薩摩芋郎 STORY

100の議論より100円の寄付。
人生は100の苦しみ1回の喜び。
SHOCHU IS MY LIFE

タニーヤン・ネパール放浪ダイアリーズ17<カータ>

2005-10-14 | Weblog
4月4日、快晴、気分は日本晴れ
早朝、昨日出会ったチベッタン女性のおみやげショップに直行し
子供へのおみやげや友人へのおみやげをしこたま買い込む。
約束通り相当安くしてくれた。ホテルに戻りネパール最期の日なので
ゆっくり観光しようとフロントでタクシーを手配しているとめんこい
20代の日本人女性2人がやってきた。すかさず声をかけいっしょに
観光地巡り。パシュパティナート、ボダナートなどへ。
夕方、彼女達と別れ夕日を見に一人で再びモンキーテンプルへ。
モンキーテンプル敷地内にあるチベッタンテンプルで残った旅費を
ほとんど浄財BOXに。しばらくラマ層を真似てお祈りしていると
高僧っぽい僧侶がどこからともなく現れて話しかけて来た。
「よかったら、屋上でお祈りしませんか?」
「何か特別な場所でもあるのですか?」
「いいえ、ただ美しい眺めがあります」
そんなやりとりしながら、言われるままゆるやかな階段を登り屋上へ。
『オーマイブッダ!』とココロで叫ぶ。
そこからの眺めはまさしく天国のような美しさだった。
観光用ポストカードのような美しい夕日とキラキラ輝くカトマンドウの街並。
街並を眺めながら僧侶は僕にとくとくとブッダの教えを説いた。
難しかったんで僕はただニコニコして頷くだけだ。これぞ馬の耳に念仏。
話が一段落し、明日(今日の深夜便)日本へ帰ることを告げると
「これは仏陀からのプレゼントです」
と突然マジシャンのように取り出した白い布を僕の首にやさしくかけてくれた。
カータだ。
登山家役のブラピがセブンイヤーズインチベットで若き日のダライ・ラマ
(高僧?)からかけてもらったシーンが印象的なあの聖なる布だ。まさか
自分がもらえるとは思わなかったんで感激し手を合わせブッダに感謝した。
聞けば先日僕がやってきてお祈りしていたのを覚えてくれて
今日もなけなしの浄財するのをみてこの場所を案内してくれたとのこと。
ありがたや。セブンデイズインチベット、主演タニーヤンって感じ。
オートマで記念撮影しお礼を言いテンプルを後にしホテルに戻った。

つづく

*カータとマニ車

タニーヤン・ネパール放浪ダイアリーズ16<ブッダの眼>

2005-10-12 | Weblog
チベッタンの女性達が帰り、ホテルのBARでチビチビ地酒を呑んでると美人
マネージャーがやって来て隣に座ってくれた。彼女は日本留学の経験もあり
日本語を流暢に話す。留学中に父が亡くなるが、お葬式のために帰国せず
(それが父の遺志と考え)大学をトップクラスで卒業、3種類の表彰で
錦を飾ったそうだ。お互い酔っぱらい始め(僕だけ?)熱くなり
宗教論、オウム真理教の話までしちまった。その後、部屋に帰りベロベロにも
関わらず、ここでの日課になった座禅と瞑想を始めた。間髪入れず次の瞬間だった。
キイーーーーーーンという凄まじい耳鳴りと同時に
眼底のそのまた奥底から二つの光る眼が急速に近づいて来た。
『仏陀の眼だ!』ネパールで幾度となく目にした、テンプルに描かれた
紛れもないブッダの眼であった。
「ウオッ」圧倒され、眼をカッと見開き我に返る。
インスパイアードやスピリチュアリズム否定派の僕もこの時ばかりは
考え込み観照したが
「やっぱ、凄いわ、この国は・・」
と何の結論も感懐もなく横にゴロンとなりそのまま眠り込んでしまった。

*テンプルのブッダの眼

タニーヤン・ネパール放浪ダイアリーズ15<チベッタンBAR>

2005-10-06 | Weblog
「それにしても散々な一日じゃった・・トホホ」
停電のホテルのひんやりシャワーで疲れ果てた躯を玉袋の裏まで丁寧に洗った後、
ぬるいビアを一気に呑みほしベッドに倒れ込む。
「腹減った。酒呑みてー。」
とネパールでもちっとも改善の兆しのない僕の焼酎漬け20年物の煩悩ちゃんに
ブツブツ語りかける。
「そーいや、まともにネパールの呑み屋いってねーな」
と思い立ちホテルを出て喧噪のメインストリートを避け裏路地をトボトボテクテク
散策してみた。観光ガイドブックに載ってるような店には行かない主義の僕は、
地元の人しか知らないようなBAR,呑み屋の類いを探し求めてウロウロするが
なかなか見当たらない。
諦めて別の路地からホテルの方向に帰ろうとした時、何気にろうそくの薄明かりが
灯る怪しい佇まいの店の前に足を止め中を浮気調査の探偵のようにそーっと覗くと
「おっ!渋いね、観光客が来そうにねーな」
と目星をつけちょっぴりドクドクじゃないドキドキしながらその店に入った。
奥のカウンターでめんこいガキが飯を一心不乱に喰いながらチラリと俺を睨む。
一瞬ザワザワしていた店内が静まりかえり一斉に7~8人の客が俺を見る。
しかし、すぐに元の状態に戻りザワワザワワ~。
10坪程の店内にキャンドルが10個位灯るのみの妖しげだが相当怪しい店だ。
ネパール、インド系のBGM、お香の匂いが悩ましい。
ビアを店員の女性にオーダーする。あのガキの母親っぽい。
ラマ僧が3人入店し酒を呑み巷談し始めた。いーとかいな・・30分程経って
2人のチベッタン系女性が入店して僕の目の前のテーブルに座り僕をジロジロ見る。
黙々と持参の小説を詠みながらT MOMOっていうネパル料理(?)を喰ってると、
澄んだ瞳と美しい髪が印象的な女の方がいきなり話しかけてきた。
「Are you Japanese?」
「Yes」
するともう一人の女に目配せして二人は僕のすぐ目の前の席に座り
「いっしょに呑んでいいですか?」と輝く瞳で聞いてきたんで
「よろこんで、よかったらビアでもご馳走しますよ」と僕も瞳を輝かせて応える。
最初は売春婦?かとも思ったが素朴だが清潔感のある衣装を身につけ上手に英語を
話すんで徐々に打ち解けあって酒もすすみ冗談を言い合うようになった。
なんと一人は小学校の英語の先生(どおりで)もう一人はおみやげショップに
勤めている店員さんだそうだ。
英語の先生が僕のアテと酒の嗜好リクエストを通訳し店の女将にオーダーしてくれる。
僕はチベッタン難民学校のこと,ポカラのこと,トレッキングのこと,タクシーのこと
など取り留めも無くしゃべる。タクシーの一件について彼女達は気の毒がって
「明日お店に来て,安くしますから」とちゃっかり営業?いや親切に慰めてくれた。
それから中国のチベット侵攻に対する怒り、ダライ・ラマの教えなど語り始めた。
英語の先生は香港に、一人はダライラマのいるダラムサラに行きたいと熱く語る姿が
印象的で目に焼き付いた。お互いいい気分に酔っぱらい始めたんで
「ホテルで写真でも撮ろう!Oh!呑みなおそーぜ!ベイビー!!」
と勘定を済ませホテルの僕の部屋に案内し口直しのビア呑みながら写真を撮って、
しばし雑談、明日の約束を確認した後(もちろん何もなく)彼女達は帰っていった。

つづく
*歴史を感じさせる神聖なテンプル

タニーヤン・ネパール放浪ダイアリーズ14<恐怖のタクシー>

2005-10-04 | Weblog
4月3日、快晴(Butココロはどしゃ降り)
ポカラからオンボロ機に搭乗し再び悶絶しそうになりながらもなんとかカトマンドゥの
トリブヴァン国際空港に到着、タクシーに乗りほっとする。しかし、偶然乗り合わせた
タクシーが最悪だった。英語どころかMAPすら理解できないド素人ドライバーだった。
しかも躯つきも目つきも顔もおっかない。しかたなく中心街の写真を見せ行き先を
「TUNDIKHEL(トゥンディケル)」と言ったつもりが
「To DHULIKHEL(トゥディリケル)」ディリケル(遥か彼方の田舎町)へ!
(夜BARで酒を呑み落ち着いた時ふと思ったのだが、メイビーそう勘違いしたらしい)
タクシーは走り出したが見慣れぬ風景(もともと見慣れぬが)が延々と続く
「おーサービスで近道してくれとんかい。ありがたや」と呑気に田舎の田んぼや牛など
日本の昭和初期みたいな景色をポケーッと眺めていた。しかし、30分経ち40分経ち
着く気配は全く感じられず、しまいにゃ州境の様な場所を通過、しだいに焦って来た。
手と額から脂汗、股間はパチンコ玉クラスに縮みあがり(これぞ「ぱチンコ」・・・)
脳裏に国に残した家族が浮かぶ。
「このまま『ネパール解放の虎』に拉致され殺されるんかいな」(そんな組織ない)
人間こーいうシチュエーションの時はネガティブになるもんである。僕は開き直り
「おい!この道ちゃうやろ!俺を誰と思っとんじゃ!ボケ!」
と意味不明の日本語で声を荒げるが
「俺意味わかんないもんねー、ネパール人やもんねー」みたいな表情で首を傾げる。
そりゃそうだ・・しばらく経ち今度は優しく
「この道でいいのかにゃ~ドライバーさん」と英語で質問するがさっぱり埒あかない。
そんなこんなで2時間程経ち、どう見ても日本人訪問第一号みたいな鄙びた田舎で
交通整理してた白バイの警官を見つけ素早くタクシーを止め、警官に駆け寄り
すがるような涙目で
「お願いします。敬虔なブッディストの僕をカトマンドゥの街のど真ん中まで
 連れてってください!」
と、えせブッディストに成り済まし英語で懸命に懇願するときょとんとした顔で
「カトマンドゥのTUNDIKHELは2時間ほどUターンしたとこでーす。一本道ですよ。」
と優しく教えてくれすぐさまタクシードライバーに近づき説明してくれた。ちゅーか
「おんどれ!どこに連れて来ちょるんじゃ!」(想像)とネパール語で怒鳴っとった。
気まずい雰囲気がタクシーを包む。二人とも押し黙ったまま引き返す。パリダカ並の
テク走行で約1時間30分程で無事ホテルに着いた時は既に日暮れ時でごわした。
すったもんだでドライバーと交渉し僕も悪いのでドライバーに破格の50ドルを渡し
降車、しょんぼりしてホテルのドアを開けたのであった。

つづく
*カトマンドゥのテンプル