ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

テルマ

2022年06月24日 | ネタバレなし批評篇



将来、日本の濵口竜介監督の強力なライバルになりそうなポテンシャルを秘めた新鋭ヨアキム・トリア―は、デンマークの巨匠ラース・フォン・トリア―の遠縁にあたるそうで、血筋にも恵まれたサラブレッド。本作の予告編だけを見た限りでは、な―んだ『ヘレディタリー/継承』と全く同じやん、と思われた方も多かったことだろう。が、同じホラーにジャンルされながら、むこうはエンタメ、こちらはアートよりに転んでいるまったくの別物。映像美の裏側に隠されたキリスト教とのつながりを知れば、本作の奥深さは『ヘレディタリー』の比ではないことがおわかりいただけるだろう。

無神論者で知られるラース・フォン・トリア―だが、親戚のヨアキムもまたその洗礼を受けているようだ。こちこちのクリスチャンである主人公テルマに「キリストは悪魔」なんて台詞を平気で言わせてしまうのだから。しかも、聖書では禁じられているレズビアンという設定。大学で知り合ったレズ友と本当は仲良くなりたいのに、幼い頃からうざい親父にたたきこまれた信仰心が邪魔して、癲癇のような心性発作を起こしてしまう。そんないたいけなテルマではあるが、実はお婆ちゃんの血を引き継いだスーパー○○○だったのである。ムムム.....

鋭い方ならば映画冒頭の水上ならぬ氷上歩行を見ただけで、これは“救世主”のお話なんじゃない、と気づかれたはずだ。大学の校庭を学生たちが“クロス”上に横切る確信犯的カット。ラース・フォン・トリア―作品には絶望の象徴として描かれることが多かった“カラス”を、あえてノアの方舟乗船を許された“神の使い”として演出している。テルマが“おイタ”をする度に現れる“蛇”は、アダムとイブ(テルマとレズ友)を欺き楽園追放に導いた創世記に登場する蛇そのままの扱いだろう。

そして特筆すべきは、映画の合間合間にしれっと忍ばせた、ある古の映画監督に捧げられたリスペクトである。“救世主”と聞いて『マトリックス』を連想するようではまだまだ、旧ソ連の映像詩人アンドレイ・タルコフスキーとの関連性に気づかなければ、本作の魅力はそれこそ半減してしまう。脳波検査中の空中浮遊は『鏡』への、湖やプールのシーンは『惑星ソラリス』への、抑圧的な親父の自然発火は『サクリファイス』の枯れ木への、テーブルから落ちるマグカップは『ストーカー』ラストシーンへのオマージュにま違いないだろう。

血縁のラース・フォン・トリア―よりもむしろタルコフスキーに傾倒した映像美によって、ヨアキムは本作で何を描こうとしたのだろうか。それは、抑圧的な旧来のキリスト教から解き放たれた、来るべき時代にふさわしい新しい救世主像だったのではないか。ジェンダーの決まりごとや、薬物中毒、封建的な家父長制度をもろともしないスーパー・ウーマン。それがヨアキムが理想とするメシアだったのではないだろうか。ラスト、車椅子の母親に起こしたフェミニストならではの奇跡によって、少女はキリストをも越えたのである。

テルマ
監督 ヨアキム・トリアー(2017年)
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