない限り休むことはない。営業部は出勤する必要がないのだが、工事部が動いているのに営業部だけが休んでは申し訳ない。一般の社員ならまだしも、社長の身内として会社に籍を置く身としては午前中だけでも出勤して様子を見る必要がある。日曜日の家族サービスもできずに、申し訳ないと思いつつも会社の業績が優先である。赤字決算を何としても避けなければならないという至上命令に沿って工事部も能力以上の施工を完成させようと休日返上で臨んでいる。営業部だけが遊んでいる訳にはいかない。重機に乗れるわけではないが、公共事業で下請けになった施工現場の近隣への挨拶回りくらいはできる。最近は公共の道路工事でも近隣住民からの苦情が絶えない、トラブルを避ける意味でも事前のコミュニケーションは大切である。着工前に一言挨拶をするかどうかで、その後のクレーム量は大幅に変わってくると思われる。断りもなく、いきなり道路工事の騒音が響けば誰しも不快な思いをするはずであるが、予告をすることにより不快感は多少なりとも和らぐ。同じ赤ちゃんの泣き声をうるさいと感じるか、かわいいと感じるかの違いとも通じるものがある。

休日出勤で貧乏暇なし

2011-02-06 23:40:20 | 日記
この時期の建設業界には休日などというものは存在しないようである。平日の工事が難しい現場では週末や祭日を指定しての依頼は珍しくない。マンションのゴミ置き場のブロック改修工事を頼まれたが自社工事部で対応ができなかったので知り合いの土木業者に施工をお願いしていた。ゴミ収集のない土曜日に壊れかけたブロックの囲いを撤去が完了して日曜日はマンションのオーナーが工事に立ち会う予定であったが、急用ができたとかで立ち会いを前日にキャンセルされてしまった。自分が行けなくなったので、施工状況写真を撮って欲しいとの要求があり、やむなく休日出勤して現場に顔を出すことになった。ブロック済みの仕事なのでいわゆる左官屋さんという職人さんが一人作業である。慣れない建設業界の営業も3年が過ぎたが、いまだに職人さんとはどう接して良いのかわからない迷える営業マンである。協力会社の社長に紹介された人物は以外にも職人さんらしからぬ人物であった。察するに一人親方の自営業のオーナーらしく、話をしているうちに知性と教養が感じ取れたのは驚いた。人を先入観で判断してはいけないと改めて反省した。しかも若い時には新宿のヨドバシカメラ通いをしていたカメラ小僧のひとりであったようで、共通の話題に大いに盛り上がってしまった。40年も前のヨドバシカメラは現在の家電を含む量販店とは異なり、卸業者が一般の小売も始めた頃で、客のほとんどがアマチュアカメラマンが写真学校の生徒であった。顧客サービスなどは殆ど存在せず、ろくな説明もしないで卸値で化粧箱に入ったままのカメラや交換レンズを急がしそうに次から次へと売りまくっていたと記憶する。店員よりもカメラの知識が豊富なアマチュアカメラマンにとって、余計な説明など時間の無駄でもある。高層ビルの立ち並ぶ新宿西口も当時は京王プラザホテル以外に大きなビルはなく、新宿中央公園の上空には大きな青空が広がっていた。写大に通うために中野坂上に下宿していたから、新宿西口は我々学生にとって裏庭のような存在であった。夜の12時過ぎに友人と新宿中央公園で警官の職務質問を受けてしまった事も懐かしく思い出される。新宿はアマチュアカメラマンのメッカともいうべき場所であった。新宿駅付近で無造作に石をなげれば相当の確立でカメラマンにあたるとまで言われた時代である。男女を問わず首からカメラをぶら下げた若者があちこちで見られた。カメラマンになって世界を駆けまわる夢は実現しなかったが、商社で働き始め貿易の仕事を選んだことにより、後者の世界を駆けまわる夢のほんの少しは実現したことになる。とくに、建設業界にはいるまでの電子材料メーカーでは貿易部新設に貢献し、海外工場設立にも関わることができたし、海外出張で欧米、アジア諸国と二十数カ国を訪問するチャンスに恵まれた。1年8カ月に及ぶフィンランド駐在では家族に大きな迷惑をかけてしまったが貴重な経験をさせてもらった。厳しい自然環境の中で生活するフィンランド人と比べると、日本人はなんと恵まれた自然環境の中で生きているのだろうかと思わずにはいられない。北海道の旭川あたりはフィンランドと同様にマイナス10度や20度といった気候なのだろうが、本州のほとんどはフィンランドほどの厳しい冬を経験することはない。話が横道にそれたが、この左官屋さんは外国語についても見識が高く話がフランス語やドイツ語に及んだ。聞けば友人がフランス人と結婚して欧州に住んでいるということである。また、インターネットで大学の講義を聞いているなどと言う。只者ではないなと素直に感動を覚えた。ブロック積み職人恐るべき。休日出勤で自分の時間がなくなってしまったことは非常に残念であるが、この出会いは愉しかった。一期一会。