ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

小悪魔はなぜモテる

2024年11月30日 | 激辛こきおろし篇


本作が劇中リファレンスしている『緋文字』(ナサニエル・ホーソーン作)は、不貞により産まれた子供の父親の正体を明かさなかったがために、胸に“A(Adultery=密通のイニシャル)”を縫い付けたドレスを着ることを一生強いられた女性へクターの悲劇(未読)。この小説には様々な解釈があるらしいのだが、子供の実の父親が神父であったことを考えると、沈黙=神への愛を頑なに守ろうとしたがためにかえって晒し者にされる“矛盾”をテーマにしているのではないか。実際魔女裁判の判事を生業にしていたというホーソーンは、日々魔女として罰せられることの多かった娼婦たちに、表だって論じることが憚れる“同情”を寄せていたに違いない。

この映画が公開されたのは、バラク・オバマによるリベラル政権の2年目にあたる2010年。アメリカ国民が黒人初の大統領にまだまだ淡い幻想を抱いていた時代といってもよいだろう。まさかまさかウォール街やネオコンの手先となって貧乏人を搾取し出すとは誰も思っても見なかった頃、この黒人ゲイ大統領は、今まで自分たちLGBTQを苛め威張りくさっていた白人たちに復讐するための施策を着々と練っていたのである。本学園ムービーにはゲイや移民、デブ等のられっ子がたくさん登場するのだが、エマ・ストーン演じるオリーブが彼らを不憫に思い、“やらせ”で彼らとHしたことにして苛めから解放してあげるのだ。普通に考えれば不自然きわまりないシナリオなのである。

そのオリーブの家族は、間違ってもトランプには投票しない絵に描いたようなリベラル一家(スタンリー・トゥッチ&パトリシア・クラークソンの両親と養子である黒人?の弟)。キリスト教福音派サークルの連中から黒い噂をたてられたオリーブは、学校のみんなから“あばずれ”扱いされてしまうのだ。こうなりゃやけだ。その“貧乳”を隠すこともななく胸元バックリドレスにピチピチのレギンスパンツをはいて校内を腰をフリフリ闊歩するオリーブ。もちろん胸には赤い“A”の刺繍文字が....唯一の親友リーからも見放されたオリーブは、真実をSNSに公開して濡れ衣を晴らすのだが....今や全裸F◯CKシーンも厭わないエマ・ストーンからは想像もできない初々しさだ。

バラクの元愛人と噂される元バレエダンサーのエマニュエル駐日大使が、なぜ日本にLGBTQ法案を強引に認めさせようとしたのか。なぜ不法移民受入れのための選択制夫婦別姓制度が、松下政ゲイ塾出身の石破首相のもと取り沙汰されるようになったのか。レインボーパレードに参加しているカナダのトルドーやウクライナのゼレンスキーは、なぜゲイであることを未だにカミングアウトしないのか。マクロン夫人がトランスジェンダーなんて噂がなぜ今頃になってようやく出はじめたのか。キリスト教社会である欧米では、LGBTQであることと社会的に抹殺されることは=なのだ。要するに脅しに屈しやすい素性の人間をわざわさ選んでいるのである。

誰がそんな輩を選んだのかって?トランプがDSと呼んでいる、陰で良からぬことばっかり画策している連中が、LGBTQリーダーをそのセクシャリティで脅迫しながら自分たちの悪事へ金が回るよう誘導しているのである。この映画は、一般国民にとっては悪夢のようなニュー・オーダーへ世界をつくりかえる下準備、アメリカ中道派を洗脳(差別はいけない)するためのプロパガンダといっても過言ではないだろう。リベラル最大の敵でもある、キリスト教福音派を映画の中でもケチョンケチョンにこき下ろしているのが何よりの証拠。が、結果は見ての通り。グローバリズムを騙った行き過ぎた左翼政策が眠っていた保守ナショナリズムに火をつけ、アメリカはトランプを選んだのである。要するに、神の加護の対象外であるLGBTQに対する慈悲などは、たかが人間が(同類相憐れむで)決めるべきことではないのだ。

小悪魔はなぜモテる
監督 ウィル・グラック(2010年)
オススメ度[]


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