アキ・カウリスマキとジム・ジャームッシュの仲がいいことは業界では有名な話らしいのです。オフ・ビート感覚が一つの売りになっている2人共通の作風だけに、オマージュのようなことをお互いやりあっているのでは、と探してみたところ.....やっぱりね、見つけましたよこの映画『コントラクト・キラー』。“殺人請負業”とでも訳せばいいのでしょうか。
本作には出演していないのですが、カウリスマキ作品の常連俳優マッティ・ペロンパーがJJの『ナイト・オン・ザ・プラネット』に出演していることをご存じでしょうか。会社を首になって落ち込みへべれけになった友人を慰める男たちが乗り込んだタクシー。その運転手役が実は彼なのです。不幸自慢のこの運転手、カウリスマキ監督『パラダイスの夕暮れ』のゴミ清掃車運転手(のその後)を彷彿とさせるキャラなのです。
トリュフォー作品の常連俳優ジャン=ピエール・レオが演じる本作の他殺願望男アンリもイギリス水道局をクビになってヤケになるところが、『ナイト...』のヘルシンキ編とストーリー的にかぶっているような気がします。そして、クラッシュのジョー・ストラマーの本作への出演も、JJがカウリスマキに紹介したことによって実現したのだとか。ストラマーの背後にプレスリーのブロマイドが飾ってあったのは、間違いなくJJ監督『ミステリー・トレイン』へのリファレンスでしょう。
しかし、この映画にはJJ作品のような(アメリカの物質主義批判のような)メッセージ性が皆無なのです。それはおそらく、監督アキ・カウリスマキがとことん“ハッピー・エンド”に拘っているからに他ならないのではないでしょうか。いやそんなことはない『マッチ工場の少女』はサッド・エンディングだろ?とおっしゃる方もいらっしゃるのかもしれません。
しかし一概にそうとも言いきれません。カウリスマキいわく「逮捕された方が幸せなくらい、少女は不幸な暮らしをしていたのさ。だからあれはハッピーエンドなんだ」と。どんなに貧乏でも、失業しても、こん棒で殴られて身ぐるみ剥がされても、男に弄ばれて捨てられても、自分で頼んだ殺し屋に追われたとしても、めぐりめぐって主人公には必ず“幸福”が訪れる安心感。それが彼の作品に“オフ・ビート”感を生む源泉になっている気がするのです。
人生最後は必ず“死”というバッド・エンディングが待っているからこそ、人間のだれしもが“生”にしがみつき、自ら不幸を招いているのです。なんだか怪しいスピリチュアルサイトの勧誘文句のようになってしまいましたが、最後に“ハッピーエンド”が待っていると予めわかっているのならば、たとえあくせく働かなくとも、カウリスマキ作品の登場人物のように人生ノホホンと構えていられる。私にはそう思えるのです。
コントラクタ・キラー
監督 アキ・カウリスマキ(1990年)
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