連続大河ブログ 原付旅
レイラインポイントコンプリートの旅
名古屋編
イエス!加藤清正と九州の名護屋城の巻
さて、前回は名護屋城の外からの見どころを、ツラツラと左回りで連ねていきました。清洲櫓が出たので次はそのまま清洲城かと思いましたが、もう一回!名古屋城!いえいえ!家康!今度は秀吉公の名護屋城の話!
イエス!加藤清正と九州の名護屋城の巻
さてさて、名古屋城の正面入り口の南側!前回でも後半に名前だけ出た「名古屋能楽堂」!その南側に銅像が立っています!家康公?いえいえ!加藤清正公です!なんでって人も多いですよね!私もその一人でした!
名古屋城建設当時は外様大名(とざまだいみょ)つまり豊臣家の家臣20家に石垣工事が言い渡され、その中でも加藤清正は城造りの名人として名高く、わざわざ呼ばれたんですって、色々な大名が建設に携わっているのですが!加藤清正は名古屋城天守閣の石垣を任される重要な任務を担いました。しかも九州から2万人を連れてきてわずか、3ヶ月で作ったって話!さらに名古屋城で最も大きい石!「清正石」畳8畳分重さ推定11トン!これも清正の仕業!?でもここの担当は黒田長政なんだけどな〜?
で、実はこの加藤清正が携わったお城で、その名も「名護屋城」がかつて九州にありました。かの有名な秀吉の朝鮮出兵の拠点として築城されたお城です。
築城に際し、加藤清正、黒田長政、小西行長、寺沢広高らが九州の大名を中心に動員し、突貫工事で8か月後の1592年3月に完成!規模は当時の城郭では大坂城に次ぐ広壮なものであった。
京都御所、大坂城などで使用した「黄金の茶室」を持ち込み、異国の使者や商人達をもてなすのに使用したとか!なかなかの距離!そして重量!また持って帰らなければって、家臣たちの気苦労が伝わってきます。
秀吉の死後、朝鮮半島への侵攻が中止!城は唐津城に移築!現在は廃城ですが日本の名城100選の87番目として今も城跡が残っているそうです。そして、解体移築の際、2度と城として機能しないように石垣の四隅を切り崩されたようです。その理由と時期は不明のまま!色々、考えさせられますね!
またいつか原付旅九州編でおとづれたい物です!場所は九州!佐賀県唐津市にあります。石垣、空堀、井戸などが現存するそうです。
次回 オー!ノー!信長!清洲城と千と千尋の神隠しの巻
ここまで読んでくださった方の願い事が叶います様に…」
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