台湾偏愛日記~台湾の団地に行きたい~

台湾の団地マニア・tamazoの台湾見聞記。眷村と日式建築と市場と台湾の店の整然としたごっちゃり感が大好きです。

台南の仁徳二空防空碉堡は戦跡。そして周囲は眷村跡。

2020-11-09 07:20:34 | 史跡(戦跡)

仁德二空防空碉堡は、第二次世界大戦中に日本軍によって建設され、防空施設として使用されていました。

第二次世界大戦後に一部が損傷し、高さが1メートルを超える構造物が残りましたが、戦闘準備のために台湾軍によって現在の高さ(約4〜5メートル)に改修されました。
歴史建築に指定されたのは2016年と最近です。
周辺は空き地になっていますが、前にご紹介した廃駅「南台湾駅」から続く広大な眷村が取り壊された跡地です。

日本統治時代には空軍が駐留していた関係で、現在も台湾空軍の管理下にあり、台湾軍の宿舎なども建っています。
眷村の古い家屋も一部残っていて「二空眷村樹屋」という観光スポットもあったのですが、私が行ったときには廃業していて入れなくなっていました。

ちなみに仁德二空防空碉堡のバックに写っている団地は「二空新城」。おそらく二空眷村に住んでいた方々の新しい住まいです。

この団地の向こう側には平屋の建物が多く建っていてお揃いの瓦屋根なので、もしかしたら日式建築かもしれません。こちらも眷村のようです。

仁徳二空防空碉堡
 台南市仁德區


台南の「飛雁新村傳原通訊所」は手付かずの軍事遺跡

2020-11-02 07:28:37 | 史跡(戦跡)

飛雁新村傳原通訊所は、台南駅から北にまっすぐ3.5㌔の位置にあります。

台南駅から2駅の大橋駅から徒歩5分だということは、今知りました。私は自転車で行きました。ちょっと小高い丘の上にあるので、坂道があって疲れましたね・・・。

ここは日本統治時代の空軍基地で、戦後は台湾の国防省が管理しており1999年に台南市に再生を委託し、2013年11月に由遠雄建設公司が20.9億元落札しましたが、市民の間で樹木保護運動が起こり、由遠雄建設公司が提出した開発計画は頓挫しているようです。

その後台南市文化財管理事務所が文化財調査を実施したところ、厚さ40cmの重油が残った石油タンクや管制室施設が見つかり、2018年6月には歴史的建造物に指定しました。

道路を挟んで、軍の施設と家屋が残っています。路上駐車の車が多くて、撮りにくかったです。

家屋は日本統治時代のものはごく一部で、大部分は中華民国の52〜60年(1963〜1971年)のものだとのことです。ちなみに全部フェンス越しに撮っています。

 

これは日本統治時代の建物っぽいですね。

団地っぽい建物もありました。

由遠雄建設公司の開発計画とその後の紛争については、まだ調整中であり新たな計画は発表されていません。
現在は近くに行っても樹木とフェンスに阻まれてほとんど何も見えないので保存工事が完了してから行く方がいいとは思うのですが、壊される可能性もゼロではないですからね・・・。

今の流れだと、保存されるとは思うのですが。

◆飛雁新村傳原通訊所
台南市永康區中華路


基隆の白米甕砲台は海の見える絶景の場所!

2020-10-11 07:22:37 | 史跡(戦跡)

基隆は、外海に通じる見晴らしの良い岬で軍事的に重要な位置にあり、古くはオランダ軍も軍事施設を建てていました。
現在残っている砲台設備は、日本の明治時期のもので、日露戦争の時、日本軍によって建てられたものだそうです。

我々は駅からだいたい一時間くらい、観光客が全く居ない住宅街を徒歩で行きました。友人とわいわい行ったので苦になりませんでしたが、一人だと辛いかも。

跡は高台にあるのですが、この標識は海沿いの幹線道路にでかでかとありますので、見落とすことはないでしょう。
しかし、ここから車一台分しかない細い村落の中の道をくねくね10分ほど登ります。

白米甕砲台の場所はオランダ人が和平島を占領していた17世紀頃には堡塁として使われていたと言われています。本格的に砲台として整備されたのは19世紀の清時代で、アヘン戦争や清仏戦争の対策でした。日本統治時代には日露戦争のために再び整備が行われました。

これは隣にある「協和火力発電所」。1977年から稼働しています。基隆市街から見えない位置にあるので、この景色はここに来た人の特権。

火力発電所と反対側の基隆市街。基隆港は、世界のクルーズ客船の寄港地になっているので、常に何隻か停泊しています。今はコロナで居ないかな・・・。

基隆港の入り口の小高い丘の上に4台の砲座、指揮所と観測所が残っています。


ベンチがいい位置に並んでいるので、デートスポットにもなっています。駐車場も完備されているので地元の人には来やすく、憩いの場にもなっているようです。我々が行った時は上半身裸で焼いているおじさんがいました。

また、標識からここに来る途中には日本統治時代の営舎が残っており、保存のため屋根がかけられていました。行ったのは3年ほど前なので、今頃は修復が終わって公開されているかも知れません。

米甕砲台

基隆市中山區光華路37號