ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

バードマン あるいは (無知がもたらす予期せぬ奇跡)

2019年12月30日 | ネタバレ批評篇



本作がリチャード・リンクレーター監督『6才のボクが大人になるまで』と2014年のオスカーを争ったのは有名な話。#Metoo運動の犠牲者となってハリウッドを追放されたワインスタインがなりふりかまわず行ったキャンペーン運動が逆効果をもたらし、アカデミー4冠という“予期せぬ奇跡”を本作にもたらしたのである。

『バードマン』というハリウッド映画シリーズで長年ヒーローを演じてきたリーガン・トムソン。レイモンド・カーヴァー作『愛について語るときに我々の語ること』という短編の主演、脚本、演出を手掛けることによって演劇家への転身をはかったリーガンは、共演者の降板や傍若無人な振るまい、著名批評家の機嫌を損ねるという度重なるアクシデントに遭遇しながらレビュー公開当日を迎える…

リーガン役のマイケル・キートンは以前『バッドマン』を演じていたし、実力はあるものの滅茶苦茶な行動で舞台を壊しかけるマイク・シャイナーことエドワード・ノートンは元超人『ハルク』。そういえばリーガンの一人娘役エマ・ストーンも『スパイダーマン』の彼女役だったっけ?マーティン・スコセッシじゃないけれどアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥは、本作の中でヒーロームービー全盛のハリウッドを「ポルノとマンガで賞を譲り合っている世界」とこきおろしているのだ。

批評家や観客の反応で一喜一憂する自分を本作の中におとしこんだというイニャリトゥであるが、『芸術家になれない者は批評家となり、戦士になれない者は密告者となる』と自分の手をけっして汚そうとしない批評家連中に牙をむきだしにしながら、本作は一種のメディア比較論にもなっていることに是非注目したい。芸術と映画の比較について語られた作品はこれまでも多くのレジェンドによって映画化されてきたけれど、本作の切り口はちょいとユニークだ。
 
ワンカット長回し風カメラとジャズドラムのBGMを使って即興性を強調した演出は、もちろん映画とは異なる演劇の特徴である。しかし同時に著名批評家のコメントが正否を分ける閉鎖的かつ権威主義的な悪癖を暴き出している。血とアクションが大好きな観客を地に足のついていない大スターが空から見下ろす映画界の構図と、そのスターを自分と同じ地平に引きずり下ろすのが大好きな住民がばっこするネット空間との対比も面白い。

なにかというとバードマンの格好をした幻覚が現れ“お前の居場所はここじゃない”と耳元でささやかれるリーガン。自信を取り戻したと思った次の瞬間落ち込んだりする監督イニャリトゥの分身でもあるリーガンが統合失調系エスパー?という設定もユニークだ。リハブ戻りの一人娘や劇場関係者、嫌味な批評家やブロードウェイの観客にも“愛されていない”ことを自覚したリーガンが気づいたことは…自らの◯(=プライド、エゴ?)さえ吹っ飛ばせば空を飛べる(自由になれる)という悟りだったのかもしれない。

バードマン あるいは (無知がもたらす予期せぬ奇跡)
監督 アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ(2014年)
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