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映画前半は南米ダイヤモンド鉱山でおきた山師たちの暴動、ガラッとかわって映画後半はジャングル脱出をはかる6人組のサバイバル・アドベンチャー。前半後半で全てが180度入れ替わる設定は、ブニュエル他作品の中でも実は発見することができる。メキシコ時代の『ビリディアナ』しかり、フランス時代の『哀しみのトリスターナ』しかりなのだ。おそらくデビッド・リンチの『マルホランド・ドライブ』やヨルゴス・ランティモスの『ロブスター』なんかも、ブニュエルのこの演出を真似ているにちがいない。
頭に傷を負った善良な山師カスタンとその聾唖の娘マリア、銀行強盗逃亡犯のシャーク(ジョルジョ・マルシェル)、娼婦のジン(シモーヌ・シニョレ)とその元締チェンコ、神父(ミシェル・ピコリ)の6人が、暴動に乗じてボートにのって鉱山を脱出。軍の追っ手からのがれるため南米ジャングルに逃げ込んだはいいものの、案内役のチェンコに食料もすべて奪われてしまった5人は、いよいよ途方に暮れてしまう.......
それまでは神父の言うことに素直に従っていた4人だが、過酷なジャングルでは宗教がまるで役に立たないことが判明してくると、生存能力に優れたシャークが逆にリーダーシップを発揮。シャークが見つけた◯◯◯によって一命をとりとめた5人だが、今度は神の祟りを怖れるカスタンが精神に異常をきたしはじめる。形式論ばかりでまったく実用性に欠ける神父の言動を、ジャングルというブニュエルお得意の密室空間で浮き彫りにしていくのである。
シャークに皮を剥がれ餌にされる蛇や神父とマリアが掘り起こす知恵の“実”まで登場させ、ジャングルを“神の庭”つまり“楽園”に見立てているのではないだろうか。追っ手の軍に合流しシャークに撃ち殺されるチェンコはユダ、聖母マリアと娼婦マグダラのマリアがモデルになっている2人についてはもはやいわずもがな。問題は正気を失って暴挙に出るカスタンと頼りになる強盗殺人犯シャークの存在である。この後ジンと神父を撃ち殺すカスタンは、おそらく“庭”を管理する神だったのではないだろうか。
頭に“聖痕”があり神にとり憑かれたカスタンは、自分を裏切ったジン、そして無意味な信仰をときまくっていた神父を射殺。シャークに返り討ちにあったカスタンの顔をあえて映さなかったのは、神そのものとしてブニュエルが演出したかったせいだろう。無実にも関わらず4人のために自主しろとまで神父にいわれて黙っていられるほど神は甘くないのであって、60人の尊い命を犠牲にしてまで、自分にたてついた人間をわざわざ救ってやるほど神はお人好し?ではないのである。
監獄から脱出(復活)し、5人組を窮地がらすくう救世主シャークは、当然イエス・キリストがモチーフだろう。二人のマリアからほれられ頼りにされる男シャークが裏切り者のユダことチェンコを射殺したのはいいとしても、神(カスタン)の女ジン=マグダラのマリアに手をつけた不届き者である。ゆえに神にとりつかれたカスタンに殺されそうになるのだが、見事返り討ちに成功し、聖母マリアとともにブラジルへと脱出するのである。神の庭である密林(楽園)を後にして.....
この庭に死す
監督 ルイス・ブニュエル(1956年)
オススメ度[
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