ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

フェイシズ

2021年10月20日 | なつかシネマ篇

前作を製作にまわった元映画監督のスタンリー・クレイマーに思い切り改竄されたことで、ハリウッドでの仕事がほとほと嫌になったカサヴェテス。抵当に入れた自宅を舞台に撮ったという本自主制作映画には、俳優陣もすべて無償で出演しているというから驚きだ。他人の“顔色”ばかり伺いながら、ひたすら安定した興行を得やすいプログラムピクチャーばかりを作りたがる映画業界人への批判がこめられた1本だ。

顔面アップのカットがやたらと多い理由は、背景となる美術コストを極力おさえるための苦肉の策なのだろうが、おそらく別の意味合いもあったにちがいない。高級娼婦のジーナ(ジーナ・ローランズ)やクラブで声をかけてきたジゴロ(シーモア・カッセル)の若さに群がる脂ぎった中年男や、蜘蛛の巣オバサンたちの醜い姿に、仕事や年収、肩書や学歴をふりかざし、それこそ業界の“顔”気取りで他人の映画に茶々をいれたがる映画関係者を重ねている。


低予算作品ならではの“粗さ”をあえて隠すこともなく、体裁などなどおかまいなしにエモーションのおもむくまま鋭角的なショットを繋げていく作風は、当時隆盛をきわめていたヌーベルバーグの影響を無視するわけにはいかないだろう。分別もわきまえず若い娼婦に溺れ妻(リン・カーリン)に突然の離婚を言い渡すジョン・マーレイは、(この映画の興行次第では)ハリウッドに別れを告げようとしていたカサヴェテスの分身だったにちがいない。

性欲(映画制作意欲)減退を理由に突然離婚を切り出した夫とそれを受け止めきれない妻。不毛なW不倫描写の後、映画は意味深な家の階段シーンで幕を閉じる。家庭におけるマウントゲームのメタファーのようにも思えるこのシーン、映画製作におけるファイナルカット権を監督とハリウッド製作会社のどちらが持つのかの争いのようにも見えるのである。そして一度は妻(ハリウッド)に別れを告げながらも、ノコノコとまた巣に舞い戻ってきてしまった夫=カサヴェテスとハリウッドの切っても切れないくされ縁のような関係をも表していたのではないだろうか。

フェイシズ

監督 ジョン・カサヴェテス(1968年)

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