台湾偏愛日記~台湾の団地に行きたい~

台湾の団地マニア・tamazoの台湾見聞記。眷村と日式建築と市場と台湾の店の整然としたごっちゃり感が大好きです。

【日本統治時代の駅舎を行く。④】談文

2020-12-21 07:12:11 | 日本統治時代の建物

「海線」の竹南と彰化間には多数の日本統治時代の木造駅舎が残っています。一駅ごとに降りたいところですが、一時間に一本程度しか列車が走らないので一駅だけ行くことにし、分岐駅の竹南の隣駅の「談文」を選択。行きの車内もガラガラでした。

談文駅は1922年(大正11年)に開業。道路から一段低い位置にあります。周辺に住宅も余りなく閑散とした無人駅です。驚いたことに自動改札機さえ無く、一緒に降りたお姉さんはそのままスタスタ通過していました。2008年の統計では一日平均乗客数は10人とのこと。

駅の中はきれいに掃除されています。めちゃめちゃノスタルジックな空間です。

無人のため駅務室は閉鎖されています。外に廻って見てみたが建物自体がかなり傷んでいました。一応覆いをかけて保存してあったので修復するつもりはあるようです。

小さな駅舎にふさわしく、線路に面した可愛らしいベンチがありました。

外からは丸窓が見えていましたが、駅舎内では天井板に隠れていて見えなかったのが残念でした。

全然列車が来ないので、撮影する時間はたっぷりありました。↓これは上がり用の待合室。窓無しコンクリートなので冬は凍えます。

◆談文駅(苗栗県造橋郷談文村仁愛路29號)


【日本統治時代の駅舎を行く。③】造橋駅

2020-12-18 07:30:41 | 日本統治時代の建物

基隆と高雄を結ぶ縦貫鉄道は竹南から海側と山側に分岐していき、山線・海線と呼ばれてどちらも鉄道ファンに大人気の路線です。

その山側・通称「山線」にある台湾最初期の鉄筋コンクリート製駅舎が「造橋」で1935年(昭和10年)竣工です。

1903年に開業しましたが、1935年の新竹・台中地震で被害を受け、この「造橋駅」と「銅鑼駅」「泰安駅」「清水駅」「二水駅」「橋頭駅」などの木造駅を耐震性を考慮してコンクリート建築で再建しました。

駅舎横に駅員の宿舎群が残っています。

駅長の宿舎が一番立派で駅近の一戸建て。補修されていて日式建築の特徴などを詳しく解説したプレートが日文と中文両方で書いて取り付けてありました。

長屋型宿舎は保存はしてあるものの補修はまだで朽ちかけていたので、早く~と祈る気持ちになりました。

◆造橋駅(苗栗県造橋郷造橋村平仁路54号)


屏東の青島街(勝利星村)は日式宿舎が110戸残る!

2020-11-11 07:13:54 | 日本統治時代の建物

台湾鉄道屏東駅から徒歩15分も歩けば、広大な範囲に残る日式建築群が見えてきます。

台湾初の空港「屏東飛行場」が設置され日本空軍がここを拠点としたため、現在も71棟110戸もの日本式の平屋が軍の官舎として残っています。それを戦後そのまま中華民国陸軍の宿舎として利用した「勝利新村」と1951年に建てられた「崇仁新村」を前身として「勝利星村創意生活園区」が整備中です。

2007年に屏東県の歴史的建造物に登録され、修復された日本家屋には飲食店などが入居していましたが、屏東県政府は全エリアを眷村文化の伝承やアート空間などのテーマに分けて運営する方針を発表。2018年には新たに修復を終えた20棟について入居者の募集が始められたとのこと。奥の方にある郵便局の隣接地あたりかと思います。

2018年に訪問した時は自由に見学できた修復前の家屋群。

日本家屋が大陸からの移住者によって中国風になっていたり。

 

賞状や写真が置き去りだったり。

壁に直書きされていたり。(これ好き!)

日本統治時代の防空壕。いくつか残っていました。

2019年1月に訪問時には、本格的に修復作業に入っており立ち入り禁止になっていて、何も見えなくなっていたのが残念。

覆屋をかけて丁寧に修復していて、それが夜は素晴らしく映えます。

なお、ここに居住していた住民は隣接地に建設された「空翔新城」などの集合住宅に移ったとのこと。

先行して整備された青島街にはいい感じのカフェなどが集まっていますが、どこも営業は午後から。

書店「小陽。日栽書屋」は、営業が14時00分~20時00分で月火水休みとハードル高めで2018年には行けず。2019年に行きました。友人のお宅に入れてもらったような感じで、内部も風呂がそのままだったりとあまりいじっていないです。

同じ町内にあったカフェ「駅前大和珈琲館」は、屏東駅前に移転し、同じ「驛前大和咖啡館」として営業中。現在の建物は日本統治時代にホテルとして営業していたという近代建築で、こちらは当初からここを再生することを目的としてカフェを経営していたとのこと。最終的にはホテルとして運営する予定ですが、コロナもあってまだのようです。
次に行く時にはホテル営業が開始していて、110件の修復も完了していると思うので、泊まりに行くつもりです。(写真は2018年に撮った修復前の建物です。)

 

◆青島街(勝利星村
  屏東市青島街

駅前大和珈琲館
 9時00分~21時00分
 屏東市民族路163號


台北の宝蔵巌国際芸術村は公館駅近くの異空間!

2020-11-06 07:00:55 | 日本統治時代の建物

宝蔵巌国際芸術村は、地下鉄公館駅から徒歩10分程の、新店渓沿岸の崖地にある眷村です。崖にどんどん建物が建て増されてこのような景観になりました。ちょうどいい位置に芝生広場が整備されているので、降りて写真を撮影すると良いです。

元々ここに「宝蔵巌」という寺院があり(今もあります)、1930年ごろに日本軍の砲兵隊の宿舎が整備されました。
そこに、1960年年代に中国大陸から国民党関係者や出稼ぎ労働者が住みつき、どんどん建て増しした結果、ユニークな迷路のような町が出来上がりました。立ち退きの計画が持ち上がったこともありますが、現在は「歴史集落」に指定されて保存が決定しています。

集落の半分ほどは現在も住人が居て非公開ですが、そのほかの部分は芸術村として芸術家が滞在しながら作品を制作するアトリエ、作品を公開するギャラリーや宿泊施設、カフェや雑貨などの店舗となっています。この先立ち入り禁止の札があるのが、住民エリアです。

曲がりくねった坂道を散策しながらユニークな壁画やオブジェなどのアート作品を楽しめるとあって、近年は国内外の観光客を多く集めています。

いろんな場所にアートがあって、探しながら歩くのが楽しいです。

元日本軍宿舎なので、軍事遺跡もあります。防空壕です。

カフェ「尖蚪」。民家を改造した二階建てです。二階からの眺めが良いです。みんなまったり長居しておしゃべりしていました。

こちらは大胆に壁をくりぬいたアート。

村内にある「閣楼宝蔵巌青年会所」は、アーティストのために建てられたようですが、旅行者も泊まることができます。崖の上のほうにあって眺めも良いので、私も一度泊まってみたいと思っています。

◆【宝蔵巌国際芸術村】台北市中正區汀州路三段


台南の「旧台南州立農事試験場」は美しい日式宿舎。

2020-10-31 07:29:26 | 日本統治時代の建物

2018年、台南で団地巡りをしていた時のこと。点在する数軒の古い日本家屋が目に入りました。

これは旧台南州立農事試験場の集合宿舎だとのこと。

きれいに修復されています。

 

日本統治時代にはここ一帯に農業関連の事務所や農芸実験室、病理昆虫研究室などが設置され、農業研究や実験が行われていました。

古い日本家屋は修復後、現在経営は外部に委託され、展示スペースや飲食店になっています。

私が行ったときは、「納涼屋」という和服を着て写真を撮れる店がありました。さすがに入っていませんが。

そういえばここから3キロほど北に「千畦種子博物館」という私設博物館があってなかなか面白そうなので行ってみたいと思っているのですが、ここが農事試験場だったことと何か関係があるのでしょうか。

あと、ここに行く途中で見た格好いい団地。

それと、廃墟みたいな自転車屋も載せておきます。