2004年10月に開催した
鳥取のギャラリー『空(そら・くう)』のTAZUKO多鶴子個展。
この個展でも多くの学びを受けました。
ガラス張りの美しい広い空間のギャラリー会場。
オーナーの安井敏恵様の温かな広い心と優れた感性に助けられ、
多くの出会いと素敵な思い出の数々の個展でした。
様々なギャラリーで出会ったオーナーの中でも、
TAZUKO多鶴子は今でも
最もご恩を感じる大切にしたい方のお一人です。
ブログ写真は
そのオーナーに助けられてご注文頂いたパステル画作品。
ご注文頂いたのは、
その近くでお店を経営されている社長さんで、
この方も人並み外れた優れた感性の持ち主のように感じられました。
「自分が亡くなった時の遺影写真の代わりに絵にしたいから…」
と言われてご注文頂いたものです。
一般では、
なかなかそこまで考えられていらっしゃる方は少ないようですが…
実は…パステル画の肖像画注文には、
何故だか
ご自身での『遺影肖像画』注文が多いのです。
客観的自分をみる事は大変難しい事ですが、
その方々の殆どは、
客観的なご自分をご存知な
強い心をお持ちの方々だと感じました。
現代の日本が失われつつある、
自然…感性…客観的自分…大なる精神…客観的自然…純客観的自分…無私…大なる愛…大なる真の美…。
今日はその言葉に絡めて、
先日ブログで公開したばかりの、
私の大好きな哲学者
『西田幾多郎』の『善の研究』から
再び
『知と愛より』を書き込みたいと思います。
<知と愛より>
我々が物を愛するというのは、
自己をすてて他に一致するの謂である。
自他合一、
その間一点の間隙なくして
始めて真の愛情が起こるのである。
我々が物を愛するというのは
自分が花と一致するのである。
月を愛するのは
月に一致するのである。
親が子となり子が親となり
ここに始めて親子の愛情が起こるのである。
親が子となるが故に
子の一利一害は
己の利害のように感ぜられ、
子が親となるが故に
親の一喜一憂は
己の一喜一憂の如くに感ぜられるのである。
我々が自己の私を棄てて
純客観的
即ち
無私となればなる程
愛は大きくなり深くなる。
親子夫妻の愛より
朋友の愛より
人類の愛にすすむ。
仏陀の愛は
禽獣草木にまでも及んだのである。
……西田幾多郎著『善の研究』より……
※(発行者:山口昭男・岩波文庫)※
鳥取のギャラリー『空(そら・くう)』のTAZUKO多鶴子個展。
この個展でも多くの学びを受けました。
ガラス張りの美しい広い空間のギャラリー会場。
オーナーの安井敏恵様の温かな広い心と優れた感性に助けられ、
多くの出会いと素敵な思い出の数々の個展でした。
様々なギャラリーで出会ったオーナーの中でも、
TAZUKO多鶴子は今でも
最もご恩を感じる大切にしたい方のお一人です。
ブログ写真は
そのオーナーに助けられてご注文頂いたパステル画作品。
ご注文頂いたのは、
その近くでお店を経営されている社長さんで、
この方も人並み外れた優れた感性の持ち主のように感じられました。
「自分が亡くなった時の遺影写真の代わりに絵にしたいから…」
と言われてご注文頂いたものです。
一般では、
なかなかそこまで考えられていらっしゃる方は少ないようですが…
実は…パステル画の肖像画注文には、
何故だか
ご自身での『遺影肖像画』注文が多いのです。
客観的自分をみる事は大変難しい事ですが、
その方々の殆どは、
客観的なご自分をご存知な
強い心をお持ちの方々だと感じました。
現代の日本が失われつつある、
自然…感性…客観的自分…大なる精神…客観的自然…純客観的自分…無私…大なる愛…大なる真の美…。
今日はその言葉に絡めて、
先日ブログで公開したばかりの、
私の大好きな哲学者
『西田幾多郎』の『善の研究』から
再び
『知と愛より』を書き込みたいと思います。
<知と愛より>
我々が物を愛するというのは、
自己をすてて他に一致するの謂である。
自他合一、
その間一点の間隙なくして
始めて真の愛情が起こるのである。
我々が物を愛するというのは
自分が花と一致するのである。
月を愛するのは
月に一致するのである。
親が子となり子が親となり
ここに始めて親子の愛情が起こるのである。
親が子となるが故に
子の一利一害は
己の利害のように感ぜられ、
子が親となるが故に
親の一喜一憂は
己の一喜一憂の如くに感ぜられるのである。
我々が自己の私を棄てて
純客観的
即ち
無私となればなる程
愛は大きくなり深くなる。
親子夫妻の愛より
朋友の愛より
人類の愛にすすむ。
仏陀の愛は
禽獣草木にまでも及んだのである。
……西田幾多郎著『善の研究』より……
※(発行者:山口昭男・岩波文庫)※