2016.4.29 14:00更新
【西論】
憲法70年 国家百年の計を論じよ
http://www.sankei.com/west/news/160429/wst1604290006-n1.html
憲法改正をめぐる議論が今年、政治の場で断続的になされてきた。5月3日の憲法記念日、さらに夏の参院選へと、今後も論じられよう。
議論自体は大いによい。しかし同時に大いに物足りなさを感じている。憲法を語るなら国家百年の計をもってこそせよ。そんな思いを禁じえない。この国の成り立った西から見ているとなおさらしかりである。
◆政争の具ではない
民進党は結党宣言で、日本では「憲法の平和主義がないがしろにされ」ているとした。ではその平和主義とは。いまさら平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼するとでも? 安倍晋三政権への対抗心は見えても、掘り下げた憲法観はうかがえない。
政党ばかりに限らない。この間、安全保障関連法に関しあちこちで繰り広げられた「憲法を守れ」式の騒ぎの根にあるのは、旧態依然とした護憲主義である。現実の脅威に見合った法を持つことが憲法に反するというなら憲法を改正せよとこそ訴えるべきだろう。
では与党、ことに自民党が憲法改正という党是に忠実だったといえるのかどうか。筆者は批判的である。まずもって改憲という以前に、語るに落ちるあまりの醜聞が続きすぎた。襟を正すべしといっておく。
次に戦術に関して。なるほど安倍首相は年初来、憲法改正に向けた発言を続けてきた。しかし9条については「国民的な理解と支持が広がっている状況ではない」(3月7日参院予算委員会)などと、正面突破には慎重な姿勢も見せる。
選挙を控え、議論の分かれる問題について触れたくないという思惑は連立政権内にあろう。緊急事態条項など国民の理解を得やすい部分から進める考えがあると して、それがわからないわけでもない。しかし9条という本丸を避けるやり方は、国家百年の計を論じるにふさわしいとは思われない。むしろこのような構図こ そ、戦後日本で長く続いてきたものなのである。
◆55年体制と護憲の源流
現行憲法は連合国軍最高司令官のマッカーサーが示した戦争放棄などの三原則、いわゆるマッカーサー・ノートに基づき、連合国軍総司令部(GHQ)のスタッフが1週間ほどで書き上げた草案がもとになっている。昭和21年の公布の年から70年になる。
新憲法に肯定的な当時の日本人の声は多く残っている。戦争に疲弊した日本人に、新しい時代の理念を示すものとして受け止められたのだろう。しかし 冷戦の進行という現実に直面して、憲法の平和主義もきしむことになった。昭和30(1955)年、保守政党の合同と左右社会党の統一によりいわゆる55年 体制が始まり、保守対革新という構図が定着した。憲法改正を掲げる保守陣営に対し、強固な護憲の論調もそのころにはできてくる。
たとえば 今年、朝日新聞の社説は安倍政権をしきりと牽制(けんせい)した。「首相と憲法 何のための改正なのか」(1月13日)「首相の改憲論 あまりの倒錯に驚 く」(2月6日)。保守合同のころの同紙社説を見ると、「軽率な憲法論議を慎め」(昭和30年7月7日)「憲法改正よりも憲法理解を」(同31年1月3 日)など、やはりしきりと改憲の動きを牽制しているのである。同じ時期、産経新聞は当時の社説でこう書いている。「憲法は決して不磨の大典ではない。憲法 なるが故に改正すべからずという議論は成り立たない」(同29年5月3日)。引用の表記は一部改めた。
独立して間もない日本が歩む方向を、メディアも手探りしていた時代ではあっただろう。弊紙も含めて。しかし護憲派によるいわば憲法信仰は、メディアだけでなく野党、知識人らの間でいよいよ強くなった。改憲といえばおぞましいことでもあるかのように扱われたといってよい。
昭和43年、「(現行憲法は)他力本願」などと発言した当時の倉石忠雄農相は野党に追及されて辞任し、昭和50年、改憲集会に出席し「現行憲法には欠陥が 多い」などとも述べた当時の稲葉修法相もたたかれた。いずれも、ときの首相が現行憲法を守る旨の発言をすることで収束している。このような左傾した風潮の もとで、憲法改正を目指すはずの自民党も、口をつぐむという状況になってしまったのである。
◆気概こそ必要
いま憲法を論ずることは、選挙のための駆け引きなどであってはならない。この国の特異な戦後という時代を見据え、独立国たるにふさわしい憲法の姿を論じるべきなのである。
ことに理念的平和主義と現実の矛盾は限界にきているといってよい。交戦権を認めない9条2項は、評論家の江藤淳が指摘したように「主権制限条項」である。 日本は主権を完全に回復していないと、江藤はいう。交戦権を回復することは戦争への道を歩むことではない、日本が通常の主権国家となって自己の運命の主人 公になることを象徴するにすぎない、と(「一九四六年憲法-その拘束」)。同感である。
必要なのは気概だ。明治憲法にかかわった伊藤博文は、ある演説でこういっている。憲法ができたのは「日本国を保つ為(た)め」だと。そんな気概こそ現在も何より求められている。 (大阪正論室長・河村直哉)