ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

ミラーズ・クロッシング

2009年05月11日 | ネタバレなし批評篇
この映画は90年代ギャング映画の秀作と位置付けられているらしいが、ことコーエン兄弟の作品に関しては、映画のジャンルとかストーリーとかいうのは2次的な産物のような気がしてならない。見る人によって様々なレビューを与えられることが多い彼らの映画は、デビュー作の『ブラッドシンプル』から『ノーカントリー』まで(『バーン・アフター・リーディング』はまだ見ていないので)、<不確定性原理に振り回される人生>のようなことを一貫して描いているのではないだろうか。

禁酒法時代のアメリカ。街はアイルランド系のボス・レオと、イタリア系のマフィア・キャスパーに勢力2分されていた。レオの手下であるトム・レーガン(ガブリエル・バーン)は、ギャンブル&女が大好き、腕っ節はからっきしだが、唯一頭の回転の良さを買われているチンピラだ。そんなトムにヤラセのネタをばらしているらしいモーホーのバーニー(ジョン・タトゥーロ)暗殺指令がくだるのだが・・・。

バーニーの暗殺未遂がばれそうになり、謀略が見抜かれ殺される寸前まで追い込まれるのだが、そんな時思いもしなかった<不確定性原理>が働き一命をとりとめるトム。レオの女(マーシャ・ゲイ・ハーデン)に引かれながらも、もう一歩が踏み出せない<ハットのない男>は、状況が変るたびにあっちにフラフラ、こっちにフラフラ・・・。日和見主義を絵に描いたような情けなーい奴なのだが、コーエン・ムービーの中では不思議と嫌悪感もわいてこない。

当然女にも三行半をつきつけられ空虚な眼差しで女を見送ることしかできないトムは、口先三寸で<不確定性原理>を操っているようにも、逆に操られているようにも見える。主義主張にこだわってやたらとマシンガンをぶっぱなすレオやキャスパーよりも、トムの生き方はまやかしに満ちた現代においてむしろリアリティがある。人生勝ち取っていくことも大切なのかもしれないが、なるようにしかならないというのもまた真理なのである。

ミラーズ・クロッシング
監督 ジョエル・コーエン(1990年)
〔オススメ度 

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