ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

大阪ハムレット

2009年07月27日 | ネタバレなし批評篇
日本人特に関東人における大阪アレルギーというのは相当なもので、ごく普通の映画でさえ大阪が舞台というだけで身構えて見てしまう。ハリウッドにもブラックパワー・ムービーと呼ばれるアフリカ系だけが登場する特殊なジャンルの作品をいまだに見かけるが、この映画もまさに大阪パワー・ムービーと呼ぶにふさわしい“大阪”にこだわった1本だ。

見た目大学生のふけた高校生の長男、けんか三昧の不良の次男、そして女装趣味のある末っ子。そんな子供たちの父ちゃん(間寛平)が突然死、親族が集まった葬式に叔父ちゃん(岸辺一徳)が現れ、なぜかそのまま久保家に同居することになるのだが・・・。

こてこての大阪人たちを描いたドラマの中で、松坂慶子の大阪弁は明らかに浮いている。いくら激太りが最近顕著だからといって何も妊婦役で登場させなくてもというのが正直な感想だ。仮にも美人女優でならした松坂に対してのデリカシーが欠けたキャスティングといわざるをえないだろう。

対して、ふけた長男のファザコン彼女を演じた加藤夏樹は、この映画の中で唯一輝きを放っている。特に長男におんぶされながらの駅のシーンは、ヒップから太ももにかけてのラインもなまめかしく、無理やりハムレットに重ねられた不良の次男なんかより、むしろこの二人のエピソードをメインにすえた親探しの物語にした方が観客にすんなりと受け入れられたのでないかと思えるほどだ。

身内の突然死や、へたれ叔父さんの同居、末っ子の演芸会における大団円などなど、あの負け組家族の再生を描いた佳作『リトル・ミス・サンシャイン』とかなり似かよったストーリーには新鮮さは感じない。「俺はいったい誰の子供なんやろう」→「誰の子でもいいやん」という結論にいたる人生塞翁が馬的展開が、はたしてハムレット的といえるかについてもかなり疑問である。

大阪ハムレット
監督 光石 富士朗(2008年)
〔オススメ度 

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ホルテンさんのはじめての冒険 | トップ | ダイアナの選択 »
最新の画像もっと見る