不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ

2009年10月14日 | 映画館で見たばっかり篇
根岸吉太郎が撮る作品は結構あたりはずれが多い。竹内結子復帰一作目となった『サイドカーに犬』に続き、本作も映画の出来としては今一歩。終戦直後を再現した美術セットはほば完璧に近いクオリティで、壁のシミや赤茶けたポスター、オンボロのテーブルにいたるまで、徹底的にリアリティにこだわった見事な仕上がりを見せている。ハード面では文句なく優れているのだが、脚本・キャスティング・演出などのソフト面では?が浮かぶ1本になってしまった。

太宰治生誕100周年を記念して撮られた作品のようなのだが、作家自身の分身かと思われる主人公・大谷に浅野忠信をあてこんだキャスティングがまず腑に落ちない。劇中、大谷はほとんど酒を飲みっぱなしなのだが、鋭利な刃物のような浅野の風貌からはなぜかアルコール臭がまったく漂ってこない。酔っ払った演技もお世辞にもうまいとはいえず、どちらかというとバイオレンスな男臭いイメージの強い浅野に、ダメダメな優柔不断男を演じさせること自体無理があったのではないか。

そして、その大谷の妻・佐知役の松たか子にしても、一体どういうキャラクターなのかしっかりと理解することなく、なんとなく言われたままに演じてしまった感が否めない。この佐知という女、一見貞淑な妻のようにも思えるが、実は万引きの過去があったり平気で他の男とキスしたり寝たりする、どこかお軽な役どころ。そんな複雑な内面の持ち主である佐知を、こんなにも爽やかにあっけらかんと演じてしまっては元も子もないのである。

本作品には根岸監督独自の太宰治解釈が反映されているようで、「生まれてきてごめんね」的なネガティブさが特徴の原作とはほど遠い演出が目立っている。「人でもいいじゃない。生きてればいいのよ」なんて人生前向きな台詞を主人公にはかせたりするものだから、一般観客が抱いている太宰治作品のイメージとはかなりかけはなれた映画になっているのだ。この辺はおそらく好みの別れるところであり、モントリオールでは受けても日本ではどうなのだろう。自殺大国日本に向けられた応援歌のような気もするが、なにも太宰をわざわざ持ってこなくてもいいじゃないと思うのだが。

ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ
監督 根岸 吉太郎(2009年)
〔オススメ度 

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ブタがいた教室 | トップ | ヤング@ハート »
最新の画像もっと見る