ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

母なる証明

2009年11月04日 | 映画館で見たばっかり篇
枯草が一面を覆う草原で、韓国の母(日本でいえば中村玉緒のような存在か?)ことキム・ヘジャがシュールなダンスを披露する映画冒頭は、キム・ギドクを彷彿とさせるシーンに期待値も否応なしにも高まったのだが、その後はラストにかけてひたすら尻つぼみ、単なる犯人探しのB級サスペンスに終わっている。

母(キム・ヘジャ)は知能障害の息子トジュン(ウォンビン)と二人暮らし。近所に住む女子高生殺人事件の容疑者として逮捕されたトジュンを救うため、母は真犯人探しに奔走するのだが・・・。この母と息子の間には近親相姦の臭いがぷんぷん漂っていて、これが結構気色悪い。息子の立ちションを傍らでじっと見つめていたり、一つの布団に二人で並んで寝たり、冬彦さんを猫かわいがりする野際陽子ほどではないが、“息子を溺愛する母の狂気”が本作品のメイン・テーマであることは間違いないだろう。

しかし、殺された女子高生の身辺調査にはじまる犯人探しのシークエンスがダルく、せっかく眠気を我慢して見続けた一連の流れがまったくのミス・ディレクションだったとしたら、観客はどういう感想を持つだろう。しかも、そのミス・ディレクションにもかなりのつっこみどころ(弁護士費用やジンテに渡した大金、高級車代の出所、目撃者の住居探し、杜撰すぎる警察の捜査など)が点在しており、ミステリーとして見ても完成度はイマイチだった感は否めない。

そんな中、兵役あがりで久々にスクリーンに登場したウォンビンの演技だけは光っていた。2枚目オーラを封印しマザコンの知的障害者を演じるため、かなりの役作りをした努力の甲斐が見事に実っている。だが、どうでもいいことは思い出すのに、肝心なことはとんと思い出さないご都合主義的脚本のために、せっかくのウォンビンの熱演がすっかり冷めた石焼ビビンバのようになってしまっているのは残念な気がする。

映画冒頭につながる最後の一刺し?も、“息子を溺愛する母の狂気”というよりは「嫌なことはさっさと忘れて、踊らにゃそんそん」的な“女の冷酷さ”が際立っており、その後味はきわめて悪いといえるだろう。芸術作品を気取ったこの映画、おそらく『グエムル』に続いて(ギドク系の芸術作品が好きな人が見れば)酷評されるのは間違いなく、このボン・ジュノという人、結局はN・シャマランと同じ一発屋だったのかもしれないと思う今日この頃なのである。

母なる証明
監督 ボン・ジュノ(2009年)
〔オススメ度 


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