阪神淡路大震災 2015-01-17 | Weblog (ネットより) 5時46分…黙とう!20年前をしっかり思い出します 20年になるのですね!悲しみは消えません。アメイジンググレイスの 合唱がこころにしみます… « 裏どうり | トップ | 新年総会 »
10 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 Unknown (京都で定年後生活) 2015-01-17 06:00:01 おはようございます。私もその時刻に1分の黙祷を行いました。今朝のように寒い寒い朝でした。京都も大きく揺れ、たたき起こされました。今日一日、追悼したいとおもいます。 返信する 黙とう (京都で定年後生活さま<tango) 2015-01-17 06:57:13 おはようございますあの時もテレビを付けていて??びっくりいたしました嘘かと思い大阪の土井画材センターの社長に電話を入れましたすると(神戸の取引先もつぶれているんだよと…)かえってきました京都でもひどかったことでしょうね大阪に出張するのにフェリーも新幹線もダメで車で中国自動車道を走りましたがあちこちでブルーシートにつつまれていました日本国は地震国:いつわが身に降りかかるかと…今幸せに過ごせることに感謝しながら追悼したいですね 返信する おはようございます (夕香) 2015-01-17 07:33:41 私たちは何ごともなくこのようにふつうに暮らせるのが一番のしあわせです。何ごともないとはいいませんが、20年~すぐですね。あの時私は二階で寝ていてびっくりして階下におりました。大阪も震度5でした。場所によっては大きな被害がありました。あれから床がしょっ中揺れていたことを思いだします。しかしおおきな教訓でしたね。それ以前から懐中電灯や貴重品はいつも身の回りにおいていますが。いざといっても何もできないのが人間かもしれません。運もありますよね。 返信する 黙祷 (tangoさんへ(A)) 2015-01-17 13:57:48 あの悪夢のような出来事から20年経つのですね~ 次々と増えていく死傷者数に恐怖を覚えたものでした。 皮肉なもので・・あの悲惨な出来事から多くの教訓も学びましたね! それまで あまり一般的でなかった<ボランティア>というものも 定着しましたし、防災グッズも手元に置くようになりました。 又 それまでは白眼視されていた自衛隊の有難さを 再認識するきっかけにもなりましたね。 あれ以来、ややもすると平和ボケしていた日本人を 目覚めさせてもくれました。 その犠牲は甚大な物でしたが・・ 無駄にしたらバチが当たりますね。 合掌 返信する 震災 (夕香様) 2015-01-17 17:13:39 大阪に住んでいらッしゃる方はひどかったでしょうねテレビドラマかと思いましたよ?こちらで玄海地震が<震度4>でさえびっくりし机の下に隠れたことがあります阪神も東北の地震も想像もつかないつらさを持ち込みました自然の驚異の怖さです御嶽山の爆発もそうですが自然には勝てないので心の準備だけは必要ですね 返信する 1月17日 (チャーチャン) 2015-01-17 21:07:23 こんばんはあの震災の日、私は仙台で催されていた社内の全国大会の会場に居ました。開会前、関西地区の参加者が来ない、と騒然となり、そのうち地震のことが伝えられ急遽中止になりました。こちらに帰ると、神戸出身の係長の妹さんが亡くなられたことが分かり、直ぐに、当時まだ珍しかった携帯電話を持って帰宅してもらい、あの時のことは忘れられません。もう、20年経つんですね~天災は忘れた頃に…やってきて欲しくないですね。 返信する 20年 (hinamaturikimiko) 2015-01-17 21:32:46 朝7時頃、で観た時の驚きは恐怖でした。もう20年ですね。災害に遭われた方は まだ心の傷は癒えないでしょうね。亡くなられた方に黙とうを捧げます。 返信する 準備 (Aさんへ<tango) 2015-01-18 06:19:37 Aさん宅は東北地震の時もひどい目にあいましたねそのあとも小さな揺れが続き大変だったと思います準備の良いAさん宅は今でも水まで準備しているのでしょう私は玄海地震の時驚きました我が家は階段に懐中電灯と階段に電池入りのスイッチをつけています電気が切れたときの準備<?>水はないしですいつ何が起こるか??しかし20年たっても被害にあわれた方々の苦しみは消えませんね 返信する 20年 (チャーチャンへ) 2015-01-18 06:22:44 その時は現役の若いときですよねあれから20年もたつのですから月日の移り変わりの早さの中で私たちもいろいろな環境が移りかわります上司の方の不幸があると忘れられないことと思います私たちも心の準備だけはするようになりました私も下着や必要なものを一袋に入れています玄海地震でさえ驚いたのですから阪神大震災の怖さは消えませんね 返信する 月日 (kimiko様<tango) 2015-01-18 06:24:45 阪神大震災の火災、東北の津波の怖さは昨日のような強烈な思いそれだけ恐怖感を与えた震災でしたね20年の間に新成人!知らない世代が出来るのですから…こころの準備だけは必要だと思っています 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
私もその時刻に1分の黙祷を行いました。
今朝のように寒い寒い朝でした。
京都も大きく揺れ、たたき起こされました。
今日一日、追悼したいとおもいます。
あの時もテレビを付けていて??びっくりいたしました
嘘かと思い大阪の土井画材センターの社長に
電話を入れました
すると(神戸の取引先もつぶれているんだよと…)
かえってきました
京都でもひどかったことでしょうね
大阪に出張するのにフェリーも新幹線もダメで
車で中国自動車道を走りましたがあちこちで
ブルーシートにつつまれていました
日本国は地震国:いつわが身に降りかかるかと…
今幸せに過ごせることに感謝しながら追悼したいですね
何ごともないとはいいませんが、20年~すぐですね。
あの時私は二階で寝ていてびっくりして階下におりました。大阪も震度5でした。場所によっては大きな被害がありました。
あれから床がしょっ中揺れていたことを思いだします。
しかしおおきな教訓でしたね。それ以前から懐中電灯や貴重品はいつも身の回りにおいていますが。
いざといっても何もできないのが人間かもしれません。運もありますよね。
あの悪夢のような出来事から20年経つのですね~
次々と増えていく死傷者数に恐怖を覚えたものでした。
皮肉なもので・・あの悲惨な出来事から多くの教訓も学びましたね!
それまで あまり一般的でなかった<ボランティア>というものも
定着しましたし、防災グッズも手元に置くようになりました。
又 それまでは白眼視されていた自衛隊の有難さを
再認識するきっかけにもなりましたね。
あれ以来、ややもすると平和ボケしていた日本人を
目覚めさせてもくれました。
その犠牲は甚大な物でしたが・・
無駄にしたらバチが当たりますね。 合掌
テレビドラマかと思いましたよ?
こちらで玄海地震が<震度4>でさえびっくりし
机の下に隠れたことがあります
阪神も東北の地震も想像もつかない
つらさを持ち込みました
自然の驚異の怖さです
御嶽山の爆発もそうですが自然には勝てないので
心の準備だけは必要ですね
あの震災の日、私は仙台で催されていた社内の全国大会の会場に居ました。
開会前、関西地区の参加者が来ない、と騒然となり、そのうち地震のことが伝えられ急遽中止になりました。
こちらに帰ると、神戸出身の係長の妹さんが亡くなられたことが分かり、直ぐに、当時まだ珍しかった携帯電話を持って帰宅してもらい、あの時のことは忘れられません。
もう、20年経つんですね~
天災は忘れた頃に…やってきて欲しくないですね。
もう20年ですね。災害に遭われた方は まだ心の傷は
癒えないでしょうね。
亡くなられた方に黙とうを捧げます。
そのあとも小さな揺れが続き大変だったと思います
準備の良いAさん宅は今でも水まで準備して
いるのでしょう
私は玄海地震の時驚きました
我が家は階段に懐中電灯と階段に電池入りの
スイッチをつけています
電気が切れたときの準備<?>
水はないしです
いつ何が起こるか??
しかし20年たっても被害にあわれた方々の
苦しみは消えませんね
あれから20年もたつのですから月日の移り変わりの
早さの中で私たちもいろいろな環境が
移りかわります
上司の方の不幸があると忘れられないことと
思います
私たちも心の準備だけはするようになりました
私も下着や必要なものを一袋に入れています
玄海地震でさえ驚いたのですから阪神大震災の
怖さは消えませんね
昨日のような強烈な思い
それだけ恐怖感を与えた震災でしたね
20年の間に新成人!
知らない世代が出来るのですから…
こころの準備だけは必要だと思っています