アメリカン・ニューシネマを代表するハル・アシュビーの映画というよりも、俳優キャリアにおいてどん底をさ迷っていた頃のピーター・セラーズが起死回生一発逆転を狙った作品といえるのだろう。アメリカ大統領も動かすほどの大物財界人のセレブ豪邸という、ハル・アシュビーらしからぬ舞台設定もさることながら、セレブ夫人役シャーリー・マクレーンとの視姦&オナニープレイは、“ピンク・パンサー”譲りのお色気シーンを是が非でも押し込みたかったセラーズ側のアイデアに違いない。
庭師をしていたチャンス(ピーター・セラーズ)は、主人が亡くなり家政婦ルイーズと共にお屋敷を追い出される。ルイーズ曰く、紳士ぜんとした見た目とは違って、一日中TVを見ている頭スッカラカンの文盲男で、ちょいと知的障害の気もあるらしい。主人の申し付け通り一切外出をしたことのないチャンスは、ひょんなことから不治の病におかされた大物財界人ベン(メルヴィン・ダグラス)のお屋敷に住むことに。その夫人であるイブ(シャーリー・マクレーン)やベンにすっかり気に入られたチャンスだったが....
庭師という設定ながら広大な屋敷の庭に生えている植物をチャンスがお世話するシーンなどは一切登場しない。何せTVのリモコンを片時も手放さないほどのTV中毒で、単なるバ◯なんじゃねぇと思わせるシーンが延々と続くのである。マスゴミやセレブ相手にトンチンカンな会話しかできないチャンスを、ベンやイブその他財界人がもてはやすのはどう見ても不自然で、『フォレスト・ガンプ』や『ビッグ・リボウスキ』のデュードの如く、“特別な何か”を持った人物にはとても見えないのである。
その秘密は、ポーランドのユダヤ移民から上流階級の座に成り上がった原作者イエジー・コジンスキーの生涯と大いに関係しているのだろう。同作家原作の映画『異端の鳥』でもふれたのだが、このコジンスキー、盗作やゴーストライターの存在を常々疑われていた人物で、本作のチャンスのように富豪未亡人と再婚さえしなければ到底上流階級への出入りを許されず、ボヘミアンのまま生涯を終えた可能性が非常に高いのだ。渡米時英語を全くしゃべれなかったコジンスキーは、映画を日に何本も見て英語を覚えたという。要するに真のエリートではない“偽者”なのだ。
『ツァラトゥストラはかく語りき』をベースにしたという本映画の原作『Being There』だが、戦時中に他人が書いた小説の盗作疑惑があり、世間知らずの知的障害男が大統領を誰にするのか決められるほどの権力者に上りつめる藁しべ長者的ファンタジーなのである。ベンの遺体を埋葬する墓がプロビデンスの目が刻印されたピラミッド型というのも何ともブラックで、水上歩行という奇跡を起こす無知なる予言者がその後継者になるストーリーは、まるで原作者コジンスキー本人の永劫回帰から抜け出す願望表現そのものといってもよいだろう。予言者になれなかった男はその後、睡眠薬服用後ビニール袋を被せられた状態の自殺死体で発見される。
チャンス
監督 ハル・アシュビー(1979年)
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