本作に登場する4人のキャラクターについて、ムッチーノ監督が公式サイトで解説していたので抜粋させていただいた。
『弁護士ジュリオは、少年時代は貧困の中で育ち、社会的に排除されることを恐れていた。人間関係の必要性を必死に模索する姿に、多くの人が自分を重ね合わせるだろう。
平凡な芸術家リッカルドのキャラクターについて、彼は政治的な動きを追いかけ、自分の信念を肯定するには正直であれば十分だと考える、私たちの“失われた世代”を象徴しています。抑圧された意見を表明しようと、デモに参加する世代のことでもあります。
パオロのキャラクターは、もっと落ち着いていて平和主義者だ。いまだに母親と同居し、女性たちに主導権を握られている。彼は被害者意識から解放され、身近な人の承認に依存するのをやめ、自己主張の強い人生観を持つことで、充実感を得るようになる。
ジェンマは、友人の笑顔や視線がほしくて、自分自身を抑えることで元気を取り戻そうとする女性だ。彼女はずっと好きだった男のもとに戻ります。彼が自分の帰るべき家を象徴しているからです。』
公式サイトより抜粋
本作が、幼なじみである4人がくっついたり離れたりを繰り返す単なるラブコメでないことは、ご覧になった皆さんはすでにお分かりだろう。60年代政治の季節を経て、ベルリンの壁崩壊や9.11、イタリア汚職政治家追放等のドキュメンタリー映像を交えた本作は、4人の関係性変化を通じて“イタリア現代史”を振り返ったモニュメント的作品なのである。ヨーロッパ左翼運動の限界を、同じく4人のチェコ人に見つめさせた、ミラン・クンデラ作『存在の耐えられない軽さ』に非常に似通った構成と云えるだろう。
同じEU内のドイツやフランスに比べ保守的な右派がまだまだ実権を握っているイタリアにおいて、弁護士ジュリオは世界を変えたいと思いながら権力に取り込まれていき、コミュニストの両親を持つリッカルドは権力にも家族にも見放され孤立していく。中道の国語教師パオロは恋人のジエンマに捨てられてもマンマを見捨てることができず40年たった現在も独身のまんま?。孤児となったジエンマは男をとっかえひっかえしながら、やがてパオロの元へと舞い戻る改心者である。
パオロを捨てたジェンマが、今度はジュリオの浮気によって捨てられる。4人の中で最も早くに結婚したリッカルドだが、甲斐性のなさに愛想をつかされ奥さんと子供に捨てられる。専任教師になる夢をけっしてあきらめなかったパオロが、最後に夢を叶え初恋の相手ジェンマとも結ばれるのである。この4人が“Gli anni più belli(最良の年)”を花火とともに祝いながら、自分たちの“熱き思い”に乾杯を捧げるのである。
“世界をいつか変えたい”という4人が青春時代から抱き続けてきた願いは叶わなかったかもしれない。しかし、その熱き思いを自分たちの次の世代が引き継いでいけばそれでいいではないか。歴史は無情にも繰り返し、現実の分厚い壁の前に夢の実現はまたもや阻まれるのかもしれない。それでもいつかいつかと願い続ける気持でいることこそが、イタリア人が誇る情熱の源であり、幸福であるということなのだろう。
離ればなれになっても
監督 ガブリエレ・ムッチーノ(2020年)
オススメ度[]