ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

アマチュア

2009年12月09日 | 誰も逆らえない巨匠篇
ロマン・ポランスキー、アンジェイ・ワイダと並ぶポーランドの巨匠クシシュトフ・キシェロフスキー初期の中編作品である。ポランスキーが「閉塞する人間」、ワイダが「抵抗する人間」を描いたとすれば、(おおざっぱに言って)キシェロフスキーは「愛に帰る人間」を描こうとしたのではないか。ドイツとソ連という大国にはさまれたポーランドの引き裂かれた歴史についてはいまさらここで述べるまでもないが、三巨匠がこのポーランドの悲惨な歴史の影響を色濃く受けて映画を撮りつづけてきたことはほぼ間違いないだろう。

女の子が生まれ狂喜するモスは、我娘の生長記録を撮ろうと給料の3倍もするロシア製8ミリビデオカメラを購入する。モスがカメラを持っていることを知った工場長が、工場の祝典祭をビデオに撮るようモスに指示。会社がその作品を映画協会に送ったところ予想外の評価を受け、モスは8ミリ映画作りの面白さにはまっていくが、のめりこみすぎのあまり会社や家族から見放されてしまうといったストーリー立てになっている。

元々映像美を誇る監督ではないのだが、ザラついた質感の映像が特徴の本作は、モスがハンディビデオで撮影する映像とあいまって、ドキュメンタリー作品のような印象を受ける1本だ。祝典祭とは直接関係のない映像(会議の合間のタバコ休憩、窓辺のハト)を入れたことが社長の反感を買って削除要求される様などは、社会主義政権下の映画検閲を連想させるし、アマチュア監督に自由な発想を促す映画協会の人々を見ていると、この頃ポーランドで盛り上がってきた民主化運動の萌芽を感じることができるだろう。

しかし、ここで映画が政治的な方向にむかわないのがキシェロフスキーがワイダと違うところで、8ミリ映画作りに没頭するあまり、妻や娘に愛想をつかされたモスはふと我に帰る(愛に帰る)のである。自分が何のため、誰のために映画を撮っていたことに気づいた男の声は、家を出て行った妻には届かなかったが、その想いを8ミリに残そうと(情けない自分がネタになると思って)自らにカメラを向けるのであった。

アマチュア
監督 クシシュトフ・キシェロフスキー(1979年)
〔オススメ度 〕 

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