ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

浮き雲

2023年10月06日 | なつかシネマ篇

数あるカウリスマキ作品の中でもNo1にあげる人が多い本作。非常にわかりやすいハッピーエンドが、日本人の情緒にぴったり合いやすい作品なのかもしれない。歴史あるレストランで給仕長を勤めるイロナを、同監督の常連“泣き顔”女優カティ・オウティネンが好演している。

今回、カラフルな室内装飾が施されたレストランやアパートでのシーンが多かったせいか、登場人物の影が丸映りしている監督独特のライティングがことさら目立っていたような気がする。一瞬、ダリオ・アルジェントが監督したジャッド・ムービーあたりの物真似かとも思ったのだがあそこまで毒々しくはなく、むしろ俳優のデッドパン面演技に共鳴するような“静謐さ”を際立たせているのだ。

どこかで観たことのある照明なのだがなかなか思い出すことができず、ずっとモヤモヤが続いていたのである。皆さん、アメリカ人画家エドワード・ホッパーの絵をご覧になったことがおありだろうか。人物は動的に描かれているのに、なぜか静けさがあたりを支配している『ナイト・ホークス』が特に有名。カラフルな色使いと陰影が特徴的で、“都会の孤独”という形容がぴったりあてはまる画風のアーティストなのである。

そのホッパーの絵画と、カウリスマキ作品独特の映像がとても似ていることに今回気がついたのである(俺だけだったりして)。フィンランドの経済発展からこぼれ落ちた“負け組”のみなさんを、さらなる不幸が次々と襲う展開は、ケン・ローチのごとく祖国に対して怒りを爆発させるような結末にはしていない。ふりかかった不幸に耐え、じっと我慢するのがカウリスマキ作品のキャラクターたちなのである。

フランスやイタリアのラテン系や、英米のアングロ・サクソンや黒人の皆さんはちょっとした不公平があると我慢ならず、すぐにデモやストライキにうったえ、はては暴動にまで発展するお国柄。そこへいくとフィンランド人の皆さんは戦前の日本人同様大変我慢強いのである。我慢しすぎてその場で意識を失うほど?なのである。笑顔の時もなぜか泣いているようにしか見えない主演女優カティ・オウティネンは、もしかしたらそんな国民性を体現しているのかもしれない。

カウリスマキが決して隠そうとしないそんな登場人物たちの陰影は、我慢強いが故になかなか他人によりかかることができないフィンランド人の“孤独”そのもののメタファーなのではないか。しかし、意地を張るのを止め、気心のしれた昔の仲間を頼ることにしたイロナ夫妻に最後人生の転機が訪れる。満席になったレストランの外で一服する夫婦の晴れ晴れとした顔には、お天道様の明るい日差しが燦々と照りつけるのであった.....

浮き雲
監督 アキ・カウリスマキ(1996年)
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