TAZUKO多鶴子が初めて初出品し入選した女流画家協会展。
以前のブログでも書き込んだように
この出品を導いて下さった今は亡き恩師の画家『石田正典』先生。
石田先生は
歴史上に残る画家『三岸好太郎』と交流が深かった画家『小林喜一郎』が恩師。
岡山でも県展の審査員をしていた画家
(県展の審査が不正審査に近いものもあり嫌で審査には殆ど出席しなかったと聞いています)。
そんな先生が
何の報酬も無く
遠い津山市から岡山市まで
度々私の自宅まで作品を観にいらして下さいました。
私の画家としての道筋を作って下さった
本物の眼を持つ
本物の画家でした。
TAZUKO多鶴子は多くの公募暖団体展の力ある画家達や
有名な評論家や有名芸大の教授等の批評を受けましたが
石田先生ほど優れた眼を持つ画家はいませんでした。
その恩師の言葉をネットで発見したので
今日はそれを書き込みます。
『画家はスターではない』
『画家は粥と少しの酒が飲めればそれでいい』
…… 石田正典 ……
石田先生の教えは私の画家としての基盤になっています。
時代は動き
芸術の崩壊になった時代。
芸術とは何者かが分からなくなった時代。
芸術をアートと呼ぶようになった現代。
メディアが益々混乱させる現代。
それを是正する為にも
伝えれる口を持たなければならないと…。
今はもう
芸大も
美大も
公募団体展も
審美眼のない審査員も
本物の眼を持たない画廊も
賞も
眼の哲学がない評論家も
美術館も
資格も
必要ないと確信しています。
それが
本物の眼を持つ人々や
本物の画家を苦しめていると思うのです。
芸術は
社会に汚れてはならない。
お金や名誉に汚れてはならいない。
純粋で尊く
何よりも神聖で
神秘的なものでなくてはならない。
そのように思うのです。
<石田 正典>
(いしだ まさのり、1915年11月20日 ~2001年3月27日)は、日本の画家。
1915年11月20日、宮崎県で9人兄弟の5男として生まれる。父親が国鉄に勤務していたことから各地を転々としていた。幼少の頃からカリエスを患うなど病弱で、満足に学校に通うことがままならず、1937年に岡山二中を中退。その後、小林喜一郎の画塾「赤坂洋画研究所」に通い、絵の勉強を始めた。
小林指導の下、画力をつけていくが、二科展では一度も入選する事無く同塾に通っていた中田政夫の勧めで春陽会に出品、1941年に入選を果たす。その後は春陽会への作品出品を続け、1965年には同会の審査員として声がかかるようになった。
1945年の岡山大空襲で家を焼かれ、津山市へ転居。翌1946年に見合で出会った女性と結婚した。津山へ移り住んだ後は郷土愛を開花させ自身の著書やインタビューなどで度々津山市を褒め称える発言を残している。
1969年から約半年の間、ヨーロッパへ留学するもその後スランプに陥り、4年後再びフランスへ渡っている。帰国後は津山に「津山洋画研究所」を開所、後続の育成に尽力。晩年は娘の住む岡山市山崎に転居し、2001年3月27日、脳梗塞により85歳で没した。
「津山洋画研究所」では「画家はスターではない」「画家は粥と少しの酒が飲めればそれでいい」などといった画家になる道の厳しさ、生活の大変さなどを教えていた。
<小林 喜一郎>
(こばやし きいちろう、1895年 - 1961年)は、日本の洋画家。岡山県倉敷市出身。酒仙と呼ばれるほどの酒好きとして知られ、岡山県内の飲み屋において喜一郎が飲み中に描いた色紙が飾られている店も少なくない。
1895年、倉敷市の酒屋・久平の息子として、久平ら両親が高知県滞在中に生まれる。幼い頃より画家を目指し沙美高等小学校卒業後、東京の美術大学へ行く金を貯める為、1916年に上京。巣鴨の郵便局で配達員として働く傍ら、絵の勉強に勤しんだ。当時この界隈は「池袋モンパルナス」の名の通り画家の卵がたむろしていた場所で、中でも喜一郎は三岸好太郎と交流を深めており、一緒に住んでいたこともある。1921年に二科展に入選、翌1922年には『横浜風景』で樗牛賞(二科展の最高賞)を受賞した。しかし翌年は落選を喫し、関東大震災の影響もあり、岡山県へ戻ることとなった。
1928年に結婚し、岡山市山下に住居を構えたが、1933年には支援者から贈られた網浜のアトリエ付の家に移動し、活動することになった。1935年から画塾「赤坂洋画研究所」を開設し、中田政夫、青地秀太郎、石田正典、竹内清、日原晃、水野恭子ら多くの画家を輩出した。
1945年、岡山大空襲で家主の家が全焼した為、アトリエを明け渡す事になり、各地を渡り歩く。最終的には三菱航空機工場の社宅を借り受け、倉敷市水島春日町に根を下ろすことになった。自転車に弁当と画材をくくりつけ、どこへでも写生に出かけたという。
1961年、食道癌のため岡山大学付属病院へ入院、同9月に65歳で没した。
参考資料:ウィキペディア