意思による楽観のための読書日記

「脳」整理法  茂木健一郎 **

筆者2005年の著、気力が萎えている時に読めば、元気がでるかも。

1972年、ローマクラブは「成長の限界」というレポートを発表、天然資源の限界を超えては経済成長はできないと指摘、同じような成長の限界が、おびただしいデジタル情報に取り囲まれた人間にも訪れているのではないか、私たちの脳は悲鳴をあげている、という問題意識である。脳は本来、より広く世界のあり方を理解認識し、その中での生き方の知恵を支えるもの。そのために、世界との交渉の中で得た体験を整理し消化する臓器として進化してきた。それが生活知、世界の仕組みとして学び取った体系が世界知と呼ぶ。生活知と世界知を活かす中で避けられないのが不確実性、その中でより良く行く抜くためには整理が必要だという。

人生は一回性の経験の積み重ね、一回しか起きない出来事から得られる体験を整理していく働きが脳の働きであり、一回の出来事は半ば規則的、半ば偶然であるという偶有性に満ちている。生活知は世界知とは無関係ではありえないが、矛盾したことも起こり得る、世界知と生活知を結ぶのが脳であり結節点である。統計的データは世界知の一つではあるが、自分にも当てはまるかどうかは偶発的である。世の中が進む時間と自分が行きている時間は異なり、自分の時間は自分の誕生で始まり死で終わる。自分は自分の時間に閉じ込められながら、世の中の時間軸で世界知を語ろうとする努力、それが宗教的、哲学的概念を生み出してきた。

情報社会ではITが主要な働きをしているが、ITは森羅万象をデジタル情報に置き換え、平等に表現することで割りきろうとしている。世界知を生活知に置き換える際に単純化する、という方法があるが、ITは平等化により割りきろうとしている。ITの源流は自然科学、自然科学の試みは森羅万象を分かりやすい概念に置き換え、割りきって理解しようとする試みであった。しかし、人間には割り切れない思い、というものがあり、人間の存在のありかたをITで割りきろうとすれば反発にあう。民放番組などで「分かりやすい」という切り口を求められる場合が多いが、多くの人が理解しやすい、という面がある一方で、それは一つの割り切りであり、割り切れない側面もあることを忘れてはならない。その部分を結節させるのが脳の整理である。

脳は外界からの情報が入力されなければうまく働かない。外界からの情報が遮断されると、脳は幻覚を生み出して偽装する、つまり感覚遮断すると言われている。広い世界からどのような情報が入ってくるかは予想できないので、予想できない情報を処理することこそが人生である。恋愛は自己完結できないイベントの一つである。予測できない反応があるからこそワクワクするのであり、恋愛が成就する確率は30-50%、などと言われてもピンと来ないのは、恋愛は確率論では予想できないことを誰しもが知っているから。恋愛占いがあるが、科学が偶有性を扱いかねている現状の間隙をついた世界知と生活知の統合の試みである、という。確実に不幸になる方法はあるが、確実に幸福になるという方法はない。生き物にとっての最大の不幸は秩序がなくなるエントロピーの増大である死、生き物にとっての幸福は無秩序に抵抗することでしか生まれない。熱力学の第二法則に抵抗することが生き物にとっての幸せの出発点である。

セレンディピティは偶発的な出会いが幸福につながる、というもの。セレンディップの三人の王子が旅する中で自分たちが求めていたものではないものに出会い、そのような偶然の出会いから結果として応じたちに幸運をもたらしたという童話から生まれた言葉がセレンディピティ。偶然を必然にするのは行動、気づき、受容という人の姿勢がもたらすもの。果報は寝て待てではなく、行動をまず起こすこと、偶然の出会い自体に気づくこと、そして期待していない偶然に出会った時にそのことを素直に受容すること、これらがセレンディピティを産むというのである。幸運の女神には前髪しかない、と同様の話。

科学が到達した知的態度に「ディタッチメント」がある、客観的観察と理解、分析能力である。自ら主張したい方向に何とか持って行こうとするのではなく、起きた事象をディタッチメントの姿勢で評価してみることが重要である。ディタッチメントを経由した世界をありのままにみるための世界知、一方、自分というかけがいのない存在が生きるという生活知、世界知を生活知に近づけることが重要だという。

この本を読んでいて、原発問題とマスコミ報道を思い起こす。20Km圏内は立ち入り禁止区域、直ちに人体に影響はない、SPEEDIによる観測結果報道、メルトダウンは起きていないが炉心溶融の可能性はある、1mシーベルトを子供への影響基準値とする、などという報道を聞いて、こどもを持つ親はどう考えてどう行動したのか。世界知と生活知を脳の整理でどう処理するかという究極的な判断を迫られている。チェルノブイリ並みの原発事故であり、6-9ヶ月では収束できないと予想されるのに、東電が発表した工程表は修正されていない。9ヶ月後には福島の人たちは自分の家に帰れるのか、10年は掛かるとしたら、家を捨てる判断をしなくてはいけない。脳の整理が迫られる究極のケースではないか。
「脳」整理法 (ちくま新書)
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↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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