ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

システム・クラッシャー

2024年11月30日 | ネタバレなし批評篇

「システム・クラッシャー」とは、あまりに乱暴で行く先々で問題を起こし、施設を転々とする制御不能で攻撃的な子供のこと。(公式HPより)

若きドイツ人女流監督が撮った本作は、2020年のベルリン銀熊賞をはじめ、世界の映画祭で喝采を浴びた映画だそうだ。映画を見ていてふと思ったことがある。この監督実は別のエンディングを考えていたのではないか、と直感したのである。しかしその終わらせ方では、グローバリストたちが名を連ねるお偉い映画関係者たちからお墨付きをもらえるはずがない。そう考えた監督ノラ・フィングシャイトは、12才の問題少女ベニー(ヘレナ・ツェンゲル)を、大人たちの手の届かない自由な世界へと羽ばたかせたのではないだろうか。

問題児たちの一時預かり所を起点として、ケアホームや里親の家をたらい回しにさせられるベニー。本当は弟や妹と一緒にママが住んでいる実家に帰りたいんだけど、突如として悪態をつきはじめ、周囲の人間に物を投げてあたり散らすベニーの面倒を見る自信が全くないママは、結局ベニーを突き放しケアラーに任せて逃げ帰ってしまう。子供を育てることを、言うことをきくペットの世話と同じぐらいに考えている、親としての責任感皆無の典型的なバカ親だ。死んだか別れて家を出ていったのかよく分からない父親の代わりに、ベニーを学校へ送り届ける見守役ミヒャに次第に親しみを覚えていくベニーだったが...

この映画をダルデンヌ兄弟が撮った傑作『ロゼッタ』と比べる人も多いと思うのだが、劇中周囲の大人やBFはロゼッタに対し容赦なき暴力をふるっていた記憶がある。貧乏と空腹と大人たちの暴力に敢然と立ち向かうロゼッタに対し、まるで腫れ物にでも触るような大人たちの態度が、ママに見放されて孤独なベニーをさらに追い詰めていったのではないだろうか。そんなよそよそしい大人たちの中で唯一親身になって接してくれたミヒャ。ミヒャと2人だけで過ごした、電気もテレビもネットもない森の生活をもっと丁寧に描いて欲しかった気もするが、孤独な少女とってははじめての実り多き課外活動だったのだろう。

ドイツではここもと保守政党AFDの躍進が注目されているのだが、EUの中で最も積極的に移民を受け入れていたドイツにも、いよいよ移民排斥の動きが目立つようになってきたらしい。EUというシステムを破壊する要因として移民をみなし始めたということなのだろう。ホロコーストに対する反省から左に片寄っていたドイツにおいて、移民たちに施していた手厚い福祉がまさに裏目に出てしまったのである。このシステム・クラッシャーベニーを一旦は快く受け入れるものの慣れてくると直ぐに他へ追い出そうとする一時預かり所の態度を、ドイツの移民政策と重ねて見ていた私。

唯一の味方であるミヒャの家も飛び出し森の中に逃げ込んだベニーを、おそらくフィングシャイトはそのまま葬ろうと考えたはずである。二度と抱きしめてくれることのないママの優しさに触れる夢の中で、フクロウさんに見守られながら少女を天国(地獄か?)へ導こうとしたはずである。しかしそんなリアルを移民がそこら中で問題を起こしているドイツで今見せるわけにはいかない。あくまでも自由という幻想を抱かせなければ、グローバリズムというシステム自体が成り立たないのである。たとえケニアで少女が獣(ぺドフィリア)たちの餌食になろうとも.....

システム・クラッシャー
監督 ノラ・フィングシャイト(2019年)
オススメ度[]

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