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種明かしをしてしまえば「な~んだ、そうだったの」ということになるのだが、そうやすやすと真意にたどり着かせてくれない作品を撮る映画監督ジョーダン・ピール。この映画ちょうどコロナが米国で猛威をふるっている真っ最中に撮られたらしい。それは、科学の力ではなかなか“飼い慣らす”ことができないウィルス(自然)の驚異を、皆がうっすらと感じていた時期に重なっていたのではないだろうか。その意味では非常にタイムリーな映画だったわけである。
雲間にチラチラと姿を表すGジャンの姿やラストシーンがあの『JAWS』とそっくり、との指摘が多い本作。サメやGジャンからしてみれば、単なる餌場にしか見えない海岸や牧場で食事をしていただけなのに、なんでみんな大騒ぎしてんの?黙って食われろや、と思っていたにちがいない。しかし、あるコメディ番組収録中に突如人間を襲い出した🐒や、柵を乗り越えて牧場から脱走した🐴のように、餌付けされておとなしくしていたGジャンの中に野生の血が突然蘇ってしまったのだ。ゴォォォォォーッ!
私も小学生の頃、目がたまたまあっただけのジャーマン・シェパードに突如追っかけられて死にそうな目にあったのだが、奴らにしてみれば小僧が生意気にメンチきってんじゃねぇよ、ということになるのだろう。その時、飼い主のオッサンが“ROPE”をしっかり握っていてくれたお陰で助かったことを、今でもしっかりと覚えている。何を言いたいのかというと、諸説あるタイトル『NOPE』の隠された意味とは、搾取の象徴であるROPEを嫌った『NO ROPE』にあると思うのだ。えっ、ウソだろ?!
Gジャンがあんなに嫌っていた連旗とはつまりROPE(または鎖)のオルタナティブであり、餌付けされ調教されることを意味する野生喪失のメタファーだったのではないだろうか。ジョーダン・ピールはそこに、白人に搾取される人種問題を無理やり絡めたがために、ちょっと話がややこしくなってしまったのだ。劇中最も緊張感が漂っていた回想シーンで、暴れまくった🐒がETタッチで唯一共感を示そうとした在米韓国人(スティーブン・ユアン)を主人公にしていれば、おそらく映画はもっとしまった内容になっていたことだろう。
そのユアンを型どった風船人形を目の当たりにして、四角い目(カメラレンズ)をパチクリさせるエヴァンゲリオン使徒型Gジャンは、おそらく白人至上主義ハリウッドの具象化だろう。「カウボーイが何で白人じゃなくてアジア系なん?」その様子を、テーマパークのポラロイドカメラで(下から目線で)パシャパシャ写していたのは主人公の妹である黒人娘である。西部劇の撃ち合いをカメラのシューティングに見立てたこのシーン、ハリウッドの上から目線を皮肉ったピールならではの(悪意が透けて見える)演出だ。
しかし、映画の原点ともいわれるエドワード・マイブリッジによる動画『動く馬』のくだりや、主人公の調教師OJを演じたダニエル・カルーヤのカウボーイ風の演出は、はっきりいって“野生の暴走”という本作のテーマからは少しハズレているのだ。それは黒人映画監督ジョーダン・ピールが常々肌で感じているであろう白人社会からの差別&搾取が、頭から離れていない証拠といえる。俺たち黒人はお前ら白人にけっして調教されたりしない、逆に(俺が作った映画で)飼い慣らしてやるのさ、という自負がそうさせたのかもしれない。
NOPE
監督 ジョーダン・ピール(2022年)
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