『私の髪は重たく、しなやかで、悲しげだ、腰まで届く赤銅色の集積。
それがわたしの一番きれいなところだとよく言われるけれど、
それはつまりわたしが美人ではないという意味だと
自分では理解している。
この注目に値した髪を、わたしは23歳のときパリで切ってしまうことになるだろう、
母と別れて5年後に。
わたしはこう言った、切って下さい。
男は切った。
とりあえず大まかに仕事を進めるために、全部をただの1回でばっさりと、
冷たい鋏が頸すじの皮膚に触れた。
それは床に落ちた。
よかったら包みますがと聞かれた。
わたしは、いらないと言った。
それからあとは、もう、きれいな髪をしていると言われたことはない、
ということはつまり、以前に、髪を切る前に言われたほど、
髪のことを誉められたことは一度もないという意味だ。
あれからあとは、人びとはむしろこう言った。
あのひとはきれいな眼をしている。
微笑みも、悪くない。』
マルグリット・デュラス 『ラマン』 清水徹=訳
この部分が好きで、何回も読みます。
ちょうど10年前、フランス語を教えてくれていたフランクと
好きな作家の話になったとき、
フランクは「マルグリット・デュラス」が好き、と言った。
わたしが 「ラマン」 と言ったら
(ああ!またか!)みたいな、ちょっと残念そうな、ちょっとうんざりって感じの表情で
「あの映画だけがデュラスじゃない。。」と、教えてくれた。
難解な文章、断定的な語調、彼女の生き方、
矛盾を孕んだ無限の自由。
ラマンは有名になったけれど、他にもたくさんの素晴らしい作品を書いているんだよ、て。
2000年8月には、大阪のseminaireという
小さな秘密の図書館みたいな場所で、
デュラスナイトを開催して、
『24時間の情事(Hiroshima mon amour)』という日仏合作映画の上映をしてくれた。
ミュージシャンでもあるフランクのライブもあったな~
なんて思い出したり、
映画でよく、英語で言ってるダジャレが
日本語字幕でもちゃんとダジャレになってるの、不思議。とか、
そういえば、フランスではご飯食べる時に、「いただきます」て言わないから
「いただきます」てフランス語はない、て言ってたな~
だから、日本映画にフランス語字幕ついてるとき
「いただきます」のシーンで
『みんなで食べるぞ!』みたいなフランス語があててあったな~
なんて、いろいろ思い出していたら、
眠れないまま朝になってしまった。
フランクが、私の持っていたCDを見て
「ああ!ぼくもカヒミに曲を作りたい!」て言ったことも思い出したし。